【攻略】高身長女子がもっと可愛く見える「人との距離感」のつくり方
〜初対面より「2度目まして」が苦手なあなたへ〜
2026/8/15更新
この記事の無料部分の最終行を書き直しました。
「続きを読んでください」というお願いから、「読まないと損する気がする」設計に変えています。書き直した理由と具体的な変更点は第3章に書きました。
2026/8/6更新
記事全体の価格改訂を行いました!
たくさんの人に届いて欲しい気持ちのもと、今まで書いてきた記事のほとんどを無料記事でお届けしています🍀
本当に必要な人に届いて欲しい記事(と、設定で変えられないもの)は値段がついていますが、そちらは本当に有益なことしか書いていないと自負しているので、ぜひそちらもお願いいたします!
はじめに
わたしは身長170cmです。
(病院で測ったら170.4cmでした。ここは擦っていこうと思いますよ!)
高身長×可愛いをテーマに、
noteで自分の思っていること感じたことをきままに書いています🌿
「可愛いは、生まれつきの才能ではなく、自分を大切にする習慣」
どうぞ、お見知りおきを!
「初対面は意外と話せるのに、2回目以降に会うほうが緊張する」
そんな経験はありませんか?
わたしはずっと
この感覚を誰にも理解してもらえないと思っていました。
高身長だからなのか、
「しっかりしてそう」
「堂々としてそう」
「誰とでも仲良くなれそう」
と言われることがあります。
でも実際のわたしは、未だに人との距離感をつかむのがとても苦手です。
初対面は「はじめまして」という共通のスタートラインがあります。
けれど、二度目になると
「前回のことを覚えていてくれているかな」
「今日は何を話せばいいんだろう」
「もっと自然に話さなきゃ」と、急に意識し始めてしまうのです。
その結果、ぎこちなくなったり、聞き役に徹したり、
家に帰る頃にはぐったり疲れてしまうことも少なくありませんでした。
周りを見ると、職場の同僚同士で楽しそうに笑い合っていたり、
初めて会った人とも自然に打ち解けている人がいます。
「どうしてわたしはあの人みたいにみんなと気軽に話せないんだろう」
「どうしてあの人はいろんな人に話しかけられるのにわたしにはそれがないんだろう」
そんなふうに、自分を責めたことも何度もありました。
でも、あるとき気づいたのです。
わたしに足りなかったのは、会話力ではありませんでした。
人との距離感のつくり方を知らなかっただけだったのです。
距離感というと、
「積極的に話しかけること」や
「誰とでも仲良くなること」を思い浮かべる方もいるかもしれません。
けれど、本当に大切なのはそうではありません。
自分をすり減らさず、相手も心地よく感じられる距離を知ること。
その距離感が身につくと、不思議と表情も柔らかくなり、姿勢も変わり、「話しかけやすい人」「一緒にいて安心できる人」という印象へ少しずつ変わっていくように感じます。
わたしはこれまで、
「可愛いは、生まれつきの才能ではなく、自分を大切にする習慣」だとお伝えしてきました。
その習慣の中には「人との距離感を大切にすること」も含まれていると思っています。
もしあなたが、
初対面より「2度目まして」が苦手
人と話すのは嫌いじゃないのに、とても疲れる
聞き役ばかりになってしまう
「輪の中に入れない」と感じることがある
そんな気持ちを抱えているなら、この一冊はきっとあなたのための記事です。
・・・わたしのための記事でもあります。何度も読み返して欲しい(し、自分でも読み返したい)のでがんばります。
このnoteでは、
「無理に社交的になる方法」はお伝えしません。
その代わりに、自分らしさを大切にしながら、人との距離感を育てて
もっと自然体で「可愛い」と思われるための考え方と実践方法をお伝えしていきます。
あなたらしい心地よい人間関係を、一緒につくっていきましょう。
第1章 高身長女子ほど「堂々としている」と誤解される
高身長の女性は、実際の性格とは関係なく、
「堂々としている人」「しっかりしている人」だと思われやすいことがあります。
もちろん、背が高いことに自信を持ち、堂々と振る舞える女性もいます。
けれど、すべての高身長女性が、自信に満ちていて、人付き合いが得意なわけではありません。
むしろ、見た目から受け取られる印象と、本当の自分との間に大きなギャップを感じている人もいるのではないでしょうか。
「何でも堂々とできそう」
