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三島から村上へ━━尾辻克彦 『肌ざわり』と赤瀬川原平を読む(5)「1970年、三島の首、篠山紀信〈1〉」

連載になります。(4)はこちら↓。


静聴せよ 静聴 静聴せい
〈中略〉
静聴せい 静聴せい
〈中略〉
静聴せいといったら分からんのか 静聴せい
〈中略〉
聞けぇ 聞けぇ 静かにせい 静かにせい 話を聞けっ

三島由紀夫、1970年、市ヶ谷駐屯地のバルコニーでの演説

・1970年、三島の首

三島由紀夫の首をみたのはいつのことだったか。三島は1970年11月25日に自衛隊の市ヶ谷駐屯地に彼が隊長をつとめる楯の会と共に立て篭もり、憲法の改正を唱えたクーデター未遂事件(通称「三島事件」)を起こす。総監を人質に取った彼は、バルコニーで目の前に集まった自衛隊員に対して、決起を求めて肉声で演説する。その音声は自衛隊員たちの野次や怒号でかき消される。ここでいう三島の首とは、最終的に駐屯地内の総監室で彼が割腹し自害した際に、日本刀により介錯された際の胴体から離れた頭=首のことである。全国紙にその三島の首が掲載されたなんて噂も聞くが、もしそれが本当なら殆ど晒し首だろう。そんな風習がいまだに当時のこの国には残存していたのだろうか? はっきりいって陰惨だし、遥か遠く昔の出来事のようにも思えてくる。実際、五十五年前と半世紀以上前の事件である。私はまだ生まれていないのでリアルタイムでそれ(=新聞紙上の首の写真)をみた記憶はない。図書館で当時の新聞記事を漁ったりインターネットの検索やA.I にわざわざ真実を訊ねる気はしない。多分画像検索すれば0.2秒でその首の写真は出てくる筈だが、わざわざする気はしない。三島がどうというよりは、人間の死体の画像が苦手という個人的な事情であり、今回は個人的な記憶の話をしているので許してほしい。しかし、はっきりと、この眼で確かにみた記憶はある。

小学生かもしくは中学生の頃だった。時期が曖昧ではっきりとは思い出せないのは、記憶を自分自身で抑圧しているのだろうか? 家にあった木製のずっしりとした重量を感じさせる造りの本棚。ガラス製の横開きの扉が付いていて埃が入らないようになった棚だ。上段には川端康成や萩原朔太郎やらの全集やハードカバーが詰まっていて、下段には『別冊週刊読売〈特集川端康成〉』みたいな薄い雑誌が整然と並べられている。その中にそれはあった。『FRIDAY』だか『FLASH』だかのグラビアや芸能ゴシップらが記事の主体の週刊雑誌。何故、こんなところに週刊誌が。私はペラペラと埃臭いページを捲る。その中に、三島の首が掲載されていた。
正面からのアップだった。フラッシュが焚かれたのか死化粧が施されたように若干白飛びしている。多分、床か台に首は置かれていて、目を閉じていて、しかし瞼の下の視線は何となく上方をみている気がした。額の部分に(バルコニーでの演説と同様の)白い鉢巻を巻いていた。口は閉じられていて、口角が歯を食いしばったように上がっていた。いや、もしかしたら口は少し開いていたかもしれない。その顔は無念を遺した苦しそうな表情ではなかった。意志を遂げた瞬間をそのままに写しているようだった。一抹の安らかささえ表情から感じたような気もする。
戦争での大量の死者などは別として、その時初めて、死んだひとりの人間の映像をしっかりとみた。私はその時点では、リアルな死者も直接的にはみたことはなかった。首の写真は、モノクロの誌面に大きく面積を割いていた。
それ以来、私は三島の首の写真はみたことはないので、この記憶の中の像がはたして正しいのかは判らない。しかし、記憶が捏造している部分があるかは、特に答え合わせをしようとは思わない。積極的にまたみたいとも思わない。みた瞬間の写真の完全な像は思い出せないけれど、確実に意識の底にその画像は沈み込んで、残り続けている。そんな感触だけはずっとある。その証拠にではないけれど、私はその像をことあるごとにふと思い出す。その際に、記憶の中の首の像に何かしらの喜怒哀楽のような特定の感情は抱きはしない。しかし、決して忘れられない像だ、ということだけは確かである。あの首の像は一体何なのだろうか? 

