パウロが語る神の計画──神の六日間と七日目と八日目/コリント第一15章後編
パウロが語る「神の計画」
パウロが伝える福音の核心──
「本当の福音」がコリント第一15章の前編にありました。
それは、
キリスト教徒であってもなくても、アダムによって死んでいるすべての人が、キリストによって生かされることでした(コリント第一15章20-22節)。
パウロは、この福音の実現には順序があることを語ります。
📌この記事では──
パウロが語る「神の計画」とキリスト者への激励について読み解きます。
コリント人への第一の手紙
── 第15章 23-54節 ──
1|神の計画の順序
パウロは、すべての人が生かされる福音を語った後、神の計画の順序について語ります。
パウロが語る七日目と八日目の概念
【コリント人への第一の手紙 15章23-26節】
23-24 ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。
最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
【27-28節】(省略)
まず最初にキリストが再臨する
次に再臨時にキリストに属する者の復活と変貌
それから終末となって、すべての権威と権力を打ち滅ぼす
すべての敵を足元に置くまでキリストが支配する
王国を父なる神に渡す
最後に「死」が滅ぼされる
このように再臨以降のスケジュールを明確に示しました。そしてこの順序は、前編にあった神の計画の型であるイスラエルの祭り5~8とも対応しています。
そして、創世記の「はじめに」にある神の計画とも対応しているのです。
創世記の天地創造は、現在進行中の神の計画
【創世記 1章1節-2章4節】
はじめに
神は天と地とを創造された。
(中略)
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。
夕となり、また朝となった。第六日である。
こうして天と地と、その万象とが完成した。
(中略)
神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
これが天地創造の由来である。
この天地創造の由来は過去の出来事ではなく、七日目に生きる民が読むことを想定して書かれています。
つまり、
父なる神は六日間で天地万物を完成させ、七日目(千年王国時代)は神の子キリストが治めます。その後、王国を父なる神に渡し、死が滅ぼされるのが八日目(新天新地)です。
補足:
神の六日間:アダムから6000年間
神の七日目:千年王国時代(神の安息日)
神の八日目:新天新地(永遠)

パウロが語った、死が滅ぼされすべての人が生かされるのは、すべてが新しくなる八日目の新天新地です(黙示録21章4-5節)。
補足:
前編にあったトマスのエピソードは、八日目とありました(ヨハネ20章26節)。これは新天新地に際して、すべての人が見て信じる象徴として描かれているのです。
注:トマスのエピソードは直訳で「八日後」とありますが、ユダヤ的な日数計算では当日を含めますので、八日目を表わしています。
2|罪を犯さないようにしなさい
続けてパウロは、七日目(千年王国時代)への備えと報いについて語り始めます。
【29-32節】(省略)
【32-34節】
32 もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。
33 まちがってはいけない。
「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。
34 目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。
あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。
⚠️目覚めて身を正し、罪を犯さないようにしなさい
これは、特にキリスト者──見ずに信じる者に向けた言葉です。
パウロはすでに「キリストによって、すべての人が生かされる」と述べており、死人の復活自体は各人の行いによらず、キリストによる無条件の恵みであると語っています(コリント第一15章20-22節)。──これは八日目の復活のことです。
ここでは、キリスト者については七日目における報いがあり、それは生きている間の「思いと行い」によることを語り始めているのです。
3|霊の身体で復活する
パウロは自身の霊的体験から、霊的社会の概念を語ります。
以下は、七日目の報いである復活の身体についての説明です。
【35-41節】(省略)
【42-44節】
42-44 死人の復活も、また同様である。
朽ちるものでまかれ、
朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、
栄光あるものによみがえり、
弱いものでまかれ、
強いものによみがえり、
肉のからだでまかれ、
霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから、
霊のからだもあるわけである。
現在の身体は「肉の身体」:朽ちる・卑しい・弱い・肉に属する
復活の身体は「霊の身体」:朽ちない・栄光ある・強い・霊に属する
再臨に際してキリスト者は、復活と変貌によって霊が主体の身体になります。肉体自体がなくなるわけではありません。
現代は、肉が優勢で霊が肉に従う世の中ですが、霊が優勢の社会になるのです。
4|千年王国時代は神霊の時代
