幸せのなり方について考える
人はみなそれぞれ、この世界で
いろいろな悩みや苦しみを抱えて生きていて、
「人には私のこの苦しみが分からない」
と思っている。
私も時折そんな気持ちになる。
元気に学校に通うお子さんを持つ親御さんをみれば、
あの人たちには不登校の子を持つ
親の気持ちなんて分からないんだと嘆き、
障害を持ちながら幸せそうな子を見ては、
あの子はうちの子より障害が軽くてうらやましい、
あの子はよい先生や環境や出会いに恵まれているのだと嘆く。
お金持ちは少し損をするとこの世の終わりだと嘆き、
貧乏人は明日のご飯をどうやって賄おうかと悩んでいる。
健康な人は運動不足や寝不足を嘆き、
病気の人は、自分はこんな病気になって
なんて不幸なんだと嘆いている。
結局のところ、それぞれの人生の幅の中で
その人のぎりぎりいっぱいまで悩んでいるのであれば、
お金持ちや健康な人の悩みが小さくて、
貧乏人や病気の人のほうが悩みが大きいとはいえないものだし、
逆もしかりなのだろう。
他の人と比べれば、あなたはまだまし、
幸せだと言われたところで、
本人のなかでぎりぎりだと感じていたら
それがその人にとっての現実だ。
結局のところ、
本人がどう感じているかということが
その人にとっての世界であり、
どんな状況であっても、
本人が幸せだと感じていればその人は幸せだし、
不幸だと思っていればその人は不幸なのだ。
気持ちの持ち方次第という意味でいえば
人は皆平等で、
同じ船に乗っている仲間ともいえるのかもしれない。
幸せも不幸も自分の感じ方次第。
・・・であれば、
幸せを感じられる生き方をするには
あれこれ努力する必要はなくて、
自分の今に感謝し、幸せを感じればいい、
ただそれだけなのかもしれない。
しかし、「ただそれだけ」がなかなか難しい。
自分に障害や困難が立ちはだかっている時、
より大きい障害や困難を持つ人と比べて、
自分はまだ幸せだと思うことは
割と簡単に思いつく方法だ。
けれども、そのやり方では、
もう一方に視線をやってしまった瞬間、
自分より困難が少ない人が目に入った瞬間、
自分の幸せ感は失われてしまう。
ではどうしたらいいのだろう。
つづく。
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