【連載小説】優しい人々(10)
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あらすじ
印刷会社で働く須原浩樹は、パワハラが横行する職場で上司に盾突き、クビになった。守るべきものを探しに、辿り着いた場所は、北海道の山間の雑貨屋。そこで出逢った人々は、みんな心にわだかまりを抱えて生きていた。父親を嫌いだった雪さん、借金や彼女の死を背負いながら、明るく生きる、ひださん。自分を好きになれずに、20も上の男性と暮らしている麻衣。浩樹は彼らと話すことで癒やされ、彼らもまた浩樹の存在に癒やされていった。ひょんなことから、彼らと映画に出演する話が持ち上がり、物語はクライマックスへ。浩樹は、彼らは、それぞれに「守るべきもの」を見つけることができたのだろうか。
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第十話(全13話)
●日高義康
彼女のことなんて言うつもりじゃなかったんだよな。というか、誰にも言ったことのないことだったし、これからも言うことはないって思ってたんだよな。予想通り、答えに困っていたし。けど、あいつにはなんか言っていい気がした。そんなやつ、今までいなかった。このままあいつがここにいたら、他にもいろんなこと言う気がするな。彼女の裁判の弁護士費用のために、俺が借金を背負ってる こととか、俺も園さんの店先の木の間で寝てたこととか。園さんの着てきたコートにたまに抱きついてる、とか、あ、いや、これはやめておこう。これは、園さん、さすがにキレるかもしんねぇ。とにかく、あいつはたぶん、いい奴だな。俺は園さんの飲みかけのコーヒーをもう自分のもののように飲む。そうして、泣けてくる。パンドラの箱ってやつは、全部の感情が詰まった箱だって誰かが言ってた。喜びとか悲しみとかじゃなくて、憎しみとか怒りとか全部。その箱を開けると、その感情が全部飛び出るとか、そんなの。全部飛び出て、最後には希望だけが残るんだって。彼女が死んだとき、誰かがそんなことを話してたっけな。未だにその希望は現れないし、いつまでも残っているのは、後悔と悲しみだけだ。その希望ってやつはどこだ。ふとした瞬間にそういうのが襲ってくる。あー、ダメだ、笑え、俺! と思っているとき、グーと腹の虫が鳴いた。腹が減ってるからいけないんだ。すんち、気を利かせてパンでも買ってきてくんねぇかなー。 それにしても遅いな。本当は、虫なんかいないのに。ただ俺が重い空気を作ってしまったから、適当な嘘をついて追い出しただけなんだけどな。擦むいた腕が痛いのは本当だけど。戻ってきたら「虫じゃなくて、俺が屁をこいただけなんだよねー、ごめんごめん、ははは」とでも言っておこう。
ガラガラ。ドアが開く音がした。 やっと帰ってきたかと、腰を上げると、それはすんちではなく、お客さんだった。そういや、映画の撮影来てるっていうのに、客入ってこないよなあ、だいじょうぶか、この店。
「いらっしゃいませ」
営業用の口調になって俺は笑顔を浮かべる。女性客だ。おそらく同世代。連れはいない。すらっとした長い黒髪と、ロングスカート。 顔はよく見えない。彼女は俺のいらっしゃいませの言葉に、頭を下げた。しばらく彼女の様子を伺う。彼女は店内の雑貨を物珍しそうに見ている。 機を見て俺は声をかける。
「ご旅行ですか?」
彼女がこちらを向く。
「はい」
「どちらからですか?」
「台湾です」
台湾からの観光客に物珍しさは感じない。特に冬は雪が見たくて北海道にくる。ただ四月に、しかも一人でくる理由は見当たらない。そして、彼女の日本語は、流暢だ。正解がわからない俺は、とりあえず笑顔を浮かべて言う。
「歓迎光臨」
おっ。という表情を浮かべてから、彼女は「いらっしゃました」と笑う。「いらっしゃませ」と言われてもなんて返していいかわんないよな。「いらっしゃいました」は、いい返しかもしれない。
「日本語、お上手ですね」
「夫が、日本人です」
「あぁ! それで!」
身ぶり手ぶりで大きく体と手を動かすと、彼女は笑いながら、「あなたはちょっと日本人ぽくないですね。 シャイな感じがしません」と言って俺に向けていた掌を、口元にやった。
「あなたは、やまとなでしこみたいですね」
「やまとなでしこ?」
「日本の美しい女性みたいです」
「ありがとう」
彼女は丁寧にお辞儀をする。旦那さんが日本人だからといって、そう簡単にやまとなでしこになれるわけじゃないよな、と俺は思う。彼女が見ている方向に、木彫りのクマの雑貨がある。鎖膨りいう彫り方をしたそのクマは、三頭が腕を組んで笑っている置きもの。
「一つの木、離れない」
ポップに書かれたその文字を、彼女はつぶやいた。
「それ、鎖彫りっていって、一つの木からできているんです」
彼女はそれに手を添える。買ってくれるかもしれないと思いながら、少し淋しげな表情を浮かべるその人には、それ以上言うのはやめた。
「このクマは、親子なのですか」
「親子だと思えば親子ですし、家族だと思えば、家族です」
「日本語、難しいです。 親子と家族は違うのですか」
「それはたぶん、心にあります」
「心?」
彼女は手を自分の胸に当てる。
「心にいる守りたい人のことだと思います」
ガラガラガラ。扉が開く。お、すんちだ。
「おー。おかえり」
俺が言うと、すんちはお客さんに気付いて、遠慮気味に「ただいま」と言った。律義に殺虫剤を持 っている。もういらねぇっていうのに。 俺の心は笑う。
「これ、ください」
彼女は三頭のクマを指さす。 やった、売れた。ラッキー!
