(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第十五話】
「櫻子さんっ」
暖かそうなインバネスコート(※大正時代に流行った男性用のコート)のボタンをはずしながら、藤孝様も嬉しそうに微笑む。
嬉しいっ。
藤孝様にやっと会えた。
「櫻子さん、もう身体はいいのかい?」
「えぇ、大変なご心配をおかけしました。
すっかり良くなりましてよ」
玄関を上がった藤孝様は、相変わらずのスラリとした背の高さ。
私は久しぶりに見る夫の姿に、ドキドキする。
藤孝様は優しく私の頭を撫で、そのままその手を私の肩におろす。
そして、みんなが見ている前なのに、グイッと抱き寄せられた。
まぁ! 藤孝様ったら、大胆っ。
私は顔が熱くなって、藤孝様を見上げていると、女中頭のトキさんが咳払いする。
「若様、若奥様……」
藤孝様は、弾かれたようにパッと私から離れ、私も恥ずかしくなって藤孝様に背を向けた。
「もうじき、夕食のご準備が整いますので、どうぞお部屋でお待ちくださいませ」
「うん、わかった」
藤孝様は照れたのをごまかすように返事をして、階段を上り始める。
「櫻子さん、今日の夕食は一緒にとれる?」
大きな階段の手すりに手をかけたまま、藤孝様は私を振り返った。
「はいっ。今日から食堂に参りますっ」
元気よく答えた私に、藤孝様は微笑んだ。
「じゃあ、また、あとで」
自分の部屋に戻った私は、ソワソワしていた。
久しぶりに藤孝様に会ったら、我慢していたのが爆発してしまったみたい。
もう、学校のお勉強なさっているかしら?
会いに行ってはダメかなぁ?
少し迷ったが、気がついたら藤孝様の部屋の前に来ていた。
つい身体が動いてしまう自分に、遠慮がないのかと反省しながらも、コンコンコンとドアを三度叩く。
「はい」
藤孝様の声に、ドキドキしながら、扉を閉じたままで名乗った。
「ワタクシですわ。 櫻子です」
「櫻子さん、どうしたんだい?」
すぐにドアが開き、藤孝様が姿を見せる。
いつも、きっちりと上まで留めている詰襟を、少し崩して中の白いシャツが見えていた。
それだけのことなのに、私は胸が高鳴って仕方がない。
藤孝様って、本当に格好いいわ。
着崩した感じも雄々しくて(※男らしい)、とっても素敵。
私がボンヤリと見とれていると、藤孝様は優しく笑う。
「ちょっと、入る?」
「はいっ、お邪魔いたします」
もちろん大きく返事をして、藤孝様の部屋へ入った。
「櫻子さん、風邪ひいて大変だったね」
私はソファーに勧められて座り、藤孝様は勉強机の椅子に座った。
「えぇ、滅多に風邪なんてひかないものですから、もうしばらくは勘弁ですわ」
二人で顔を見合わせて笑いあう。
「もう猫が川に落ちていても、海に落ちていても、櫻子さん、自分で拾ってはダメだよ」
私のウソの言い訳を、今だに信じていらっしゃる藤孝様に、胸が痛くなった。
「その猫、どこに行ったの?」
穏やかな笑顔で話を続ける藤孝様に、私は目を泳がせる。
「え、えぇーっと。
どこへともなく、そのまま私には何もせずに、去っていきましたわ。
えぇ、別に何もしていませんわよ、本当ですわ」
少し声がうわずってしまい、変なことを言ってしまった。
「櫻子さんの可愛い顔を引っかかれなくてよかったよ」
ほっぺに口づけはされましたけど……。
謎に満ちた画家、松原 征之介様を思い出して、少し顔がほてってしまった。
もうやだ。
どうしてあの方のことを、思い出すのかしら?
「櫻子さん……こっちにおいで」
長い脚を組んで、座っている藤孝様は先ほどまでの笑みを消し、じっと私を見ている。
やっぱり、私の不審な言動から、征之介様のことがバレてしまったのかも?
「ご、ごめんなさい……藤孝様」
ソファーから立ち上がり、藤孝様の座っているところへ行って謝った。
「ん? 何を謝るの?」
藤孝様は組んだ足を解いて、近づいた私の両手を握った。
「あの……ですから……川で……」
私はうつむきながら、藤孝様に川であったことを告白しようとする。
「ふ、ははっ。
そんな、謝ることじゃないよ。
猫を助けて風邪をひくなんて、優しい櫻子さんらしいじゃないか。
そのうち猫が恩返しにくるかもしれないぞ」
笑いながら、藤孝様は私をグッと引き寄せた。
椅子に座っているから、藤孝様の顔がいつもよりも近い。
男性にしては、小さく上品な輪郭をした顔で、キリリとした一文字眉の下に、知性的な瞳がきらめいている。
私は懺悔を忘れて、藤孝様と見つめあう。
急に甘い雰囲気が漂い、藤孝様の熱い視線にうっとりする。
「櫻子さん……今日、『お勉強』……しませんか?」
ずっと待ち望んだ藤孝様からのお誘いに、私は嬉しくて涙が出そうになった。
「藤孝様……ワタクシ、嬉しい。
もちろん、お願いいたしま……」
私は、言いかけて思い出してしまった。
そういえば、月のモノ(※生理)がきてるんだったわー。
「あの。やっぱりごめんなさい、藤孝様。
今日からしばらく『お勉強』できませんの」
私の返事に、一旦顔を喜ばせ、すぐに絶望の表情に変えた藤孝様。
「え……? どうして?」
うーん、月のモノのことを、男性に言うのは恥ずかしい。
「どうしてもですわ」
まっすぐに見つめてくる藤孝様の視線が痛い。
思わず握られた手を離してしまった。