七日目に生きる者は、肉ではなく霊によらなければならいと、パウロは語ります。
【45-49節】
45 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
46 最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。
47 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
48 この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
49 すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。
50 兄弟たちよ。
わたしはこの事を言っておく。
肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
神の六日間の終わりには、地上世界の価値観が本来のものに回復します。
「肉と霊」に対比されるように、地に属するもの(物・水・人)から、天に属するもの(霊・火・神)へ、価値観が変わるのです(ヨハネ3章5-6節)。
現代は、物質主義ですが、七日目は神霊主義に変わります。
物質(金銭・貪欲・独善・競争)を拠りどころとする価値観は旧世界のものとなり、神の霊を感じる感性(神聖・情愛・正義・平和)が優先される時代になります(マタイ5章3-10節、ガラテヤ5章19-24節)。
日本社会には「本音と建前」という文化がありますが、「本音が霊・建前が肉」と言えるでしょう。日本人は建前の理性が優れているので、霊が少々悪くても肉でカバーできてしまいます。
しかし七日目は、霊を感じる時代になりますので、肉のカバーが通用しなくなります(本音がバレる笑)。
ですので内面の霊を清くする必要があるのです。
5|キリスト再臨時の奥義
そして七日目の直前、キリスト再臨時にある復活と変貌の奥義について語ります。
「わたしたち」とは、パウロを含む聖徒のことです(コリント第一1章2節)。
【51-54節】
51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
神の六日間の終り──
聖書暦6000年の終りに、キリストが再臨します。
この時、終わりのラッパの響きとともに、①既に死んだ聖徒はよみがえり、②生きている聖徒は、共に朽ちない者に変えられるのです。
朽ちるはずの者が、朽ちない者となる
死ぬはずの者が、死なない者となる
つまり、キリスト再臨時に生存している聖徒は、生きたまま死ぬことなく、朽ちない者(死なない者)に変えられるという奥義を語っているのです。
この時、選ばれた聖徒は一瞬に、その他の者は──信者もそうでない者も──千年王国時代の間に徐々に変えられ神の民となっていくのでしょう。そして、旧世界の価値観から離れられない者は寿命が尽きた時に死んでいき、いずれ地上にいなくなります(イザヤ65章20節)。
こうして、聖書にある「神の民が、神の王国を相続する」という約束が成就するのです(創世17章8節)。
6|主のわざに励みなさい
【55-58節】
55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
58 だから、愛する兄弟たちよ。
堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
死に至る原因は罪であり、罪とは神の価値観から外れることです。
キリストの勝利によって、「死」が滅ぼされることは既に確定しています。
だからと言って、神の価値観から外れてもよくなったわけではありません。
わたしたちは、神の価値観の中を歩むことを求め、そのわざに励む必要があるのです。
おわりに
いわゆる「福音の三要素を信じれば救われる」というのは、パウロの本意を正確には読み取れていない表現と言えます。
究極的には、生きている間に信じれなくても、知る機会すらなくても、すべての人は死んだ後──神の八日目に御座の前に立ち、神を見て信じ──新天新地を生きるでしょう。
キリスト教徒であってもなくても、八日目の命だけならキリストの勝利によって無条件に与えられます(これが福音です)。
パウロは、この章の最初にこのように述べていました。
【コリント人への第一の手紙 15章2節】
もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
これは、見ずに信じるキリスト者に向けた七日目の報いを指しています。
パウロは、八日目にすべての死人が復活すること、七日目はキリストが治める時代になること、六日間の終りにある再臨の奥義について語ってきました。
すべての人が復活する八日目とは別に、もしあなたがキリスト者であるなら、七日目にある神の王国の完全成就を治める者として体験できることが、最大の報いと言えるのです。
この特権にあずかるためには、「いたずらに信じないで」「言葉を固く守っておれば」という条件が付くのです(黙示録20章4-5節)。
【マタイによる福音書 7章21節】
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
いま、わたしたちが置かれている時代は、六日間の終わり、再臨直前の時代です。神の価値観の中にあって主のわざに励むことは、来たる七日目に備える最も確かな歩みとなるのです。
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