「はい、よろこんで!」
「居酒屋?」
と、すんちが聞いてくる。
「どこがだよ」
「あるでしょ、そういう掛け声の居酒屋」
「ねぇよ。あ、すみませんね、すぐ包装しますね」
彼女に向かって、頭を下げる。すると彼女は笑顔を浮かべ「いいえ、よろこんで」と、本当にやまとなでしこみたいに、しなやかに言った。「しなやか」なんて、いつ以来思い出した言葉だっけ。俺の辞書にそんな言葉が載っていたとは。 包装し終えた品物を彼女に渡すと、彼女はまた丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。 あ、おふたりは兄弟ですか?」
そう聞かれて俺とすんちは顔を見合す。どこが? あきらかに似ていない。そしてあきらかに俺の方がイケメンだ。
「似てます?」
と聞いてみる。
「はい、なんとなく。家族と言えば、家族、ですか?」
またすんちの顔を見てみる。えーやだな。こいつはいいやつだけど、顔はよくない。 彼女のほうに顔をやって、苦笑いを浮かべた。
「そうかもしれませんね」
「また、いつか来ます」
ドアに手をかける彼女に俺は言う。
「欢迎下次光临」
彼女の動きが一瞬止まる。
「はい、必ず。再見」
彼女が出ていくと、すんちは殺虫剤を机に置いた。
「中国語ですか? 最後」
「そう、あのひと台湾人だったから。「またお越しください」、接客用語だよ」
へぇ、という顔をしたすんちを見ているが、やっぱりどこも俺とは似ていない。
「なんすか」
「いや」
「あぁ、そうだ、ちょっと映画に出てきますんで」
映画? すんちが? なんの話だと、俺は身を乗り出す。「行ってきます」と言うすんちのあとを俺は付いていく。
「ひださんは店にいたほうが」
なんだか面白そうなことがあるというのに、俺はここにいろと言うのか。そうはいくか!
「俺も行く」
「行くって、言われても」
「行くって言ったら行く」
「でも、店番頼まれてるじゃないですか」
「俺を誰だと思ってるの、きみは」
「遅刻しまくる人です」
「遅刻しまくる店長代理だよ」
「遅刻しまくるところは否定しないんですね」
「重要なのは、店長代理ってとこさ。園さんがいないってことは、俺の判断が店長の判断と言っていいわけさ」
「違う気がしますけど」
ガラガラ。またお客さんか、と焦る。ここでお客さんが来たら、こいつに逃げられてしまう。やばい。と思ったら、そこには麻衣さんが立っていた。
「あの、早くしてほしいみたいですけど」
麻衣さんがすんちに声をかける。俺はそのあいだに割り込む。
「麻衣さん、すんち、映画に出るらしいんだけど、知ってます?」
「知ってますよ。わたしも出ますけど……」
え!! なんだ、この展開は! よくわからないが、やっぱり面白くなるぞ!!
「マジすか!」
驚く俺とは対照的に、麻衣さんはいつもようにローテンションだ。落ち着いてる、というよりは、どんよりしているという印象が強い。でも、今日はまだちょっと「どんより」はしていない。映画に出るからか。
「というか、日高さん、なんでいつもわたしに敬語なんですか?」
「そりゃあ、先輩だからですよ。俺より前にこの町にいるんだし」
あたりまえのことを答えると、麻衣さんは「そうですか」と聞き流すかのように答えた。どうもこの子とはうまく噛みあわない。まぁ、いいんだけどね。
「ってことで、行ってきますんで」
すんちが歩きだして、麻衣さんの手を(正確に言うと、手首を)取った。
「え? そういう仲?」
「どういう仲っすか? じゃぁ、留守番頼みますよ、店長代理」
くっそー。絶対行ってやるからな。そんで見切れてやるからな。ガラガラと音を立ててふたりは出て行った。
つづく
第十一話↓