「頼りになりそう」
「姉御肌っぽい」
「誰とでも自然に話せそう」
悪意のない言葉だと分かっていても、言われるたびに少しだけ困ってしまう。
なぜなら、本当の自分はそんなに強くないからです。
初めての場所では緊張しますし、人の輪に入るタイミングも分かりません。話しかけられれば受け答えはできても、自分から会話を広げるのは苦手。
心の中では「変なことを言っていないかな」「相手を困らせていないかな」と、いろいろ考えています。
それなのに、外からは落ち着いて見える。
このギャップが、人間関係を難しくすることがあります。
「目立つ」と「自信がある」は、同じではない
背が高い女性は、集団の中でも自然と目に入りやすくなります。
本人が目立とうとしていなくても、立っているだけで見つけられたり、後ろにいても存在に気づかれたりします。
すると周囲からは、
「人前に出ることに慣れていそう」
「注目されても平気そう」
という印象を持たれることがあります。
けれど、目立ちやすいことと、注目されるのが好きなことは別です。
むしろ、できるだけ静かに過ごしたいのに自然と目に入ってしまうことで、長い間「小さく見せたい」と感じてきた人もいるでしょう。
わたし自身も、自信があるから堂々と立っていたわけではありません。
背が高いというだけで目立つことが嫌で、少しでも存在感を消したくて、無意識に背中を丸めることがありました。
「大きいと思われたくない」
「威圧感を与えたくない」
「可愛げがないと思われたくない」
そんな気持ちから、姿勢まで小さくなってしまうのです。
ところが、猫背になると、今度は
「自信がなさそう」
「暗そう」
「話しかけにくそう」と見られることがあります。
目立ちたくなくて縮こまったのに
その姿勢によって、さらに本当の自分とは違う印象を与えてしまう。
これは、とても苦しい悪循環です。
これはわたしの息子の話なのですが・・・
彼は中学2年生の今時点で183cmあります。
当然ですがどの場にいてもすぐ見つけられるくらい目立ちます。親としては見つけやすくて大変ありがたいです。自慢の息子です。
しかし、彼自身はあまりそういうのが得意じゃありません。
いつも猫背で、自信なく小さくなっています。座ると頭ひとつ分身長が低い子より小さくなっていることがあったのは驚きました(立ち上がるとでかくてビビるやつ)。
猫背自体はある特殊な病気があったのである程度仕方のない部分はあるのですが、
それでもあんまり目立ちたくないという理由で平気で背中を丸めて小さくなる人なので、ここで取り上げました。
わたしに似て自己肯定感も低く(そうならないように愛情持って育てたんだけどな・・・)、今親子で改善しようと画策中です。
今は吹奏楽部でパーカッションを頑張っていて、背筋が伸びているのを見るとちょっとホッとします。
彼は男性ですが、わたし含めてこういう人ってきっとたくさんいるのかな?って思ったのがこのnoteを真剣に書こうと思ったきっかけのひとつでもあります。
🌿息子のことを綴ったnoteはこちら↓
「しっかりしてそう」がプレッシャーになる
高身長女性が言われやすい言葉の一つに、
「しっかりしてそう」があります。
褒め言葉として言ってもらえることも多いでしょう。
しかし、心が疲れているときには、
この言葉がプレッシャーになることもあります。
本当は人に頼りたい。
分からないことを教えてほしい。
不安だから誰かに声をかけてほしい。
それなのに、
「この人なら一人でも大丈夫だろう」と思われてしまう。
周囲に悪気がなくても、助けが必要なことに気づいてもらいにくくなるのです。
たとえば、新しい職場や集まりに参加したとき。
小柄で緊張している様子の女性には、
誰かが「大丈夫?」「分からないことがあったら聞いてね」と声をかけている。
けれど、自分には特に声がかからない。
そんな場面で、
「わたしは平気そうに見えるんだろうな」と感じた経験はないでしょうか。
本当は自分も不安でいっぱいです。
でも別に声をかけられないから、平気なふりをする。ヘラヘラする。
平気なふりをするから、
ますます「一人でも大丈夫な人」に見える。
そして気がつけば、周囲に人が集まっている誰かを横目で見ながら、
なぜか自分だけ少し離れた場所にいる。
そのときに感じるのは、単なる寂しさだけではありません。
「わたしは誰にも気にかけてもらえない人間なのかも」
という、自己否定につながる痛みです。
