55歳、俺、母になる!?⑮【#創作大賞2025#エンタメ原作部門】
翌朝。
看護師の診察の声で目覚めると、
全身が筋肉痛だった…
会陰には鈍い痛みが走り、寝返りすら怖い。
(……ボロボロだな…)
想像していた“出産の翌日”とはまるで違う。
ただただ、つらい…
そんな中、真鍋がやってきた。
「今日から母子同室ですよ~」
優真は小さく寝息を立てたまま、
ベビーベッドで運ばれてきた。
(……この子が、優真…)
胸の奥がじんと熱くなる。
でも、どこかまだ現実味がない…
(父親でも母親でもないが……俺なりの親になろう)
小さく、覚悟が芽生えた。
***
真鍋の指導で、
ミルクの作り方とオムツ替えを学ぶ。
計量にお湯加減、消毒、ゲップの出し方…どれも手間がかかり想像以上に神経を使う作業だった。
「じゃあ次はひとりで頑張ってみて!
わからないことがあったら言ってね~」
あっさりと言い残し、真鍋は部屋を出た。
(えっ…いきなり!?)
しばらくすると、
優真がふにゃふにゃと泣き始めた。
教えてもらった通りにおむつ替えをするが、
開始三十秒で、すでに詰んでいた…
「テープ……ここで合ってるのか?
ちょ、足動くなって……!」
暴れる優真に翻弄され、
お尻はどんどんズレていく…
服の裾まで湿っていて、
完全にパニックになっていた。
「お、おい嘘だろ……!?
なんでこんな漏れてんだ?!」
そこへ真鍋が様子を見に戻ってきた。
「あらあら、手伝うわね!」
にこやかな笑顔でテキパキと処理していく真鍋。
足を固定し、あっという間に新しいおむつが装着された。
「最初はみんなこんな感じよ〜。焦らなくて大丈夫!!」
「……は、はい……」
「毎日、何度もやるんだもの。すぐに慣れるわよ」
(………これを毎日…何回も……)
「そろそろ母乳もしてみる? 」
言われるがまま、小さな顔を胸元に近づける。
「っ……痛っ……!」
「……少し血も出てるわね。大丈夫?」
「が、頑張ります……」
思わず顔が引きつる。
「無理しないでね。焦らずいきましょ」
優しく言われても、健一は動揺を隠せなかった。
(みんな、こんな痛いのに普通にやってたのか…)
赤ん坊は自然に吸い付き、
母親たちは痛みを見せずにあげていた。
こんなことを、当たり前のように毎日してるなんて……信じられない…
(……痛いのは俺だけ…か…?)
命を育てることが、こんなにも痛みを伴うなんて、
誰が教えてくれただろう…
だが、これはまだ、
ほんの序章にすぎなかった…
***
夜になり、健一もようやく眠ろうとした。
だが、それは思い違いだった。
優真は、むしろ昼よりも元気だった。
食後3時間おき……
いや、それより短い間隔で泣き出す。
痛みを抱えた身体で、オムツを替え、
母乳とミルクをあげる。
ゲップをさせ、寝かしつけて、片付けて─
ようやく座れたと思ったら、また泣き声が響く…
(……うそだろ……)
まさか“3時間おき”が、
ここまで過酷だとは思わなかった。
(頼むから……寝かせてくれ……)
健一はそのまま、ベッドに崩れ落ちた…
コン、コン。
ノック音で目を覚ます。
まぶたが重く、視界が霞む。
「おはようございます。眠れましたか?」
入ってきた看護師が、優しく声をかけてきた。
外はもう明るく、
青白い朝の光が病室に差し込んでいた。
「……いえ……まぁ……」
本当はほとんど眠れていない。
でも、それしか言えなかった。
これが“親”になった朝なのだと、
受け入れるしかなかった…
「赤ちゃん、お預かりできますよ。
無理なさらず、お母さんは休んでくださいね。」
その言葉に、健一は一瞬、返事ができなかった。
休めと言われたのに、なぜだか胸がつまる。
(……預けていいのか? いや、でも……)
ボロボロになりながらも昨夜をなんとか乗り切った。
でも、もう限界だった。
思考も曖昧で、起き上がる気力すら残っていない。
だが、預けることにうしろめたさがあった…
「お母さんは少しでも身体回復させてくださいね」
「……お願いします」
声を絞り出すのがやっとだった。
胸の奥がふっと緩み、涙が滲みそうになる。
たった1日なのに、自分でも気づかないうちに、
張りつめすぎていたのかもしれない…
その後も病院にいる間は預ける時間を活用して
身体を回復することを優先した。
けれど、
こんなに甘えられる生活は長くは続かない……
***
退院を明日に控えた夜。
健一は不安でいっぱいだった。
身体はまだボロボロで、
授乳、オムツ替え、抱っこ……どれも上手くできている気がしない。
(この状態で、明日から家で育てていけるのか…?)
そんなことを考えていた矢先、優真の泣き声がまた病室に響いた。
「……またか……」
オムツでもミルクでもなく、
抱き上げてあやしても、何をしても泣き止まない。
優真の顔は真っ赤になり、声はどんどん大きくなる。
「……なんでだよ」
焦りと疲労で、健一の頭はどんどん濁っていく。
そのとき、ノックと共に病室の扉が開き、真鍋が顔をのぞかせた。
「あら〜、優真くん、どうしたのかな?」
「全然わからないんだ……
ずっとこんな感じで……」
健一は視線を落とし、つぶやいた。
「母親が抱けば泣き止むんだろ……。
母親じゃないからなのか……?」
“美弥じゃない”ことへの後ろめたさと、
自分の無力感が、ひとつになって
つい、言葉に出てきてしまった……
けれど、目の前の真鍋はまったく動じなかった。
笑顔のまま、やわらかな口調で返す。
「何言ってるの〜。ママが抱っこしてても、泣くときは泣くのよ?」
「……え?」
「泣き止むように見えるのはね、
ママがその子のことを、たくさんお世話して、
一緒に過ごしてきたから“分かるようになった”の。
なぜ泣いて、どうあやせば落ち着くか…
その引き出しがちょっと多いだけよ」
その言葉に、健一は驚きを隠せなかった…
今までずっと、泣き止まないのは
自分が父親だからだと思い込んでいた。
由美のように「母親」でないと、
子どもは安心できないんだと、諦めていた。
由美もきっと、
最初から「お母さん」だったわけじゃない…
泣く子に手を焼いて、何度もため息をつき、
試行錯誤しながら、
少しずつ“母親”になっていったんだ…
(……俺は、何も知らなかった……)
優真の泣き声が少しずつおさまり、
腕の中で静かな呼吸だけが聞こえていた。
(……やっと、泣き止んだ…)
「ね、今のも美弥さんが頑張ったからよ」
真鍋の明るい声に、健一は小さく頷いた。
明日からいよいよ“親”としての生活が、
本格的に始まる──
──第⑯話へつづく
