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二度と田舎には住みたくなかったのに──36歳で北海道に移住して見えた現実と希望

「もう田舎には住みたくないから」

新卒で入社したNTT東日本を26歳で退職した理由の一つだ。

初期配属は茨城支店。東京生まれで、実家は長年埼玉にあり、ほとんどの親戚も首都圏に在住。地方というものを知らずに生きてきたわたしにとっては、関東の茨城県、しかも県庁所在地である水戸市でさえ、「田舎」に感じた。

電車の本数が少ない。
デパートに着たい洋服が売っていない。
同僚と飲みに行くのにも車が必要。

電車で新宿でも渋谷でもどこにでもすぐに行けて、高校生の頃からラフォーレ原宿で服を買い漁っていたわたしにとっては、水戸の日常は受け入れがたいものだった。毎週のように東京に帰っては、東京在住の友人と飲みながら彼らを羨み、愚痴を重ねた。

そんなわたしが、東京でのキャリアを手放し、36歳にして北海道に移住することを決断した。しかも札幌でさえなく、積丹半島の付け根、余市町に。

移住を決めた理由は、ワイナリーの後継ぎになるためだ。日本でも有数のワイナリー地帯となりつつある余市の中でも、確固たるワインづくりの方針を持ち、すばらしい景観を備えたオチガビワイナリーの後継者候補として声をかけていただいたことで、移住という転機を得た。

もちろん、この決断を下すためにはさまざまな葛藤があった。これまでコンテンツ・ITの業界で築いてきたキャリアは途絶える。ワイナリーの仕事がダメになったとき、同じような仕事を、同じような条件で北海道で探すのはほぼ不可能だろう。

夫もわたしも、北海道にはなんの地縁もない。困ったときに頼れる人はいない。狭い町、狭いコミュニティで、“内地”から突然やってきた若造夫婦が受け入れてもらえるかもわからない。

不安はたくさんあるが、それでも移住することを決めたのは、とある考えがあったからだ。

それは今後、北海道に「地の利」が出てくるのではないかということだ。

北海道の”伸び代”にかけてみたい

温暖化が進み、一年の半分が夏のようになりつつある東京は、年々暮らしづらさを感じるようになっていた。駅から会社までのほんの数分の距離を歩くだけでも、アスファルトの照り返しによる灼熱地獄で体力が削られる。不安定な気候により、毎年なにかしらの野菜の不作のニュースを耳にする。

北海道の冬が厳しいということはもちろん知ってはいるけれど、それでも、ひどい湿度の東京の夏と天秤にかけると、雪と寒さのほうが耐えられる気がした。それに北海道だって少なからず温暖化の影響を受けているので、雪の量も年々減っている。数十年という長いスパンで考えたら、北海道が日本で一番暮らしやすい気候になるかもしれない。

去年の7月のオチガビ。風が気持ちよかった

加えて、北海道にはまだまだ土地がある。居住地としての土地が東京より買いやすいのはもちろんのこと、ラピダス工場の建設に象徴されるように、今後さまざまな会社が北海道に進出してくる可能性も考えられる。

今後の世界情勢を考えると、食糧自給率を上げることは日本にとって重要な課題となるが、その点においても北海道は強い。観光の点でも、ニセコや富良野を中心としたインバウンド需要は伸び代がまだまだありそうだ。

そのうち、日本の産業の重心が北海道に寄ってくるのではないか──ワイナリー後継の話を引き受けた直感を正当化するための皮算用でしかないかもしれないが、北海道に根を下ろすことは合理的に思えるようになってきた。

それに何より、20代の頃に感じていた「東京」の魅力は、この歳になるとそこまで大切な要素に感じられなくなってくる。東京の便利さや楽しさを十分に享受できた今だからこそ、それを手放し、浅はかな視点で昔は馬鹿にしていた「田舎」にもう一度向き合ってみようという覚悟ができた。

雪に埋もれるぶどう畑。移住を決めた理由のひとつでもあるオチガビの風景は、冬も壮観だ

小さな町だからこそ感じる、”人”の重み

実際に北海道に住んでみて、約3ヶ月。まだまだ冬の一時期を経験しただけで、余市のこと、地方に暮らすことをからだで理解できたとは到底言えない。けれど、生活しながら、仕事をしながら、少しずつ見えてきたこともある。