無表情になってしまうのは、冷たいからではない
人との会話が苦手なとき、
私たちは頭の中でたくさんのことを考えています。
「次は何を返せばいい?」
「今の相づちは変じゃなかった?」
「笑ったほうがいいかな」
「名前を間違えていないかな」
考えることが多すぎて、表情まで意識が回らなくなることがあります。
その結果、本人は一生懸命話を聞いているのに、相手からは
「落ち着いている」「クール」「少し話しかけにくい」と受け取られてしまうことがあります。
特に高身長女性は、立っているだけでも存在感があるため、
無表情や緊張した表情が、実際より強く見えてしまう場合があります。
けれど、それは冷たいからではありません。
興味がないからでもありません。
むしろ、相手を不快にさせたくなくて、正解を探しすぎているのです。
わたし自身、誰かと話したあとに
「あのとき、もっとこう言えばよかった」
「もう少し気の利いたことを言えたらよかった」
「あの場面、どうしたら良かったのかな」
と反省することがあります。
その場では精いっぱいだったのに、
家に帰る頃には一人反省会が始まります。
そして次に会ったとき、
「前回うまく話せなかった」という記憶がよみがえり、さらに緊張してしまう。
これが、「2度目まして」を難しくする理由の一つでもあります。
自分らしさまで、小さくしなくていい
人との距離感に悩んでいると、
「もっと周りに合わせなきゃいけない」と思うことがあります。
空気を読んで自分の意見を飲み込む。
相手が気持ちよく話せるように聞き役に徹する。
できるだけ迷惑をかけないように自分の気持ちは後回しにする。
もちろん、それは優しさでもあります。
相手を思いやれることは、あなたの素敵な長所です。
でも、その優しさが「いつも自分だけが我慢すること」になってしまうと、少しずつ心は疲れてしまいます。
わたしも気づけば、
「これを言ったら空気を悪くするかな」
「わたしの話なんて面白くないかも」
「このタイミングでこの話したらスベるよな〜・・・」
なんて考えて、特に自分から話さないまま会話が終わることがよくありました。
その場は何事もなく終わります。
でも家に帰ると、どっと疲れている。
「今日も聞いてばかりだったな」
「本当は少し話したかったな」
「ちゃんと会話に参加できてたかな」
そんな気持ちが心に残ることもありました。
だからこそ私は、
「無理に話し上手になること」が大切なのではなく、
「少しだけ自分を見せる勇気」のほうが大切だと思っています。
「少し人見知りなんです」
「名前を覚えるのがあんまり得意じゃなくて・・・」
「人と話すと少し緊張するんですよね」
そんな小さな一言があるだけで、
相手は「そうだったんだ」と安心します。
弱さを見せることは、決して頼りないことではありません。
完璧に見せようとするよりも、
「実はこんな一面もあるんです」と伝えられる人のほうが、親しみやすく、自然と距離が縮まることがあります。
わたしたちが目指したいのは、
誰からも好かれる人になることでも、会話の中心になることでもありません。
自分らしさを押し込めることなく、相手のことも大切にできる人。
その自然体の姿こそが、肩の力の抜けた優しさとなり、
あなたらしい可愛らしさにつながっていくのだと思います。
高身長も、人見知りな性格も、不器用な部分も含めて、
その人らしい可愛さを持つ人です。
そのために、無理に話し上手になる必要はありません。
まずは、
「見た目の印象と本当の私は違ってもいい」と自分に許可を出すこと。
堂々として見えるのに、内心では緊張していてもいい。
しっかりして見えるのに、誰かに頼ってもいい。
落ち着いて見えるのに、本当は人との距離感に悩んでいてもいいのです。
周囲が抱く印象に、自分を合わせ続けなくても大丈夫です。
あなたが思っている以上に、少し不器用で、少し緊張している姿は、人を遠ざけるものではありません。
その素直さこそが、あなたを親しみやすく、柔らかく、可愛らしく見せてくれることもあるのです。
高身長だから強く見える。
だからこそ、柔らかな表情や素直な一言が、より魅力的に伝わります。
あなたは、誰かが決めた
「堂々とした高身長女性」を演じなくてもいいのです。
自分らしい距離感で人と関わるための第一歩は、まず、外から見える自分と心の中の自分、その両方を否定せずに認めることから始まります。
第2章 初対面より「2度目まして」が苦手なのはなぜ?
