心が壊れたのは、“壊される仕組み”があったから。
僕はこれまで、たくさんの方と出会ってきました。
家族に傷つけられてきた人。
そのつもりはなかったのに、誰かを苦しめてしまった人。
どちらにも共通しているのは、「自分の中に、正しさが感じられなくなっている」という苦しみです。
親に育てられるということは、本来なら一番安心できるはずの土台です。
でも、世の中にはその土台が、逆に心をすり減らす場になってしまうことがあります。
しかも、外からは見えにくい。気づかれにくい。
だからこそ、そこで起きていた「不自然な日常」に苦しみ続けた人ほど、自分を責めてしまうのです。
たとえばこんなふうに育った人がいます。
自分の感情を親に伝えようとしたら、「口答えするな」と叱られる。
納得できないことに対して疑問を持っても、「言い訳するな」と怒られる。
反抗すれば罰を受け、従えば少しだけ安心できる……
そんな環境で、“本当の自分”が育つ余地なんてなかった。
やがてその子は、「感じないこと」が生き残る術になっていきます。
自分の気持ちは、見ないほうが楽。
自分の欲求は、出さないほうが安全。
そうやって心の奥を凍らせて、なんとか日々をやり過ごしてきたのです。
これは、“わがままな子供”だったからではありません。
“その環境でしか、生きられなかった”からこそ、そうなったんです。
■周囲には「普通の家庭」に見えていた
不思議ですよね。
暴力や暴言がある家庭なら、周りも「ひどい親だ」と思ってくれるかもしれません。
でも、もっと分かりにくい形の支配もあります。
たとえば、生活費をきちんと出してくれる親。
教育にもお金をかけてくれる親。
一見すると「良い親」と言われるような人たちが、
その内側では、子どもの感情や自由をコントロールし続けていることもあるのです。
「あなたのためにやっている」
「こんなにしてあげているのに」
そんな言葉の裏に、子どもは「自分を殺してでも応えなければいけない」というプレッシャーを抱えてしまいます。
そして本人ですら、「こんな親に感謝できない自分が悪いのでは?」と混乱してしまうのです。
これが、愛情という名の支配です。
僕はいつも思います。
こういった状況に苦しんできた人は、本当によく頑張ってきたのだと。
人の心は、とても繊細で、でもとても賢い。
ちゃんと、傷つかないように、工夫して、生きてきたんです。
でも、その工夫がそのまま大人になってからの生きづらさに繋がることもある。
「自分の感情がわからない」「人との距離感がつかめない」「誰かに大切にされることが怖い」
そう感じる人は、壊れてしまったのではなく、壊されてしまった経験があるのかもしれません。
あなたが感じているその混乱や不安は、“異常”ではありません。
ちゃんと、理由があります。
ちゃんと、背景があります。
今ここで、少しずつでも「自分の感じ方は正しいのかもしれない」と思えたなら、それは回復への第一歩です。
もしかするとこの記事を読んでいるあなたは、
「自分は加害する側だったのではないか」と感じているかもしれません。
もしくは、自分を支配してきた誰かを「なぜあんなことを?」と疑問に思っているかもしれません。
どちらの立場であっても、大切なのは責めることではなく、理解することです。
それが、自分を取り戻すための手がかりになります。
■「自分を守るために、誰かを支配する」
加害する人が必ずしも“悪意に満ちた怪物”であるとは限りません。
むしろ、多くの場合は自分自身の痛みを抱えたまま、大人になってしまった人たちです。
たとえば、自分が親から無条件の愛を受けた記憶がない。
「ちゃんとしなければ愛されない」と教え込まれてきた。
そんな人が親になったとき、子どもに対しても「従わせること」でしか関係を築けないということが起きてしまうのです。
自分がしてもらえなかった“思いやり”や“尊重”を、どう表現したらいいのかがわからない。
それは時に、「こうするのが普通」「これが愛情なんだ」と、支配を正当化する形で表れます。
さらに複雑なのは、「自分は良い親である」と信じたい気持ちが、本人を内省から遠ざけてしまうことです。
心理学を学んでいたり、教育熱心であったり、見た目にはとても立派な大人でも、
内面では未整理の痛みや不安を抱えたまま、誰かに投影してしまっていることがあります。
他者の心を理解するための知識が、ときに「理解したつもりになるための道具」として使われることもあるのです。
これは決して珍しいことではありません。
人は、自分の心の深い部分を覗くのがとても怖い生き物です。
だからこそ、「分かっているふり」や「正しさの仮面」にすがってしまう。
ですが、その仮面の奥には、本当は誰かに理解されたかった“かつての小さな自分”がいることが、とても多いのです。
■誰もが「生き延びるため」にやってきた
