扱い方ひとつで、人の希望にも絶望にもなり得る
今回お話するのは「ある心理学の教材に書かれていた、たった一文」についてです。
それだけ?と思うかもしれません。しかし僕は、その一文に含まれた視点の偏りや配慮のなさが、静かに人を傷つけてしまう可能性を感じました。
その教材には、「子どものころに虐待を受けると、将来、自分の子に虐待をしてしまう可能性がある」という趣旨の記述がありました。
一見、耳にしたことがあるような話かもしれません。実際、研究でも“虐待の連鎖”という概念は存在しています。
けれど、それが「原因はこれです」と言い切るような形で、他の背景や説明もなくポンと置かれていたらどうでしょう。
その言葉を読む人が、被虐待経験を持っている人だったら?
「私は親になってはいけないんじゃないか」と思わせてしまうことはないでしょうか。
専門的な知識を提供する場だからこそ、「書かれていること」は重たく、
そのまま誰かの信念に変わってしまうこともあるのです。
■言葉は、人を救うことも、縛ることもできる
心理学や臨床の世界で使われる言葉は、単なる知識以上の意味を持ちます。
なぜなら、それは“人の心に触れるための道具”だからです。
言葉の選び方ひとつで、
「自分は大丈夫かもしれない」と思えることもあれば、
「自分には未来がないんだ」と思わせてしまうこともある。
だからこそ僕は、知識や事実を伝えるときには、その裏にある文脈や背景、そして何より“人への想像力”が必要だと思っています。
■「可能性がある」=「そうなる」ではない
確かに、過去に虐待を受けた人が、自分の子どもとの関係に不安を抱えることはあります。
でもそれは、その人が危険だからではなく、大切にしたい想いがあるからこそ不安になるのです。
むしろ、多くの人が「自分は絶対に同じことを繰り返したくない」と強く願って、努力を続けています。
それなのに、「可能性がある」とだけ切り取って提示してしまうと、それは“警告”ではなく“呪い”のように響くことがあります。
事実やデータを伝えることは大切です。
でもそれを「どう扱うか」「どこまで言うか」は、情報以上に大事な“態度”の問題なのだと思うのです。
この本は、心理職を目指す人に向けて書かれた教材です。
だからこそ、僕はとても残念に感じました。
もしこの記述が、「どうすれば虐待の連鎖を断ち切れるのか」
「虐待経験がある人が安心して親になるには、どんな支援があるのか」
そういった情報と一緒に語られていたなら、それは知識としてだけでなく、“希望”としても機能したはずです。
専門家を目指す人たちが、未来の誰かを支える存在になるならば、
まずその「知識の届け方」から、誠実さと想像力を育ててほしいと僕は思います。
“世代間伝達”。
この言葉、聞いたことがあるでしょうか?
「世代間伝達」とは、簡単に言えば、“親から子へ、無意識のうちに受け渡されていくもの”のことです。
それは必ずしも“悪いこと”ばかりではありません。
けれどこの言葉が、誤って使われたとき、とても重たく冷たい意味を持ってしまうことがあります。
「虐待の世代間伝達」と聞くと、
「虐待を受けた人は、また誰かを虐待してしまうんじゃないか」
そんな風に受け取られてしまうことがあります。
でも、実際にはそう単純な話ではありません。
本来この言葉は、「受けた影響がその人の内側に残り、無意識に関係性に出ることがある」という意味で使われます。
たとえば、
・親との距離感をつかみにくい
・感情を抑えるのが当たり前になっている
・相手の期待に先回りして応えようとしてしまう
そんな“反応のパターン”が、気づかないうちに自分の人間関係に出てくる
そうしたことも、広い意味での世代間伝達の一つです。
これは“因果”というより、“影響の軌跡”なんです。
もう一つ大切なことがあります。
それは、伝わるのは痛みや苦しみだけじゃないということ。
・「自分はこうなりたくない」と強く願った経験
・「あの時されてつらかったから、自分は絶対にしない」と決意した気持ち
・誰にも頼れなかった苦しみを、誰かには味わわせたくないというやさしさ
こうした“再現しないという意志”も、立派な伝達です。