「人見知りです」
そう話すと、多くの人は「初対面が苦手なんですね」と返してくれます。
でも、わたしは少し違います。
実は、一番緊張するのは初対面ではありません。
わたしが本当に苦手なのは、「2度目まして」なのです。
正確には2度目以降〜というのか・・・
この感覚を誰かに話しても、あまり共感してもらえませんでした。
「一度会っているなら、むしろ話しやすいんじゃない?」
そう言われることもあります。
確かに、その通りなのかもしれません。
でも、わたしにとっては逆でした。
初対面にはある程度の「正解」がある
初めて会う人とは、不思議なくらい普通に話せます。
「はじめまして」
「よろしくお願いします」
お互いに初対面だからこそ、話す内容もだいたい決まっています。
仕事は何をしているのですか?
どちらから来たんですか?
ご趣味は?
LINEやってる?(だんだんお見合いかナンパに見えてきた)
多少ぎこちなくても、それが当たり前。
沈黙があっても、
「初対面だから仕方ない」と、お互いに思えます。
だからわたしは、
初対面だけなら何とか乗り切れるのです。
もちろん緊張はします。
でも、
「初めてだから」という理由があるので、自分を責めずに済みます。
だって初めてなんだもん、ある程度仕方ないよね!ってなるあの感覚です。
2回目から急に「正解」がなくなる
ところが、2度目になると話は変わります。
「あ、この前はどうも」
その一言を聞いた瞬間から、頭の中が忙しくなります。
「前会ったとき何の話をしたっけ」
「相手はわたしのこと覚えているかな」
「わたしは顔も曖昧でちゃんと覚えてないかも・・・」
「次は何を話せばいいんだろう」
初対面にはあった"台本"が、二度目にはありません。
だからこそ、自分で会話を作らなければならないような気持ちになります。
「覚えていて当然」が怖い
2度目ましてになると、
当然ながら相手との距離は少し近づいているのだと思います。
だからこそ、
「覚えていて当然」
という空気を、自分で勝手に感じてしまいます。
名前を覚えていなかったらどうしよう。
前回話した内容を忘れていたら失礼かな。
相手は笑顔で話しかけてくれたのに、私は何を話していいのか分からない。
そんなことばかり考えてしまいます。
実際には、相手はそこまで気にしていないことも多いでしょう。
でも、自分の中では大きなプレッシャーになってしまうのです。
「また失敗したらどうしよう」
わたしは人と話したあとによく一人反省会をします。
「受け答え変に思われなかったかな」
「もっと笑えばよかった」
「話が広がらなかったな」
そんなことを何度も思い返します。
そして、その人に再び会う日。
頭の中には、前回の反省ばかりが残っています。
「今日は失敗しないようにしよう」
「前よりちゃんと話そう」
そう思えば思うほど、体は固くなり、言葉も出てこなくなります。
すると、
「やっぱり今日もうまく話せなかった」と、さらに自信を失ってしまう。
気づけば、「2度目まして」が「3度目まして」「4度目まして」になっても、ずっと緊張したままなのです。
話し下手なのではなく、考えすぎている
わたしは長い間、
「わたしは会話が下手なんだ」
そう思っていました。
でも、あるとき気づきました。
話せないのではなく、
考えすぎているのです。
嫌われたくない。
変な人だと思われたくない。
空気を悪くしたくない。
期待を裏切りたくない。
その優しさが、全部自分に向いてしまっていたのです。
だから話している最中も、
「次は何を言おう」
ではなく、
「これを言って大丈夫かな」
を考えています。
これでは疲れるのも当然です。
過去にたくさん失敗してきているから、余計に。
「自然に話せる人」が羨ましかった
職場でも、友人同士でも、
二度目、三度目になるほど会話が弾む人がいます。
前回の続きを自然に話し、
「この前のあれ、どうだった?」
と笑い合っている。
わたしはその光景を見るたびに、
「どうしてあんなに自然に楽しくおしゃべりできるんだろう」
と羨ましく思っていました。
でも今振り返ると、わたしはその人たちの"結果"だけを見ていたのだと思います。
人との距離感は、一回の会話で決まるものではありません。
少しずつ積み重ねて育っていくものです。
私は、
「一回で自然に話せるようにならなきゃ」と思い込み、
そのハードルを自分で高くしていたように思います。
「2度目まして」が苦手なのは、真剣だから
もしあなたが、
初対面より二度目のほうが緊張するなら、
それは人付き合いが下手だからではありません。
相手との関係を大切にしたいと思っているからです。
嫌われたくない。
ちゃんと関係を築きたい。
失礼な人と思われたくない。
その気持ちが強いからこそ、慎重になるのです。
だからわたしは、
「2度目まして」が苦手な人は、とても誠実な人なのだと思っています。
ただ、その誠実さが自分を苦しめる方向へ向いてしまうと、
少しずつ人付き合いが怖くなります。
「また緊張するくらいなら、人と会わないほうが楽」
そう思う日もあるでしょう。
でも、本当は人が嫌いなのではありません。
人との関係を諦めたいわけでもありません。
ただ、
「うまくやらなきゃ」という気持ちが強すぎるだけなのです。
だからまずは、自分にこう言ってあげてください。
「2度目ましてが苦手でも、大丈夫」
あなたは人付き合いに向いていないわけではありません。
少しだけ、人との距離を慎重に測るタイプなだけです。
そして、その慎重さは、安心できる関係を大切にできる人だからこそ生まれる、あなただけの優しさでもあるのです。
第3章 人と話すと疲れるわたしは、変わらなきゃいけない?
