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「人は死ぬ時、何を持っていけるのか」という疑問について考える

日本でもそうなのかもしれないが、
中国でも読書会ブームだ。
私は、中国古典の読書会のほかに、
隔週でもうひとつの読書会に参加していて、
そこでは「子どもの教育」という本を読み進めている。

さて、その子どもの教育のほうの読書会で
みんなで感想を言い合う時間になった時、
本文の内容にからんで、ある女性がこう言った。
 
「人は死ぬ時、何を持っていけるのかなぁ。」
 
しばしの沈黙の後、
一人の理系の男性が口を開いた。
 
「僕は何も持っていけないと思う。
 死んだらゼロになるんだろう。」
 
死んだらゼロになる。
 
そうかもしれないけど、そうではないかもしれない。
それってこの世界でまだ解明されていないことだよね。
 
「死んだ後どうなるのかをちゃんと体験した人はこの世にいないから、
 死んだらゼロになるのか、それとも死後の世界があるのか、
 だれも証明できないですよね」
 
とわたしも思ったことを言ってみた。
すると先生から、
 
「では、あなたは死後の世界があると信じますか。」
 
と聞かれた。
 
「死後の世界があるかどうか、
 誰も見たことがなくて証明できないなら
 信じるかどうかの問題ですが、
 信じれば、人の心や身体は
 ”ある”ものとして反応するものです。
(それは”ある”と同じ)」
 
その時は先生の質問に
とっさに答えることができなかったのだが、
そう言われて少し考えてみると、
自分の気持ちは
「死後の世界はあるのではないか」
というほうに傾いていることを発見。
 
「人が生きる意味」を
ずっと考えてきたが分からなかった。
 
数十年をいろいろ頑張って生きたとしても、
最後は死んで無に帰するのなら、
この人生に何の意味があるのだろう。

私の心の奥底にはずっとそんな虚無感があった。
 
だけど。
 
もし、最初にこの世に降り立った時の魂と、
この世を去る時の魂が違うものになっているなら、
そして、
その魂が輪廻し存在し続け、
次の世代に経験を引き継いでいくのだとしたら、
私のこの人生も、
意味があることになるのではないか。
 
人はこの世にやってきて、いろいろな経験をして、最後は死ぬ。
 
私はそこになんらかの意味を見出しながら生きたい。
 
ここで冒頭の女性が発した
「死ぬ時に持っていけるものは?」
という問いを改めて考えてみて、
私の頭にふと浮かんできだ想像は・・・
 
死ぬ時に持っていけるのは「光」。
 
この世で様々な経験をし成長することで、
魂の光の色合いや大きさ、透明度がより高まって、
あの世に旅立つ。
そして、また次のテーマを持って
再びこの世に降り立つ日が来る。
 
こんなことはみんな想像にすぎないけれど、
私は自分の人生が死ねばまったくの無に帰する
とは思いたくないので、
魂は輪廻すると信じて、
喜びも悲しみも、
ひとつひとつの経験を
自分の魂をより透明なものにする糧としてとらえて
生きていきたいと思う。

あなたは、死ぬ時、何を持っていけると思いますか。


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