静けさに出会う山 ──花と風と、ひとときの解放
すずらんの香る午後、入笠山にて
静けさと光のあいだを歩く
午後になってから山へ向かうというのは、少しだけ世界と距離を置いてみたくなるときかもしれない。
仕事を終え、午後へと向かう光に誘われて車を走らせた。
向かったのは、何度も訪れているはずなのに、そのたびに新しい表情を見せてくれる山 ”入笠山”。

この時期の入笠山は、すずらんの香りに包まれている。
風に乗って運ばれてくるその香りは、目には見えないのに、なぜか心をやさしく撫でてくる。
ドイツすずらんの白い小さな花々が、草原の中に群れ咲き、まるで静かな祝祭のようだった。

”君影草”
上から見たのでは見落としてしまう
日本すずらんも、葉の影で慎ましく咲いていた。
ひっそりと、控えめに、それでいて香り高く凛とした佇まい。
その姿は、古くから「君影草」とも呼ばれてきた。
かつて、誰かをそっと陰から見守る草として名付けられたその名には、時代とともにさまざまな解釈が重ねられてきた。
けれど、今この場所でその花を見ていると、それはむしろ、そばにいてくれるだけで安心できる、静かに寄り添う存在の象徴のように思えた。
「幸福の再来」
「平穏」
「自然な美しさ」
すずらんの花言葉は、この日の山行そのものだった。
たくさんの花に出会ったわけではない。
大きな景色を前にしたわけでもない。
けれど、歩いた道、吸い込んだ空気、差し込んできた光──
それらの一つ一つが、心にそっと安らぎを落としてくれた。

甲斐駒ヶ岳の白い筋、八ヶ岳の裾野に広がる街並み、
そして、山頂近くで雲間から顔をのぞかせた富士の姿。
それらすべてが、午後からでも十分に受け取れる贈り物だった。
山は静かだ。
何も語りかけてこないけれど、
たしかに“何か”が語られていた気がした。
いつかそれが”何か”分かる日が来るかもしれない。
下山後は、いつもの温泉。
湯に浸かり目を閉じると、先ほどまでの風景や空や香りが蘇ってきた。
変わらないルーティンの中にも、今日は少しだけ色が差して見えた。
すずらんの香りが記憶に残るこの日、
ふと気づくと、心は少しだけ軽くなっていた。
またきっと、この山へ戻ってくる。
季節が変わっても、すずらんが咲いていなくても。
その静けさと、光のあいだに、私はまた何かを見つけに来るのだろう。
「君影草のように、誰かの歩みに静かに寄り添う存在でいたい。」
そんな気持ちを、大切にしたい。