過去を見つめ、そこから違う選択をする力。
それは、何も持たないところからではなく、痛みの記憶から生まれてきた新しい意思です。
世代間伝達という言葉は、本来、そこにこそ目を向けるべきものなのではないかと僕は思います。
■“単純化”は、偏見のはじまりになる
しかし、それを「虐待された人は、将来虐待するかもしれない」とだけ書いてしまえば、その人の中にある努力や選択の存在は、まるごと無視されてしまいます。
言葉が偏りをもって語られたとき、その偏りは、読む人の想像力を狭めます。
そして最も怖いのは、そうした表現が、
・「虐待された人は親にならない方がいいのかもしれない」
・「子どもを持とうとするのは無責任だと思われるのでは?」
そんな、誰にも言えない不安や自己否定を生んでしまうことです。
これはただの「知識の問題」ではなく、
人の人生そのものに影響を与えてしまう、とても重大なことです。
・人は自分の心の仕組みに気づくことで、選び直すことができる
・自分の親をなぞらなくても、自分のやり方で関係性を築くことができる
・支援や対話を通して、誰かに助けてもらいながら、自分を再構成できる
こうした視点と一緒に語られるなら、世代間伝達という言葉は「連鎖」の象徴ではなく、“回復の可能性”を見つける手がかりになるはずです。
心理学、医学、教育、占い、支援……
どんな分野でも「知識をもとに何かを伝える」という場面は避けられません。
でも、そのときに“ただの情報提供”になってしまうと、心は置いてけぼりになります。
たとえば、
「あなたはこういう傾向があります」
「こういうリスクがあります」
たしかにそれは、データや理論に基づいた事実かもしれません。
でも、それをどう届けるか、どんな余白と選択肢を持たせるかが、人を支えるか、壊すかの分かれ道になります。
■言葉は“診断”ではなく“対話”であるべき
「虐待の世代間伝達」は、単なるラベルではなく、関係性の中で慎重に扱うべき概念です。
それを一文で済ませてしまった教材の問題は、情報の不十分さだけではなく、“読み手との対話を放棄してしまっている”ことだと僕は感じます。
支援職や心理職を目指す人が、いつか誰かと向き合うとき、その人はきっと、こう問いかけてくるでしょう。
「私は親になってもいいんでしょうか?」
「同じことを繰り返してしまうんじゃないかって、怖いんです」
そのとき、知識を持っている側が返すべきなのは、
単なる正否や結論ではなく、「一緒に考えよう」という関係性の手渡しだと、僕は思います。
■支援とは、“選択肢を返す”こと
誰かを支える仕事というのは、「答えを教えること」ではありません。
「その人が、自分の人生をもう一度選び直せるように、光を当てること」です。
もしその人が「もう何も選べない」と思っていたなら、
「あなたには、選び直せる力がある」とそっと差し出すこと。
そのために必要なのは、
ただ正しいだけの情報ではなく、
誰かの足元を照らせるような言葉の選び方であり、
その人の声に耳を澄ませる姿勢です。
僕は、知識そのものが悪だとは思っていません。
むしろ、知識は人を救います。
虐待の構造を知ることで、「ああ、自分のせいじゃなかったんだ」と思える人もいます。
世代間伝達を理解することで、自分の中の怒りや恐れに理由があるとわかることもあります。
でもその知識が、人の痛みを無視した形で提供されたとき、凶器にもなってしまう。
だから、知識を扱う人に求められるのは、「何を知っているか」だけじゃない。
「どう伝えるか」「誰のために伝えるか」、その問いを手放さないことです。
■おわりに
この問題は、心理職だけの話ではありません。
言葉を使うすべての人に、そして学びを深めたいすべての人に、共通して問われていることです。
あなたが誰かの言葉に傷ついたことがあるのなら、きっとそれだけ、言葉の力を知っている人です。
だからこそ、誰かを守るために言葉を使える人にもなれるはずです。
言葉は、たった一文で人の未来を閉ざすこともあります。
でも同じように、たった一言で誰かの心に光を灯すこともあるのです。
どうか、あなたの知識が、あなたの誠実さと一緒に、誰かの手元に届きますように。
