光のほうを見ると、影がなくなる
最近、中国古典の読書会に参加しています。
今は「大学古本質言」という本を読み始めたところですが、
先週、なにかのきっかけで
「光の方向を見ると、影がなくなる」
という話になりました。
おお、これは数十年も前、
ヤオハンの新入社員研修で聞いた言葉と同じ。
でも当時、なぜ光の方向を見ると影がなくなるのか
よく分かりませんでした。
私は思わず読書会の先生に、
「人が光のほうを見ると、
後ろには必ず影ができるものではないでしょうか」
と尋ねました。するとその先生は、
「人は透明体(光明体)になれば影はなくなるんですよ、
これが修行です」
と教えてくださいました。
たとえ影に気づいても、
ちらっと見るだけでそれは自然に消滅する
(逃れようとすると逆に拡大する)、
影に自分から関わりにいったり、逆に抗ったり、
あるいはその影についていって右往左往しないこと。
なるほど。
影を見ると、ついそれにこだわって
目をこすってよく見ようとしたり、
影を消そうとあれこれ考えたり、
影の存在に惑わされがちですが、
そうではなく、ただ目に入れてスルーする、
そういう透明感、、、
なるほどと思いました。
そして修行の段階としては、ざっくりいうと
1.自己の私欲に翻弄される段階(困扰自己的私欲)
2.正しい・間違っているという思いにとらわれる段階(対不対)
3.感覚体験の良い・悪いにとらわれる段階(感受好不好)
4.無我の段階(観自在)
(※あくまで中国語力に限界がある私の理解です。)
へーーーー。
数十年前の新入社員研修での話の続きを聞いたような
気持ちになりました。
「前有光、後有影、我在中間」
光と影の間に立つのが人間。
透明体になれば影がなくなるなんて
なんだか仙人のようですが、
まずはどちらから光がさしているのかを感じ、
光の方に顔を向けて、影に引っ張られずに
地に足をつけて立つ人間になること、
それを目指したいと思います。
他の参加者が、
「自分の調子が良い時には人にも優しくできるし、
光の面を見ることができるけど、
自分の調子が悪い時にはできないんです」
と言うと、先生は、
「調子が良い時の状態を思い出し、
それを拡大していけばいいんですよ」
と話されました。
誰にも聞けなかった答えがないような人生への疑問。
読書会に参加するようになって、
先生は何を聞いても
「ほぉ~」と思うような納得感のある答えをくれるので
楽しくて仕方ありません。
難しい話は嫌いだと思っていましたが(そして実際そうですが)、
哲学チックな話が意外に好きな自分を発見。
仲間にも恵まれ、思ったことを気軽に言い合える
アットホームな雰囲気も気に入っています。
困ったことは、時々当てられて中国語の古文を音読させられること。
読み上げるのに必死で、意味がまったく頭に入ってきません。
(・・・というか、ほとんど意味が分からないのに
勘で音読してる状態。)
そしてぐったりと疲れます。
1ページ半音読した日には
帰りの車中で爆睡してしまいました。
古典どころか、先生や参加者の方々のお話も
全部分かっているわけではありませんが、
これまた勘と雰囲気で、自分が理解できたところだけ
吸収できればいいやと開き直っています。
そんなこんなもありながら
読書の春(笑)を楽しんでいます。
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