(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第十三話】
「あっ、まっ、待ってっ。
……櫻子さん、や、柔らかいものが……当たっ……」
後ろから私に抱きしめられた藤孝様は、直立に固まってしまって、動かなくなった。
せっかく、暗くなってきた夜に二人きり。
これまで言えなかったことを言える、絶好の機会だ。
回した両手に、藤孝様の引き締まった胸の硬さを感じながら、大きく息を吸う。
「ワタクシ、藤孝様と『お勉強』したいのですっ」
思い切って言った私の声は、思ったよりも大きく出た。
「……お……」
藤孝様は、私の言葉に絶句したのか、返答がない。
やっぱり、女の私から誘うなんて、はしたないことなんだわ。
今更ながら、恥ずかしい……。
ハッキリと言ってしまった言葉はもう取り消せず、ふわりとしたステンドグラスの明かりに照らされて、私たちの間には沈黙が流れた。
「ごめんなさい……」
藤孝様から離れようとすると、手をギュッと掴まれる。
「……櫻子さん、本当?
あの、その……『お勉強』って、つまり『お勉強』のこと……だよね?」
もちろん、私は夫婦の営みのことで、『お勉強』と言ったつもり。
藤孝様にも、ちゃんと通じてるってことよね?
藤孝様の前に回した私の手を包み込む、少しひんやりとした大きな手。
私は右手を、その長い指に絡ませて握り返し、広い背中に向かって頭をコクリと下げた。
「僕のこと、嫌じゃない?
櫻子さんに痛い思いをさせた、ヘタクソだと思ってない?」
まさか、藤孝様がそんな風に考えているなんて、思ってもなかった。
背中にグリグリと頭を擦りつけて、その考えを否定する。
「ワタクシ、藤孝様のことが……大好きなのです。
もっと……ワタクシに触れて欲し……」
胸の奥から絞り出すような小さな声で、背中越しに言うと、藤孝様が私の方へ向き直った。
背の高い藤孝様は熱い瞳で私を見おろし、私も見つめ返す。
「僕以外、誰も触れたことのない、櫻子さん……僕だけの櫻子さんだ。
触れてもいいんだね?」
私はゆっくりと首を縦に動かした。
藤孝様の大きな手が、左の頬に優しく触れる。
『君に惚れてしまったよ』
口づけされてしまった、昼間の出来事が急に浮かんでくる。
私の頭の中は藤孝様でいっぱいだったはずなのに、征之介様のことを思い出してしまった。
どうして、こんな時に思い出すの?
藤孝様に対して不誠実だわ。
うしろめたさを感じて、私は思わず下を向く。
征之介様に、口づけられた左頬を、藤孝様が触っている……。
誰も触れたことがないと信じてくれている藤孝様に、罪悪感でいっぱいになる。
「櫻子さん……」
顎の下から掬い上げられ、再び藤孝様と目を合わせる。
私が好きなのは、藤孝様だわ。
あんな変な人のことは、忘れてしまいたい。
藤孝様は少しかがみ、私は背伸びして目を閉じた。
そうよ、もうきっとあの征之介様とは、お会いすることもないんだから。
藤孝様と私は、これから『お勉強』するんだから。
罪悪感を、期待にすり替えて、藤孝様の甘い口づけを待つ。
複雑な心持ちなのに、ドキドキと胸が高鳴る。
コンコンコン
唇が触れ合う直前、ドアが叩かれ、私たちは二人とも目を開けて顔を見合わせた。
「若様、若奥様、波多野 良太郎先生が、お見えになりました」
あぁっ! もうっ。
あとちょっとだったのにっ。
ーーーー
一井家の主治医、波多野 良太郎先生は、お医者様らしくないような、たくましい身体つきの男性だ。
女中頭のトキさんから案内されて、大きなカバンを抱えて入っていらっしゃった。
その後に続いて、お義母様も心配そうに部屋へお見えになる。
「若様、ご心配でございますでしょうが、診察のご様子など男子が見るものではございません」
藤孝様はトキさんから、私の部屋を出ていくよう言われている。
あら。お医者様も男性ならば、夫である藤孝様が診察を見ても構わないのに。
診察なんて、どんなことをするのか分からないけれど。
藤孝様、行ってしまわれるのかしら……。
私はほとんどお医者様にかかったことがなくて、不安になりながら、大きなカバンから道具を出される先生をじっと見た。
何か痛いことなどするのかしら?
ちょっと怖い。
「お義母様がここに付いておりますから、櫻子さん。
ご心配なさらないで」
診察の準備をなさる先生の様子を、眉間に力を入れて見ていると、お義母様から、寝台に入るよう優しく促され、さっき放り出した毛布の中にくるまった。
「若様に、もしも病がうつってはなりませんから。
どうぞお食事を温め直しますので、食堂へお戻りくださいませ」
心配そうに見ている藤孝様は、トキさんに促されている。
たぶん、私は風邪ではないだろうから、うつらないとは思うけど。
夕食を中断して、藤孝様は私を送ってくださったものね。
「……こちらまでお送りくださって、ありがとう存じます。
おやすみなさいませ、藤孝様」