人と話すと、ひどく疲れる。
それなのに、自分以外の人たちが楽しそうに話している姿を見ると、寂しくなる。
「一人でいたい」と思う日もあるのに、誰からも話しかけられないと、自分だけ取り残されたような気持ちになる。
そんな一見矛盾した感情を抱えていると、
「わたしは人付き合いがしたいのか?したくないのか?」
と、自分でも分からなくなることがあります。
けれど、先に結論からお伝えします。
人と話すと疲れる自分を、無理に変える必要はありません。
あなたは人が嫌いなのでも、わがままなのでもありません。
人との関わりを求める気持ちと、人との関わりで疲れる性質は、同時に存在していいのです。
話したくないのではなく、安心してつながりたい
私は、目的のある会話なら比較的できます。
仕事の説明をする。
必要なことを確認する。
何かを質問されたら答える。
接客のように役割がはっきりしている場面では、
「何を話せばいいのか」が分かるため、ある程度落ち着いて対応できます。
けれど、目的のない雑談になると急に難しくなります。
天気の話から自然に話題を広げたり、誰かの噂話をしたり、
相手の話に気の利いた言葉を返したり、会話が途切れそうになった瞬間に次の話題を出したりすることが非常に苦手です。
何かしゃべった方がいいのかと焦れば焦るほど言葉が出てきません。
結局、相手の話を聞きながらうなずいたり相槌を打ったりするだけになります。
もちろん、聞くこと自体が嫌なわけではありません。
相手の話を丁寧に聞くことはできますし、
「話を聞いてもらえてよかった」と思ってもらえるなら、それはうれしいことです。
ただ、いつも聞き役ばかりになると、少しずつ苦しくなってきます。
相手の話を否定しないように気をつける。
表情が固くならないように努める。
興味がないと思われないように相槌を打ったり都度質問する。
話の流れを壊さないように自分の言いたいことは飲み込む。
会話が終わる頃には、頭の中も心もいっぱいです。
「楽しくおしゃべりできる人が羨ましい」
そう思うのは、たくさん話したいからとは限りません。
本当に欲しいのは、
頑張らなくても自然に言葉を交わせる関係なのだと思います。
自分ばかりが気を遣わなくてもいい。
沈黙しても気まずくない。
話す日もあれば、話さない日もある。
そんな安心できるつながりが欲しいのです。
会話の輪に入りたい。でも、入ったら疲れる
職場で、同僚同士の話が盛り上がっていることがあります。
仕事の手が止まるほど楽しそうに話し、笑い声が続いている。
その様子を見ると、私はとても羨ましくなります。
「あんなふうに自然に話せたらいいのに」
「わたしもあの輪の中に入れたらな」
そう思う一方で、実際に会話に加わったら、きっとかなり疲れることも分かっています。
話題についていけるだろうか。
入るタイミングを間違えないだろうか。
変な空気にしてしまわないだろうか。
そんなことを考えるだけで、足が止まります。
無理に輪に入ったとしても、みんなが話している間に自分は相槌を打つだけで終わってしまうかもしれません。
そして帰宅したあとに
「今日は話しすぎた気がする」
「変なことを言わなかったかな」
「全然話についていけなかったな」
と振り返り、どっと疲れてしまうのです。
半日ほど人が集まるイベントに参加しただけで、
残りの半日をずっと疲れて寝てしまうことも多々あります。
イベント自体が楽しくなかったわけではありません。
誰かに嫌なことをされたわけでもありません。
楽しい時間だったはずなのに、帰宅すると頭も体も動かない。シャットダウン、というより強制再起動している感じです。
人の声、表情、場の空気、会話の流れ。
一度に受け取ったたくさんの情報を脳の中で処理しきれずに疲れてしまうので、回復までに時間が必要なのだと思います。
それでも、楽しそうに話す人を見ると羨ましい。
この気持ちは、矛盾しているように見えるかもしれません。