もう少しだけ私事を語らせてもらいたい。先日、知人たちと対話をしていて三島の話になった。話の詳細な過程は省く。最終的な話をまとめると、ある方は、今更三島の話を評論などでわざわざ持ち出すことに懐疑的なようだったし、もうひとりの方は、三島以前に文学というジャンルや文学者自体が時代性や他者を背負ったり象徴することに対して、もはや現代では有効ではないのでは? と感じているようだった。確かに出版社や表現の世界もコンプラに塗れた現代社会において、自衛隊駐屯地に侵入してクーデターを企てるような文学者は現れなさそうだし、刻々と流れていく時代の中で彼らの(そもそも文学や文学者に何らかの社会的役割を期待するのはどうなのかは別として)存在の付置も変化しているに違いない。

三島は60年代後半にかけて自らの肉体を剣道やジムで鍛え上げながら、自衛隊への体験入隊を繰り返し、ホモ・ソーシャルな隊との一体感や同志的結合の感覚、また「武士」としてのシンパシーを深めていく。航空自衛隊に入隊した際は、三沢基地でF104に搭乗し、戦闘機との一体感を〈イカロス〉という詩にまでしたためている(「太陽と鉄」)。入れ込み方が半端ない。クーデター未遂時に人質に取った総監とも直前まで親しげに談笑していた。しかし、三島が1970年にバルコニーから「静聴せい」と怒鳴ったところで、その時点で自衛隊員は誰一人彼の企図したクーデターに賛同し行動を起こそうなどしなかった。それは当時の国民の大多数も同じだろう。結果、楯の会の自分よりはるかに若い隊員に介錯され、その首が後に新聞紙や週刊誌で晒されなければならなかった。三島が体現しようとした武士道の精神や「静聴せい」という自らの思想や信条を届けようとする声は時代の流れや喧騒にかき消されて人々には届かない。しかし、晒された首の画像だけはスキャンダルさを纏いながら(ヴァルター・ベンヤミンがいうところの「模像」として)市場に流通する。

この一連の事件=出来事は、三島の当時の時代や社会とのずれや彼の孤独な面をあらわしている。本人が自らの責任や思想や信条に基づいて覚悟のもとで選択した行動であり致し方ないことだとも、また角度を変えてみれば、世の中からは見離されているという意味においては不幸なことだったともいえるかもしれない。私は知人たちへの返答として、文学や表現の持つ個人性自体はいつの時代でも有効なのではないか? といったことを、もごもごと歯切れ悪く話したように思う。文学やそれに付随する文芸評論が力を持っていた時代なら、文学者を論じることがそのまま文化や時制と直接的に強く結びついて読まれていただろう。しかし、現代は違う。それは確かに一理ある。

と、果たしていえるのだろうか? 

もう少し考えてみたい。三島が自決した1970年といえば前回の連載で書いたように、赤瀬川原平の「千円札裁判」において最高裁への控訴が棄却された後に刑が確定した年である。また第二次世界大戦後の日本の社会の転換点ともいえるような時期でもある。戦後の時系列をディケイドとしてみるならば、終戦から50年代の産業・工業化の(公害を撒き散らかしながらの)急速な発展、復興期を経て、60年代は政治の季節における資本主義陣営と社会主義陣営の民間を巻き込む政争の時代を経て、70年代の日本は高度経済成長期から資本主義的消費社会、三島の演説の中の言葉でいえば「経済的繁栄にうつつを抜かす」時代、へとなだれ込んでいく。昨今の憲法改正にも積極的な思想的傾向を持つ政権ならまだしも、資本主義の発展におけるアメリカニズムや米軍の傘の下の影響も強い戦後民主主義・消費社会の到来や、政治的に左派・護憲派の力の流れも強い中で、日本の(軍隊の)自主独立を掲げる三島の主張は分が悪かったに違いない。
文芸評論における江藤淳や政治思想における西部邁などの保守思想家たちの中にある反(脱)アメリカニズム的主張は現代においてもその儘に素直には通りにくい世情や政情が続いている。三島の皇国や自衛隊に対する思想や信条も多かれ少なかれ同様だと思われる。憲法こそ三島の思い通りに改正されたとしても、彼のいうところの「根本が歪んでいる」「日本の魂」なるものや「武士」や「美」意識の共同体における再興はもはや困難なのではないか? 関連は断定出来ないところ(三島の実質的な師匠筋である川端康成含む)彼ら保守派の論客は皆、戦後の社会体制の中で、自らの意思(意志といっていいのかもしれない)で命を絶った。

さて、
私は本連載の中で三島の持つ思想を、混乱し始めたともいえる現代日本の社会の中に置き換えて考えてみたいのだろうか? それとも思想の敗北と再興について詳述したいのだろうか? また、三島の思想性や文学性を現代の視点から再評価してみたいのだろうか? いずれもしっくりこない。そうではない。保守思想を突き詰めればアメリカニズムと世相や政治の距離についての矛盾を突きつけられる捻れについて、だろうか? 考えてみたいが、それについては私ではなく政治思想史の専門家が書くべきだ。ここまで(連載を通して)一定の分量の文章を書いてきて、ようやく分かった。私が問いたいことはあの首の像は一体何なのだろうか? ということである。はっきりいえば、それが本論を書く動機である。しかし、急いで付け加えるならば、私のごく個人的な強迫性の解消を目的として思考するつもりはない。漠然として聞こえるかもしれないが、それはごく私的な単なる興味だけに止まらない、社会までを包摂するひとつの強いオブセッションとしてある筈だ。いい換えればトラウマ的ともいってもよい。「静聴せい」。首の像は再帰する。以下において、より広汎な問いへの記述が出来ればと思う。

(6)に続く
https://note.com/yukawashizuka/n/ne6b50094ed2f


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