<Essay>歴史を学ぶとは何か
歴史という漢字を解読すると、歴史とは何かの一端が見えてくる。
「歴」の中には「林」と「止」がある。この「林」は木が集まったものというよりも、木の杭を並べたものを象形している。その杭が何かを「止」めているのである。その「止めたもの」とは、小石や大石、さらに砂などが折り重なった土砂だ。
土砂が「折り重なった」という表現をしたが、それは文字通りに土や砂が何層にも積み重なっている状態だ。そしてその層は、時間の経過とともにさらに重なって行く。この層を構成する土や砂のひとつひとつは、たんなる土や砂ではない。それが積み重なっていく時に、世界のあらゆる場所にいる人間と人間が作り出した物語のひとつひとつを、その中に記録している。
ところで、物語を英語ではStoryと表記し、歴史はHistoryと表記する。語源的には正確ではないが、HistoryをHisとStoryに分けて理解すると意味が明解になる。つまり「彼の」+「物語」だ。ここでフェミニストの人たちは、何で「彼」であって「彼女」ではないのか、これは女性差別だと声高に主張するかも知れない。しかし、英語ではManが「男」とともに「人間」を意味しているように、Heも「彼」と同時に「人」を意味している。そもそも旧約聖書の世界では、人類はアダムという男から始まったが、これを「女性差別だ!」とクレームをつけても詮無きことにしかならないのと同様である。
閑話休題。つまり、英語で歴史とは「彼の物語」であり、この「彼」とは人類一人一人を意味しており、そうした個々の物語が時間の経過とともに何層にも積み重なったものが、歴史=Historyなのだ。そして、この層=物語の積み重ねとは、人類がDNAを次の世代にバトンタッチしていった長く壮大な記録であり、ひとつの物語から別の物語へと語り継がれる終わりのない物語でもある。
一方、歴史というものを、受験勉強の弊害で「単なる年を暗記するだけのもの」と蔑む人が多くいる。しかし、歴史を知る=学ぶということは、始まりも終わりもない、際限なく続く壮大な物語を最上の娯楽として楽しむことなのであり、決して「単なる年を暗記するだけのもの」ではない。
では、年を暗記することには意味がないのかと言えば、そうとは言えない。歴史という壮大な人間の物語を楽しむためには、そこに流れる時間の経過を確かめることが必要になるからだ。物事の順序を確認するには、個々の出来事が起きた時間を正確に並べることが条件になる。また、原因と結果という関係を確認するためにも、時間の経過(時間の前後)を知ることは必要だ。未来に起きたことが過去の出来事の原因にならないのは、誰もが知っている理屈だ。従って、やみくもに数字を暗記するのではなく、物語の中で発生した出来事の順番を確認する上で、時間=年という数字を頭に入れておく必要があるということになる。
また、年という数字のキーワードを使うことによって、世界の離れた別の場所同士の関係が見えてくることがある。例えば、1600年という年がある。世界史の授業では、大英帝国がインドに東インド会社を設立した年として教えられる。一方、日本史では関ヶ原の合戦が行われた年として誰もが知っている。極東の島国である日本では、100年以上も続いた内乱(戦国時代)が終わりを告げた(豊臣秀吉の天下統一)が、激しい権力争いの伴う不安定な政権であったため、最終的な長期安定政権(徳川幕府)が成立する契機(産みの苦しみ)となったのが、関が原の合戦だった。
一方の東インド会社の設立は、大英帝国の帝国主義による植民地経営の象徴的なものとして理解される。大英帝国は、植民地を領土拡大として単純に支配するだけではなく、インドという「金の成る木」を経済的に効率よく簒奪した始まりが、東インド会社の設立であった。この時から、植民地というのが単純な領土を拡げるということではなく、帝国主義経済という宗主国にとって莫大な利益を生む経済体制が確立することになり、その年が1600年である。従って、1600年とは、日本史では内乱が続いた中世から疑似的中央集権の近世へ移る年であり、世界史では近代の大規模な経済的発展へ向けた第一歩となる年である。
つまり、歴史における年とは、物事の流れの順序を見分けるため、また比較するための物差しである。日本の受験勉強では、この単なる物差しだけを受験の対象にしたため、歴史の授業を面白くないものにしてしまった。歴史を単純に暗記するものにしたならば、そこにあるのは、人間も物語もない無味乾燥なものでしかない。しかし、年を物差しという道具であると認識した上で、人類が作り上げた壮大な物語を楽しむものとして歴史を読み解いていけば、それはとても面白い極上のエンターテイメントになるだろう。諺にも言うではないか、「事実(歴史)は小説(物語)より奇なり(予想外だ)」。
<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、自由律俳句集です。>
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