(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第十一話】
「男爵の愛息子の花嫁に、手を出す不埒な画家だからな。
画家としてだけでなく、この世から抹消されるかもな。 ハハハハ」
また愉快そうに笑った征之介様は、私を離すと、ぽんぽんと両肩を叩いた。
「まぁ、今日は川に落ちたとでも言っとけ。
俺と会ったことは秘密だぞ。
君が言うように、世の中には良いこともあるもんだな。
君に惚れてしまったよ。
死ぬのはちょっと先に延ばそう」
鮮やかに笑って、スケッチブックを持つと、私が帰る方向とは逆に歩いて行った。
あの感じでは、今日は命を絶つことはなさそうね。
よかった……。
よかったのだけれど、どうしよう。
まさか、抱きしめられて、頬に口づけされるとは思わなかった。
しかも、私に惚れてしまっただなんて言われて。
藤孝様には言えない、秘密が出来てしまった。
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「櫻子さん、川に落ちただなんて、何をしていたんだい?」
「ひゃっ?」
夕食の時に、私の目の前に座った藤孝様から尋ねられて、私は、すっとんきょうな声を出してしまった。
「え、えぇっとですね……」
一井家の夕食は、洋食であることが多い。
私もずいぶん慣れてきたが、音を立てずに、ナイフとフォークで皿の上のものを切るのは、少し難しい。
ウソの言い訳をしながら、洋食を口にするのは無理だ。
手を止めて、何て言うべきか考える。
だけど、思い出されるのは、征之介様に抱きしめられたり、頬に口づけされてしまったこと。
『君に惚れてしまったよ』
きれいな微笑みを浮かべる、征之介様の顔が浮かんだ。
こんなこと絶対に言えない。
「えっと、あの……」
私が答えに困っていると、隣に座ったお義母様から助け舟が出る。
「猫が川に落ちていて、拾ってあげたそうですわよ。
本当に、櫻子さんはお優しいわ」
「そ、そうです。 猫ですわ、藤孝様」
そうだった。
帰ってきた時、とっさに、そんな言い訳をしていたんだったわ。
あの土手の川から、五分程歩いて、一井邸に戻ってきた時は、家じゅう大騒ぎになった。
おろしたての、きれいな銘仙でおしゃれして、女学校へ行ったはずの私が、乱れた髪とびしょ濡れの姿で戻ってきたのだ。
何があったのかと、みんなから心配される。
「ね、猫……猫が川に落ちていたから、拾いあげていたのですわ……」
しどろもどろに、適当な言い訳をした。
「まぁぁ、それで、若奥様の御身に、大事がございましたら、大変なことでございます。
冷たい川などに入るなんて、将来お子様が出来なくなったらどうするのですっ。
猫よりも、一井家の若奥様として、もっとお自覚を、お持ちくださいませ」
藤孝様の乳母をしていたという、女中頭のトキさんから、こっぴどく叱られる。
私の乳母だった、大炊御門家のキヌも、怒ると怖かったけど、トキさんも怖い。
すっかり身体が冷え切っていた私は、家長であるお義父様や、藤孝様よりも先に、お風呂を使わせてもらった。
夕食に呼ばれて、食堂に来たが、私だけがすでに寝間着姿。
風邪をひかないようにと、半纏(※室内用の防寒着)も着せられた。
なんとなく背筋がゾクゾクと寒くて、温かい半纏がありがたい。
「猫のために、櫻子さんがこの寒い中、川に入ってまで助けなくていいのに。
それで櫻子さんが、怪我したり風邪ひいたりしたら、僕はその猫を恨むよ」
後ろで控えているトキさんが、藤孝様の言葉に大きく頷いている。
征之介様の、あの気まぐれで美しい切れ長の目は、猫に似ていると、言えなくもない。
自分でも、言い得て妙だと思った。
だけど、『その猫を恨む』なんて、藤孝様は、もしかして征之介様のことを感づいているんじゃ……?
私が他の男性と、抱き合ったり、頬に口づけされたことが、まさかバレている?
隠し事が苦手な私は、冷たい川に入った本当の理由を、つい正直に話してしまいそうで、喋らないように努めた。
黙っていると、おかしなことを考え出してしまう。
まさか、私の顔に『征之介』って書いてないわよね?
「なんだか、櫻子さん、顔が赤くない?」
ドキッ。
「食事も進んでいないし、まさか本当に風邪をひいたんじゃないか?」
カチャンと音を立てて、フォークを置いた藤孝様は、椅子を引くのももどかしい様子で、私の方へ駆け寄ってくる。
私はその少し冷たくて大きな手を、おでこに当てられた。
「熱は……あるのか? 少し熱いような?
よくわからんな……」
自分のおでこに当てた手と比べながら、藤孝様は首をかしげている。
「だいじょう……ぶっっくしゅっ。 くしゅんっ!」
急に駆け寄られて、空気が揺れたせいか、私は鼻がムズムズしてしまって、二回連続でくしゃみが出た。
「櫻子さんが……くしゃみ……」
藤孝様は、スッと青ざめる。