暮らしてみて、予想外にもよかったことは、移住者であるわたしたちへの歓迎ムードだ。

余市町は町をさらに細かく分けた「区会」という単位があり、区会ごとに長がいる。引越し直後に区会長に挨拶にいくと、いたく歓迎された。しかも偶然にも、区会長は定期的に仲間を集めたワイン会を開くほどのワイン好きだった。実際にその会にも招かれ、ワインが好きな人たちと交流することもできた。

町でもワイン会が開催されている。かなり盛況だった

一方で気になるのは、地元で我々の同世代と知り合う機会がほとんどないことだ。ワイン会にも30代はいたが、彼・彼女らは札幌から来ている人だった。子どもがいれば、父母コミュニティで同世代や若い人と出会えるのかもしれないが、いまのところ、職場の同僚以外の30代と話す機会はほとんどない。

新書『地方消滅2』で、余市町は若年女性減少率が特に高い「消滅可能性自治体」に認定されていた。5年前の国勢調査によると、同世代(35〜39歳)は町に800人もいない。そもそもの母数が圧倒的に少ないという理由もある。

そんな中で、外からの移住者が近しい価値観の人と仲良くなったり、仕事以外の場所で人脈を築くのは、なかなかに大変だ。しかも、地方でうまく生きていくには、人伝ての情報がキモになる。

余市では空き家や土地はたくさんあるようだけれど、不動産屋にあまり情報が出ていない。聞くと、知り合いを通じて「売ろうとしている」という話が伝わり、不動産屋を通さずに売買されることも多いようだ。実際にわたしも知り合いから、そういう土地を紹介された。

小さい町ではあるけれど、それでも2万人弱が住む余市で、人とのつながりをどうやってつくっていくかは、今後の大きな課題になる。

学校に、物理的に通えなくなる町

もうひとつ、今後自分たちに大きくのしかかってくるかもしれない問題は、教育だ。

余市には町立の小学校は4つ、中学校は3つある。高校は公立が1つ、私立が1つ。ただし、偏差値などの理由から、高校は小樽や札幌に進学することを選ぶ人も少なくないようだ。小樽へは電車で30分、札幌までも1時間30分だから、別に「通えなくない」と思うかもしれない。でも、「通えない」のだ。

冬になるともちろん余市には雪が降る。すると、電車が高頻度で止まったり、遅延したりしてしまうのだ。そのたびに学校を休むわけにはいかない。小樽・余市間の電車は1時間に1本しかない。部活終わりに1本乗り遅れると、帰りがとても遅くなってしまうこともある。雪国の田舎の子どもに、通学は非常に悩ましい問題としてのしかかる。

鹿で電車が停止する場面に遭遇した

子どもの進学のために、札幌に家族で引っ越す人もいると聞く。知り合いにも、札幌の高校に進学した子どもにあわせて、持ち家と職場がある地元と札幌の二拠点生活をしている人がいる。

わたしたち夫婦は、ワイナリーの仕事があるので、余市を離れて暮らすことはあまり考えられない。となると、子どもは寮に入れるか、留学させるか。選択肢がかなり限られてくる。

「移住してよかったか」の答えはまだ出ないけれど

北海道のよさそうな面ばかり見て、移住を決断してしまったのではないか。そんな思いがよぎることも、正直に言って、ある。けれど、この地でワインをつくりたいという思いは、今のところ揺らいでいない。「ワインの町」として知られつつある余市でも、まだまだ発展途上のオチガビワイナリーでも、できることは無限にありそうで、ワクワクする。

なにより、まだ3ヶ月しか住んでいないけれど、余市での暮らしを気に入り始めている。雪の時期は真っ白い山々の壮観さに日々感激していたし、春になってからの夕暮れ前の海の色には心を打たれる。自然に寄り添いながら生きるという経験は、新鮮で、自分の価値観や感じ方も変えてくれそうだ。

夕暮れ前の、青とピンクが混じり合った海はほんとうに美しい。この日は虹も出ていた

それならば、自分たちの暮らしをよくしていくために、この土地に覚悟を持って向き合い、動いていくしかない。

北海道にも、観光政策により人口が増えているニセコの事例や、教育改革をきっかけに子育て世代の移住が盛り上がっている安平町の事例など、学べる材料はありそうだ。

まだ「移住してよかった」とは言い切れない。けれど、あたらしい生活にチャレンジすると決めたからには、ちゃんと向き合って、自分なりの回答を出していきたい。いまはまだ、不安はんぶん、希望はんぶんのフィフティーフィフティーだけれども、これからこのnoteで、その針がどう振れていくか、試行錯誤の過程と一緒に綴っていこうと思う。




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