でも、決しておかしなことではありません。
人と関わる力には個人差があります。
長い時間話していても元気になる人もいれば、短い会話でも多くのエネルギーを使う人もいます。
充電の減り方が違うだけなのです。
「わたしには最低限しか話さない」が苦しい
職場を訪れる知り合いの方たちが、同僚とは親しげに話している。
近況を聞いたり、冗談を言い合ったり、以前の話の続きを楽しそうに話したりしている。
けれど、わたしとは必要最低限の会話だけ。
その違いを目の前で見ると、胸が痛くなります。
「わたしは話しかけにくいのかな」
「わたしと話してもつまらないのかな」
「わたしはおまけやついでのような存在なんだ」
そんな考えが浮かびます。
本当は、その人と長く話したいわけではないかもしれません。
毎回たくさん話しかけられたら、疲れてしまう可能性もあります。
それでも、自分以外の誰かには親しげに話しているのに、自分には話しかけてこない。その差が苦しいのです。
会話の量そのものよりも、
「わたしは関心を持たれる存在ではないのかもしれない」
と感じてしまうことが、つらいのだと思います。
人は、自分の存在が誰かに認識されていると感じることで、安心します。
名前を呼ばれる。
前に話したことを覚えていてもらえる。
「元気だった?」と尋ねてもらえる。
ほんの短い一言でも、
「あなたのことを覚えていますよ」と伝われば、心は少し温かくなります。
反対に、自分だけ会話の外側にいると、
「ここにいてもいなくても同じなのでは」と感じやすくなります。
そのため、人と話すことに疲れやすい人でも、
疎外感には深く傷つくことがあるのです。
話したいわけではないのに、話しかけられないと寂しい。
これはわがままではありません。
あなたが求めているのは、会話の中心になることではなく、
自分もその場にいる一人として大切に扱われることだからです。
顔や名前を覚えられない自分を責めてしまう
わたしは接客の仕事をしていますが、人の顔を覚えることが非常に苦手です。相貌失認なんじゃないかと思っています(未診断)。
一番前でレジ打ちしていうるのに接客したお相手の顔をまったく覚えていないので、いつも大体はじめましてで接客している状態です。
一度や二度くらいだと顔が覚えられません。近くに住んでる人も未だに見分けつきません。
同僚が「さっき来た人だね」と言った人を見ても全然記憶にないことはザラです。
何度か来てくださっている方でも、すぐに気づけないことがあります。
相手はわたしのことを覚えてくれているのに、わたしは誰だったか思い出せない。
そんな場面では、とても焦ります。
「前にも来ましたよ」と言われると、申し訳なさでいっぱいになります。
接客をしているのだから、顔を覚えるのは当たり前。
そう思えば思うほど、自分を責めてしまいます。
けれど、人の顔や名前を覚えるのが苦手だからといって、その人を大切に思っていないわけではありません。
興味がないわけでもありません。
その場ではきちんと向き合い、失礼のないように接していても、あとから顔と情報を結びつけることが難しい場合があります。
それでも、周囲に顔を覚えるのが得意な人がいると、比べてしまいます。
同僚はお客様の名前や以前の会話を覚えていて、すぐに親しげなやり取りが始まる。
一方のわたしは、相手が誰なのかを思い出すことに必死です。
その差を見るたびに、
「だからわたしには人が寄ってこないのかもしれない」
「わたしには人間関係を築く力がないのかもしれない」
と思ってしまいます。
しかし、関係を築く方法は、顔や名前を一度で覚えることだけではありません。
分からないときに、曖昧なまま話を合わせるのではなく、丁寧に尋ねる。
その場で相手の話に耳を傾ける。
短い時間でも誠実に向き合う。
そうした積み重ねも、立派な人との関わり方です。
噂話に興味を持てないわたしは冷たい人間なの?
