(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第九話】
意味が分からない私は、先ほどまでよりも、ずいぶん力を緩めた美青年に手を引かれ、川の深みに入る方向とは逆に、川岸の方へ連れて行かれた。
「大丈夫かい?」
無精ひげのおじ様は、土手の川岸まで下りてきて、私たちが岸に上がるのに手を貸してくれる。
帯よりも下はずぶ濡れになって、着物も羽織も重く、腰巻や襦袢(※着物の下着)は、脚にまとわりついて、気持ちが悪い。
あぁ、せっかく、今日おろしたばかりの着物だったのに。
「何だ? いったいどうしたってんだい?」
おじ様は不可解そうな顔をして、私と美青年を交互に見た。
「もしかして、いま流行りの心中かい?
だったら、入水なんてやめとくんだな。
お前さん方のきれいな顔が、土左衛門(※水死体)になったら、とてもじゃないが見られない顔になるぞ」
無精ひげの口を歪め、ゾッとしたような顔つきで、肩をすくめる。
「心中じゃありませんわっ」
私は目を剥いて、おじ様に反論すると、穏やかな口調で美青年が微笑んだ。
「手を煩わせてすまない。
この妹が、命を絶つ前に助けられてよかった」
うっかり見とれてしまうほどの淡い笑顔は、儚げで美しいが、あまりにも事実と異なるウソに、あっけに取られて、私は開いた口が塞がらない。
私が妹?
命を絶つ前に助けられてよかった?
ウソよ、大ウソだわ。
そして、ウソつき美青年は、懐から財布を出すと、いくらか出して、おじ様の手に握らせる。
「うへぇ? こんなにいいのかい?」
「ウソよ。 この人が言うことは全部ウソですっ」
手にしたお金を見て、驚いているおじ様に訴えるが、どうも私の言葉は届いていないみたいだ。
「この子には、よく言い聞かせておくから、どうかこのことは忘れてくれ」
まるで、本当の兄のような振る舞いで、美青年はおじ様に他言しないよう口止めする。
「お嬢ちゃんも、何があったかは知らんが、強く生きなよ」
私に憐れんだ目で声をかけると、ホクホクとした顔で、おじ様はまた土手を上っていき、川岸には、ずぶ濡れの私と美青年が残った。
「まったく、今日は日が悪い。
あの世へ行くのは、また日を改めるか」
まるで、縁起がいいことでもするかのような言葉に、私は混乱してしまった。
「……あ、あなたは、一体何なのです?
まるで、ワタクシが死にたがっていたような言い方をして。
ワタクシは、川に入ったあなたを止めただけですわ」
「別に頼んではいない」
濡れた袴の裾を、絞りながら、流し目に私を見る。
そんな色っぽい目をしたって、もうドキドキなんて、してやるもんですかっ。
「まぁっ! そうですわねっ。
頼まれてもいないことをして差し上げて、ワタクシ、悪いことを致しましたわねっ」
私は水のしたたる美青年を、睨みつけると、川岸に落としていた自分の風呂敷包みを拾い上げて、乱れた草履をびしょ濡れで泥だらけの足袋のまま履いた。
チラリと青年の顔を見ると、ひどく悲し気な瞳をしている。
まるで、捨てられる子猫のような、哀愁に満ちたきれいな顔。
そんな目をしても、もう構ってあげませんわよ。
私はそのまま振り返りもせずに、まとわりつく着物を捌きながら土手を上がりはじめた。
だけど、彼が『あの世へ行く』だの、『人生の終幕』だのと言っていたことが、気になってしまう。
どうしてあんな悲し気な、淋しい顔をなさるのかしら。
……本当に、この人は死ぬつもりなのかもしれない。
私や、あのおじ様が通りかからなかったら、今頃……。
小さい頃に、近くの池で遊んでいたら、ひどく叱られたことがある。
『いいか、櫻子。
溺れ死んだら、顔がパンパンに腫れて、元の人相が全く分からないほど、悲惨な死に顔になってしまうんだぞ。
子どもだけで、水辺の近くで遊んではいかん』
お父様が、ぎょろりとした大きな目を更に見開いて、私を脅すように言い聞かせていたのを思い出した。
あの美青年の顔が醜くパンパンに腫れて、一井邸から近いこの川で、浮かんでいるのを想像する。
そんなの、絶対にダメ。
そう思った瞬間に、私の身体は動いていた。
再び土手の中腹から、滑るように川沿いへと下りると、スケッチブックが置いてある所まで移動していた美青年を、つかまえた。
「あなた、ウチへいらっしゃい」
