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【名もなき親王の物語】826年の謎

何のこと?と思われる方はぜひこちら↑からお読みいただければと思います。

高岳(たかおか)神社を深掘りしていくと
826年
というキイワードが出てきます。

八丈岩山から蛤山に高岳神社が移されたのが826年、とか。
八丈岩山に「高岳の神」と名乗る童が現れたのが826年、とか。

どちらにせよ、明確に826年という年が残されている。

826年を調べてみると
天長三年、平安時代の第53代淳和天皇の時代。

主な出来事(日本)
1月
: 和泉国に5カ所の池が築造される。
9月: 上総・常陸・上野の3国を「親王任国」とし、国守を太守と称する。
伝説・物語: 弘法大師(空海)がこの頃、西新井(現在の東京都足立区)で十一面観音の告げにより枯れ井戸から清水を湧かせ、疫病を鎮めたとされる(西新井大師の起源)。
死去: 6月9日(天長3年5月1日) - 恒世親王(平安時代の皇族)。

AI による概要

空海さんが活躍されていた時代なんだな。

わたしが気になったのは
【恒世(つねよ)親王】の薨去(こうきょ)。
親王ということは、天皇の男のお子さまで
天皇にはならなかったということ?
この方は805年にお生まれになっているので
今のカウントなら21歳で
病気が原因でお亡くなりになったようだ。

この方のことを調べていくと
崇徳天皇に負けないくらい
複雑な家族関係の中で
数奇な人生を送られています。

うまく説明できる気がしないので
ちゃんと知りたい方は
ウィキペディアの【恒世親王】をご覧いただきたい。

わたしの天皇メモより

第50代桓武天皇のことに触れると
なぜか心がザワザワするので
ずっと避けてきましたが
やはりちゃんと見ないといけないようです。

桓武天皇の弟は、怨霊伝説のある早良親王(のちに崇道天皇とされる)です。
桓武天皇は平城京から長岡京を経て
平安京に都を移されました。
ここから平安時代(794)が始まります。
鳴くようぐいす平安京、です。

この桓武天皇は、異様なまでに
自分の血を残そうとしたようです。
自分の子どもたち(異母きょうだい)を
どんどん結婚させている…

桓武天皇の第3皇子である淳和天皇(大伴親王)と
皇女である高志内親王を結婚させ
その間に生まれた第1皇子が恒世親王。

平城天皇(安殿親王)
嵯峨天皇(神野親王)
にも同じように皇女と結婚させています。
このお二人は同母きょうだいです。

桓武天皇としては
平城天皇か嵯峨天皇の子どもに天皇を引き継がせたかったようですが
淳和天皇のところにいちばんに子どもができてしまいました。
平城天皇は子どもに恵まれなかったり
嵯峨天皇には子が生まれても精神に問題があったり。

その優先順位は母系の地位が関係したようです。

恒世親王が天皇になるためには
淳和天皇(大伴親王)がまず天皇にならなければならなりませんでした。
淳和天皇は臣籍降下して親子共々ここから離脱しようとしましたが
そういうわけにはいきませんでした。
823年に淳和天皇が即位し
恒世親王が皇太子となりました。
しかし、即日辞退し、
その日のうちに嵯峨上皇の子であ
る正良親王(仁明天皇)が擁立されました。
おそらく、淳和天皇が恒世親王を守ったのではないかと思います。

遡りますが、実のきょうだいである
平城上皇と嵯峨天皇は対立していました。

810年に薬子の変で、平城上皇側がクーデターを起こしたものの失敗、
親王が廃太子となってしまいます。
このクーデターを首謀したとされる
平城天皇の愛妾、藤原薬子は自殺し
薬子の兄、仲成は左遷の後、射殺されています。
平城上皇も出家、その他の関係者も左遷か流罪となっています。

このときに廃太子となった親王が
【高岳親王】
だったのです。
このとき12歳。
童の姿で現れたという【高岳の神】は
高岳親王だったのではないかとわたしは思うのです。

この高岳親王も非業の死を遂げたのか…
と思いきや
まだ幼かった高岳親王は罪に問われることはなかったものの
822年出家し、真如と名乗って
のちに空海の十大弟子の一人となっています。
835年、空海の入定に立ち会ったあと、唐に渡る決心をします。
864年には唐の長安に渡り、その後天竺を目指したそうですが消息を絶っています。

高岳親王は、意外と長生きしていました。

恒世親王が薨去した826年は28歳くらいかと思いますが
すでに出家し、空海のお弟子さんとなっているので
ひょっとしたら不思議な能力を会得していた可能性はあります。

恒世親王の薨去に際して
八丈岩山に祀るようにと姿を現したのかもしれません。
だから、高岳神社は本当は【恒世神社】であるべきだったのかも…

でも、しかしなぜ都ではなく
この播磨の地に?
それも、神功皇后が放った矢の一本が落ちたというこの矢落村に?
火明命に関係ある?

そこに深い理由があるかもしれませんね。

高岳神社の御祭神を再度確認してみたところ

御祭神
仲哀天皇・応神天皇・崇道天皇・事代主神・猿田彦神・住吉大神・伊豫親王・光明皇后・宇賀魂命・市杵島姫命・水分神

ここに桓武天皇の弟である崇道天皇(早良親王)と
桓武天皇の第三皇子である伊豫親王が入っています。
伊豫親王は、淳和天皇・平城天皇・嵯峨天皇の異母きょうだいということになります。
平城天皇への謀反の罪で母と共に幽閉され、
飲食を絶たれて自殺しています。

やはり、僧侶となった高岳親王が
非業の死を遂げた一族の親王たちの霊を慰めるために
この地に祀ろうとしたのではないでしょうか。

桓武天皇は
肉親を悲劇の渦に巻き込みながらも
なぜこれほどまでに自分の血を濃く残すことにこだわったのか。

それは、また別の話になるのかもしれませんが
わたしの天皇メモに赤字で書き込んでいた
【星田 北斗七星】
がヒントになりそうな気がしています。
空海さんも絡んでいることですし。

高岳神社の謎を
スピンオフ的に、また好き勝手に
紐解いてみました。

お付き合いいただきありがとうございました。

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yuka あなたの愛をしかと受け止めます!お気持ちありがとうございます💕