女性同士の会話ではたびたび
共通の知人や身近な人の話が話題になることがあります。
けれどわたしは、他人の噂話にあまり興味を持てません。
誰がどこで何をしている。
誰と誰が仲良くなった。
誰がどんなことを言っていた。
そうした話を聞いても、どう反応すればいいのか分からないことがあります。
そもそも顔も覚えてないし・・・。
自分自身のことや家族のこと、趣味や仕事のことを考えるだけで、
心の中はすでにいっぱいです。
だからといって、人に関心がないわけではありません。
ただ、自分のエネルギーをどこに使うかが違うだけです。
それでも周囲が楽しそうに噂話をしていると、その話題に入れない自分だけが浮いているように感じます。
一緒に盛り上がることができない。
共通の話題を持てない。
だから関係を築けない。
そんなふうに、自分の性格を欠点として受け取ってしまうことがあります。
でも、人の噂に興味がないことは、決して冷たさではありません。
誰かを話題にしてつながるよりも、
目の前の相手本人と穏やかに関わりたい。
深く踏み込まず、お互いの生活を尊重したい。
それも一つの優しさです。
変えるべきなのは、性格ではなく「自分への見方」
人と話すと疲れる。
聞き役ばかりになってしまう。
人の顔を覚えるのが苦手。
噂話にも入れない。
輪の外にいると寂しいのに、輪の中に入り続けるのもしんどい。
これだけ並べると、
「わたしは人付き合いに向いていない」と思いたくなるかもしれません。
わたしももっと社交的にならなければいけないと思っていました。
誰とでも気軽に話せる人になれば、もう寂しくない。
顔や名前をすぐ覚えられれば、もっと親しくなれる。
疲れずに会話を続けられれば、輪の中に入れる。
そう考えて、自分とは違う誰かになろうとしていました。
けれど、無理に自分を変えようとするほど、人と関わることが怖くなりました。
本当に必要だったのは、
話し上手になることではありません。
「わたしは人付き合いができない」と自分を責めるのをやめ、
自分に合った関わり方を知ることだったのです。
すべての人と親しくなる必要はありません。
長時間、会話を続けなくても大丈夫です。
聞き役になる日があってもいい。
一人で回復する時間が必要でもいい。
そして、誰かの輪に入れず寂しいと感じたときは、
「こんなことで傷つくなんて」と否定しなくていいのです。
寂しいものは、寂しい。
羨ましいものは、羨ましい。
その気持ちを認めたうえで、自分をすり減らさない距離を探していく。
それが、これからわたしたちが目指したい人との関わり方です。
あなたは、誰とでも楽しく話せる人にならなくていい。
ただ、無理をせずに誰かとつながり、
自分も大切にされていると感じられる関係は、少しずつ育てていけます。
変えるべきなのは、疲れやすいあなたの性格ではありません。
「わたしはおまけだから」
「わたしには魅力がないから」
と、自分の価値まで低く見積もってしまう考え方です。
人と話すと疲れるあなたにも、あなたらしい優しさがあります。
静かに話を聞けること。
相手に踏み込みすぎないこと。
一人ひとりと誠実に向き合おうとすること。
それらは、にぎやかな会話の中では目立ちにくいかもしれません。
けれど、安心できる関係をつくるうえで、とても大切な魅力なのです。
では、話し上手にならなくても、人との距離は育てられるのでしょうか。
🌿ここからは、「どうすれば?」の実践編です。
ここまで書きましたが
ひとつだけ、先に聞かせてください。
あなたは「人付き合いが苦手な自分を変えたい」のではなく、
「今の自分のまま、もう少し人付き合いをラクにしたい」と思いませんか?
そんなあなたのために、
🌿話し上手にならなくても、安心感を与えるコツ
🌿姿勢・表情・言葉で「話しかけやすい人」になる方法
🌿人付き合いで疲れすぎない距離感のつくり方
🌿苦手な「2度目まして」を少しラクにする考え方
🌿今日からできる、小さな実践方法
を具体的にお伝えします。
読み終えたら明日の朝、あなたは人との距離感に少しだけ安心を覚えます。
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これからも見てくれた方に届くようなメッセージを発信していきます。 応援していただけるととても嬉しいです!
