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ぼくらは夢でも引っ越しをする!?

ちょっとおかしなものになった。
連想瞑想みたいで読めないようなものになっているかもしれない。


さっき夢を見た。
23時頃、元カノと仕事帰りに中野坂上らしき場所を歩いていて、彼女がものすごく喜んでいる。
スマホの画面を見ながら、テンション高く騒いでいる。

夢の中のことなので判然としないが、自分好みの格好のいい男性に昨日声をかけられて嬉しかった、ということらしい。
その男性をスマホで写真に撮ったのだろう。
私は喜ぶ彼女を何か微笑ましい気持ちで見ていた。

そうして二人で帰っているときに、誰かに話しかけられて、それは昨日彼女に声をかけた男性だった。
外資系の営業をやっている感じのジャケット風のカジュアルな私服で、ワックスで前髪を上げておでこを出している男、服装からも雰囲気からもうわべだけのようなものを感じて、人間と対等に向き合ったりはしなそうな男に思えた。

それでも彼女は急に恥ずかしそうに俯いた。
男は私がいるのに、声をかけ続けてきた。
私は、この男といたらすぐに捨てられるな、とか、長く付き合っても何の中身もないだろうな、などと思ったけれど、彼女が喜んでいるから彼女にもこの男にもチャンスが必要だろうと思った。

私たちはもう友達でしかなく、その男と彼女との間を取り持つのは何の問題でもなかった。問題があるとすれば、彼女の不幸が目に見えているということだけだった。
私は男に声を掛けたのか、掛けなかったのか、それは夢のことでよくわからなくなった。そうして、私は彼女とその日別れて、送り届けたのか、男に送らせたのかわからないが、とにかく一人になって、それから家がないことに気づいた。
ああそうか、と思った。

私には東京に家がない。
家がないと思えるほどに、夢の中で引っ越してしまったのだ。
東京の夢の中で私はいつでも家を探している。まただと気付いた。

私は田舎に来て、初め東京の家にいて夢を見ていた。
それがいつからか、東京に家がない夢になった。夢が引っ越してくるまで数か月かかった。
これは東京で引っ越しをした時にも起こった。
私は長く荻窪に住んで、阿佐ヶ谷に引っ越した。あの辺が好きで、あの辺で生きていた。
荻窪から、というか、まあ阿佐ヶ谷から阿佐ヶ谷に引っ越した時、その近場であっても夢が引っ越すには半年くらいかかって、何かそわそわと落ち着かなかった。

これを私は魂が居場所を理解するまでの時間という気がしている。
それを認知的な地図、習慣や身体感覚、人間関係の重心などと説明すると漂白的だから、そうではなく魂の居場所と呼んでみる。
こんなことを書くとオカルトみたいだけれども、そういうことではなく、心が定まるまでには時間がかかる。

移動というものは面白く、人間が自力で出せる以上の速度や距離で体が移動するとき、何か不思議なことが起こるらしい。それの延長なのか、根本原因なのか、とにかく移動ということで動くときには、その位置が本当の意味で確定するまでに多くの時間が掛かるようだ。
時間という単位で仮に今説明したけれど、実際には時間でもなく、先日『存在と時間』についての記事を書いて、私はそれをよく読んで承認しているかのように読まれたかもしれないが、あれは最初から失敗すべくして失敗した本だった。

時間というものが何なのか本当はわからない。
場所、つまりは移動というものも本当は何なのかわからない。
それでも魂の居場所、自分の位置というものは何らかの意味であり、私の位置は東京に不在になった。

魂の位置は人の中にもあり、元カノの中にないことは正確な見立てで、それが夢に出てきたのは頭の整理なのだろうか。
ある元カノ一人への後悔ではなく、女性全般へ酷いことをしてきた記憶への整理で、その魂の置き場所を調整しているのだろうか。

とにかく、私は東京の夢を見るとき、いつでも家がない。
そして、同時に実は、今の田舎に住んでもここは居場所ではないと感じているということもある。
魂の居場所がこちらで夢を見ているのに、本当はその居場所もここではないと言っている。このとき魂を超えた何かが言っている。私が言っているのではなく、何かが言っているから、それは悪いものが言っているのか。

仏陀が悟りを開くときの話で、悪魔(マーラ)が話しかけてくるけれど、その区別がつくということはどこから来るのか。悟りと惑いの違いはどうやって区別がついて、悟りに至るのか。
私にはその区別はないように思う。オカルトや宗教や人間の真理を信じてはいないというか、どうでもいい。信じてしまえば生きやすかったり腑に落ちるということで、私はまだ必要としていない。
それでも魂の居場所はあり、また同時に魂が認めた居場所が正確だとは思えずにいる。

夢の引っ越しは確実にある。
それをしている途中の人は心が落ち着かなかったりイライラしたりしているから、見守ってあげるほうがいい。
しかし、私のようにその居場所が確定しない人もいる。本当はそういう人ばかりかもしれない。そう思わない人はそういう瞬間にいるということかもしれない。

私は深夜の高速バスが好きだ。あのどこかへ行ってしまう感じ、目的地がわかっているのに、どこへ行くのか確定していない感じで、不便で狭苦しく、何か悲しい。
ほかの人々が寝静まって、一人で高速道路に並ぶ等間隔の電灯を見て、遠くに点綴と見える民家の光を見る。視界のすべてがぼうっとしている。
私はあそこにいるのかもしれない。
あそこで、自分の居場所が隙を見せるまでじっと覗っているのかもしれない。

夜が明けて、目的地に着くと私の頭も魂も居場所を理解し始めて、私はそれらからまた隠れて隙を覗う。夢の整理が追いかけてくる。

これは分析から逃れている部分を思いつくままに書いただけで、分析に落ちないと思える部分だけれど、これを精神分析などにすると別の話になってしまう。
これこそが調整や整理になるのだろう。
そう思わないで、それをしているのだろうか。

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