見出し画像

【エッセイ】大学生ではない大学時代

妻とのなれそめを一言でいうと、『友だちの妹』、である。

その友だち(妻の姉)とは、大学で出会った。と言っても、ぼくは大学生になったことはない。でも大学生の年のころ、大学でバイトしていたのだ。

その大学では、たくさんの友だちと出会った。以前書いたエッセイの、ギター弾き語り友だちのKくん、「海がきこえる」の話を未だにするU。名古屋の隣の日進市出身なのに、名古屋出身と言いはるN。終電を逃してよく泊まりに行ったHの家。スピッツの歌詞だけのメールのやりとりをしたMさん。

大学生じゃないのに軽音サークルに入って、バンドを組んだり、バイトの合間にこっそり講義を聞きに行ったり、みんなで海に行ったり、自転車で房総半島一周する旅に出てみたり、初めての彼女ができたのもこのときだ。

そんな友だちの中の一人に、妻の姉となる彼女もいたのだった。そんな彼女が結婚をしたのは、彼女が大学を卒業して4年後くらいのことだ。当時ぼくは大学バイトでできた彼女との別れを引きずったり、他の誰かを好きになったり、自分の容姿や生き方に絶望しているようなとき。彼女はぼくを結婚式の二次会に呼んだ。場所は出会った大学の構内だった。

ぼくもバイトを辞めてから、彼女とはあまり接点がなくなったのだが、なぜか、彼女のお兄さんとは、縁が切れなかった。そのお兄さんが、「二次会でいっしょにギター弾いて歌おう」と誘ったのだ。

初めて会ったときも、お兄さんはギターを抱えていた。そうして、なんの躊躇もなく、オリジナルソングを歌った。これが、めちゃくちゃ上手くない。歌もギターも、全然。なのに、ぼくはそれにえらく感動してしまった。こんなに下手なのに堂々と、楽しそうに歌っている。だけど、誰にも真似できない温かさがある。こんな人、出会ったことない。ぼくとは正反対。だから、憧れにも似た想いで、お兄さんとは縁が続いた。

そんなお兄さんと、そのお兄さんの奥さんといっしょに、二次会の余興で、みんなで作ったオリジナルソングをギターを弾いて歌った。それは、とてもあたたかいやさしい思い出になった。

そのとき、その二次会の司会をしていたのが、彼女の妹、今の妻である。そのときか、そのまえに打ち合わせで会ったのが初対面だった気がする。

その二次会のあと、妹と何度かお茶をすることになったが、まるでぼくらの会話は噛み合わなかった。だから、この先何か進展があるとも思うことはなかった。

それでもお兄さんだけは、ぼくに毎年年賀状をくれた。それからお兄さんが個人的に発行していた、自分の日々の出来事を絵と文で綴った「むじん新聞」という名の手紙が、定期的に届いた。それに返事をすることもなかったのに、気にすることもなく、ずっと。

やがて、妹(妻)からも手紙が届いた。
「詩集を作ったので、会ってください」と書いてあった。

ぼくは、そういえば、最後に会ったときに借りた本を返していなかったんだっけ、と思い出した。それだけ返そうと、会うことにした。最後に会ってから9年後だ。

そうして会ってみた妹と、なぜか話しが弾んだ。あんなにも噛み合わなかったのが嘘のようだった。ぼくはその間、北海道に行ったり帰ってきたりとフラフラして、やっぱり北海道で暮らしたい! と決意をしたところだったのだけど、揺らいでしまった。揺らいだまま、妹は「私と結婚したら、〇〇(お兄さん)と兄弟になれるよ」と言った。

うっ、キラーワードだ、と、ぼくはますます揺らいだ。あのお兄さんと一生遊べるのか。楽しいに決まってる。

ぼくはこのころ、恋愛に疲れていた。
情熱的に誰かを好きになって、多少報われることもあるけれど、ずっと足りない何かを探しているような感じがした。傷つき、傷つけ、ボロボロになってしまう。
もう、やめたい。

そうしてぼくは、流された。いや、もう任せた。宇宙がそうしろって言ってる気がする。手放そう、全部。

こうして、一年の付き合いの後、ぼくらは結婚した。友だちだったお姉さんもお兄さんも、正真正銘、ぼくの『きょうだい』、である。

「あの歌があったから、二次会、ほんとにいいものになったよ」

お義姉さんは、のちに、ぼくにそう言った。
それですべてが報われたような気もした。

ぼくが大学生でもないのに、大学に行っていなければ、こんな世界線はパラレルワールドで燻っていたかもしれない。別のパラレルワールドがあるのかもしれないが、ぼくの『大学』の思い出は、なかなかレアなものだと思っている。


*ちなみに友だちなので、お義姉さん、お義兄さんと呼んだことはない。お義姉さんの旦那さんも年が同じなので、愛称で呼んでいる。


コッシーさんのとこから来ました。
関東勢ですけど、お願いします!

そんな妻とぼくの出演するライブ、興味がありましたら、お気軽にお問い合わせください🙇




いいなと思ったら応援しよう!