55歳、俺、母になる!?⑤【#創作大賞2025#エンタメ原作部門】
日記のつづき
〇月〇日
昌也さんから連絡が来なくなって3日。
メッセージも電話も反応がなくて、
胸がざわついていた。
今日、休憩室で先輩がスマホを見せてきた。
「ねえ、これ見て。
昌也さん、奥さん美人だよね~」
画面には、奥さんらしき女性と
小さな子どもと笑う昌也さん。
――家族?既婚?子ども?
何も聞いてない。
信じてたのに。
「好き」も、キスも、全部、嘘だったの?
お腹にあなたの子がいるのに、
あなたはもういない。
世界がにじんで、遠くに見えた。
ねえ、誰か、これが夢だって言って。
〇月〇日
今日、久しぶりに昌也さんが営業で会社に来た。
連絡はずっと無視されてるけど、
少しだけ期待してた。
でも、目が合った瞬間、心が折れそうになった。
他の人とは笑ってるのに、私には目も合わせない。
勇気を出して話しかけたけど、
「今、時間ないから」って背を向けられた。
嘘だってわかる。
こんな冷たい人じゃなかった。
本当は、「結婚してるの?」って聞きたかった。
自分の耳で、答えを聞きたかった。
でも彼は逃げるように去っていった。
好きだった人が、何も言わず私を避けていく。
「赤ちゃん、できた」って伝えた日から、
全部が壊れた。
ただ、嘘じゃない言葉がほしいだけなのに。
今日もまた、静かに涙がこぼれた。
〇月〇日
全部信じてた。
優しさも未来の話も、本気だと思ってた。
でも、あの人には家庭があった。
子どもまでいた。
知らなかったのは、私だけ。
「産まない選択もある」
――あの言葉、忘れられない。
この子は、生きてる。
騙されたけど、もう迷わない。
私はこの子を産んで、生きていく。
たとえひとりでも、ちゃんと、お母さんになる。
〇月〇日
前を向こうと決めたのに。
強くなろうとしたのに。
職場で視線と噂が飛び交ってる。
「相手、既婚者らしいよ」
「しつこく迫ったんだって」
知られたくなかった“妊娠のこと”まで、
最悪な形で広まった。
知ってるのは、私と昌也さんだけ。
誰が言ったかなんて、もう分かってる。
信じた私がバカだった。
でも、どうしてここまで…
私はただ、この子を大切に育てたかっただけ。
出勤するだけで心が折れそう…
それでも守るべき命がある。
だから泣いてばかりはいられないけど――
今日は、少しだけ泣かせてください。
〇月〇日
仕事帰り、コンビニ前で中学の同級生・莉緒に
ばったり会った。
「元気ないけど、大丈夫?」
そのひと言に、強がってた心がゆるんだ。
誰かと他愛もない会話をしたの、
久しぶりで嬉しかった。
また会いたいな。
〇月〇日
今日、上司に呼び出された。
「少し有給を使って休んだ方がいい」
――あの噂が、上までいったんだ。
悔しくて情けなくて、
言葉より先に涙が出そうだった。
でもどこかで、ホッとしている自分もいた。
もう、限界だったのかもしれない。
〇月〇日
誰にも「おめでとう」と言われない命は、
こんなにも孤独なんだ…
一緒に喜んでほしかったあの人は、
私たちの存在を消そうとしてる。
私は間違ってたのかな。
この子を守りたいなんて、ただの思い上がり?
何もない私に、守り抜ける力なんてあるの?
味方も、支えてくれる人もいない。
全部終わらせた方が楽かも……そう思ってしまった。
「ねぇ……あなたは、生まれてきたい?」
返事なんてない。
でも、お腹に手を当てた瞬間、
かすかにあたたかさを感じて、また泣いた。
絶望して、あなたの声を聞こうともしなかったこと、ごめんね。
まだ選べないあなたに、
苦しみを背負わせてごめんね…
もし少しでも「生まれたい」と
思ってくれているなら、私はどうすればいい?
ねえ、教えて。
どうすれば私は、お母さんになれるの?
健一は 、
心が押し潰されそうになりながら
日記を閉じた。
それは、誰にも届かなかった美弥のSOSだった。
胸の中に押し寄せてくるのは——
取り返しのつかない罪悪感と、
“誰かの人生”の重みだった。
俺は今まで、
「父親と違って、母親は自然に
育児ができるようにつくられてるんだろ」
「赤ちゃんができたら、
自然と“母親スイッチ”が入るんだろう」
「母親ならなんとかするだろ」って、
なんの根拠もなく
そんなふうに思って押しつけてた。
あの頃の俺は、どこまでも無知で、傲慢で、
命の重さなんて知らなかった。
だけど、今——
俺は、この体で吐き気に苦しんで、
思うように動かない体で階段を降り、
何を食べても気持ち悪くて、
時間がすぎるのを待つことしかできない……
日記を読みながら、何度も美弥の心の声が
お腹の奥に響いてきた気がした。
「私、どうすればお母さんになれるの?」
それは俺への問いかけだったのかもしれない。
母親は、生まれつきじゃない。
どれだけ不安でも、
逃げたい夜があっても、
「産む」と決めた人だけが たどり着ける場所。
……俺は、それを知らなかった。
覚悟と、葛藤と、
向き合う強さの先にあるんだ。
今なら、そう言える気がする……
いつのまにか、お腹に手を当てて
「大丈夫だよ」と言ってる自分がいた。
——そのときだった。
急に、けたたましくスマホが鳴り出した。
美弥のスマホの画面に浮かぶ名前。
《 莉緒 》
……ん……?…誰?
(日記に書いてあった同級生か……?)
っていうか、今出たらまずくないか俺。
心臓が跳ね上がり、手を伸ばしかけて止めた。
バイブ音だけが部屋に響く。
出ない。いや、出られない!
俺、中身は中年男で妊娠中の女の体って……
ムリすぎだろ。
ってまず、誰が信じるか!
震えが止まり、通話は切れた。
……ふぅ。助かった。
そう思った瞬間──
《 もうすぐ美弥の家着くかも。会える? 》
メッセージを見て、凍りついた。
えっ、待って、来んの!? 今!?
──第⑥話へつづく