支配する人も、される人も、根っこにあるのは「生き延びるために身につけたかたち」です。
・感じないようにすることで、心を守った人
・他人をコントロールすることで、孤独を避けた人
・怒りによって、自分の存在を証明しようとした人
どれも、本当はただ「わかってほしかった」「大切にされたかった」という、切実な願いの裏返しです。
それが歪んだ形であらわれたときに、周囲との関係が壊れてしまう。
しかし、歪んでしまったからといって、その人の価値がなくなるわけではありません。
そこには必ず、「そうならざるを得なかった事情」があるのです。
ここで大切なことをお伝えしたいのですが、
僕は、「支配してきた親を許しましょう」と言いたいわけではありません。
理解することと、赦すことは、まったく別の行為です。
許すことがつらいなら、無理にしなくていいんです。
むしろ、自分の感情を大事にすることが、何よりの癒しになります。
でも、自分を苦しめてきた構造を“知る”ことは必要です。
なぜなら、知らなければ、無意識のうちにそれを自分が繰り返してしまうことがあるから。
「自分は同じことをしない」
「苦しみを終わらせる場所に立ちたい」
そう思ったとき、必要なのは“責めること”ではなく、“仕組みを見つめ直すこと”です。
あなたが今、少しでも「おかしかったのは自分じゃない」と思い始めたのなら。
そして、「もう同じ痛みは誰にも渡したくない」と願っているのなら。
その気持ちは、過去の連鎖を断ち切る“始まり”です。
■心は“無理に変える”のではなく、“ほどいていく”もの
生きづらさや、人との距離のとり方に悩んでいると、
「どうすれば正常になれるの?」「ちゃんとしなきゃ」と焦ってしまうことがあるかもしれません。
でも、僕は「治す」よりも「ほどく」という言葉のほうが好きです。
なぜなら、あなたが身につけてきたその反応や態度は、どれもその場を生き延びるために必要だった“習慣”だからです。
感情を感じないことも、相手の顔色を伺いすぎることも、怒りっぽさも、無関心も。
それらはすべて、かつての自分を守るために覚えた反応です。
だから、まずは「いきなり変わる」ことを目指さなくていい。
「自分は、こうやって守ってきたんだな」と気づくところから、回復は始まります。
では、その次はどうすればいいのでしょうか。
僕は、「少しずつ“今の自分”に選ばせてあげること」が大切だと考えています。
たとえば、
・嫌なときに「嫌だ」と言ってみる
・誰かに気を使いすぎたと感じたら、自分の内側の声を聞いてみる
・すぐに我慢せず、「どうしたい?」と自分に問いかけてみる
最初はきっと怖いです。うまくいかないことも多いかもしれません。
でも、それでいいんです。
僕たちは、これまで「自分を無視する生き方」しか教わってこなかったのだから。
何度もやり直して、試して、失敗して、そして少しずつ、
“他人のため”ではなく、“自分のため”に動ける感覚を育てていける。
それが、本当の意味での「自分を生きる」ことなのだと僕は思います。
■加害の側にいたと感じる人へ
もしもあなたが、「自分は誰かを傷つけてしまった」と感じているなら、
自分をひどく責める前に、ぜひ思い出してほしいことがあります。
それは、あなたもまた、心のどこかに「痛み」を持っていたということです。
不器用な表現しかできなかったかもしれません。
誰かをコントロールしないと不安だったのかもしれません。
でも、その根っこには「わかってほしかった」「必要とされたかった」そんな想いがあったのではないでしょうか。
だからこそ、あなたが今、「変わりたい」と思っているなら、それは十分すぎるほどの出発点です。
過去にしてしまったことの責任を否定するのではなく、「これからは違う形で、人と関わっていきたい」と願うこと。
それが、連鎖を止める大きな力になります。
最後に、あらためてお伝えしたいことがあります。
それは、あなたの人生は“あなたのもの”だということです。
誰かの期待に応えるためでも、誰かを満足させるためでもなく、
“あなたがどう生きたいか”を大切にしていいんです。
たとえ今はうまく感じられなくても、その感覚はあとからでも、ちゃんと育てていくことができます。
そしてそれは、何歳からでも、どんな過去があっても、遅すぎることはありません。
これまでのお話を通じて、もしあなたの心に少しでも安心が届いたなら、それだけで僕はとても嬉しいです。
生き方を変えていくというのは、思っているより孤独なことです。
でも、もしここで出会えたのなら、どうか忘れないでください。
あなたの感じてきたことには、理由がある。
そして、これからの生き方は、自分で選びなおしていい。
一歩ずつ、一緒に歩いていきましょう。
読んでくださって、本当にありがとうございました。
