第一志望の大学に落ちたのに悲しい気持ちが生まれなかった理由
私は大学受験において、第一志望の大学(学部)に合格できませんでした。
そのことについては受験から20年近く経過した今では、あまり気にしていません。
結果的に進学することになった母校に対しては愛着も大きいですし、第一志望に不合格になった点については未練や悲しさは特にありません。
ただ、この感情は受験生だった当時も同じような状況であり、第一志望に落ちたという事実について、悲しい気持ちがほとんどなかった気がします。
第一志望に不合格となれば、少なからず悲しい感情がありそうなものですけど、私の場合にはある理由からそれが生まれなかったのです。
そもそも第一志望に受かるのが明らかに難しい状況だった
私の大学受験は当時のセンター試験(センター利用入試)において、滑り止めを確保する予定で、一応確保はできました。
ただ、その滑り止めに進学する気は全くなく、後の一般入試の時期において、どこか最低1つは受かりたいという気持ちだったのです。
逆に言えば、一般入試では自分の当時の学力からいって、合格が難しい(感覚的にはそれぞれの合格率は5~40%くらい)大学のみを受験しており、どこか1つでも合格できれば自分としては満足できるという状況でした。
私は一般入試で7つ受験しましたが、第一志望の合格率は5%くらいだと思っていました。
受験時には自分の偏差値や過去問を解いてみたときの感触的に、かなり厳しいだろうという予感があったのです。
模試の判定では最高がDであり、ほとんどE判定という状況なので、その点からも厳しかったと言わざるを得ません。
そんな状況のため、私は入試当日も「落ちるだろう」という前提で受けに行っており、実際に予定通りに落ちたので、予想できた状況が本当に起きたというだけだったのです。
これが私が第一志望に落ちて悲しくなかった理由の1つになります。
合格できればどこでも嬉しいところだけを受験した
私が第一志望の大学に落ちて悲しくなかった理由のもう1つとしては、そもそも第一志望以外の一般入試で受けた大学に関しては、どこに受かってもそれなりに嬉しいと思えたところだったという点があります。
受験した7つのうち、仮に志望順位が7番目のところにしか受からなかったとしても、かつての私では合格はまず無理だろうと思える状況だったため、少なからず嬉しさがあったと思います。
大学受験を迎える前の私の学力については、以下に少し記載しているので、よければご覧ください。
私はMARCH以上の大学に行きたいと考えており、MARCHレベルの大学であれば、受かれば万々歳という状況だったわけです。
そして、受験した7つは最低でもMARCHレベルと言えるところで、その中で1つでも受かればいいと考えていて、もはや第一志望に受かることが重要ではなく、どこでもいいから1つは受かることが重要という認識でした。
結果的には第一志望に落ちたものの、7つの中で1つは受かったため、嬉しさを噛みしめながら、そこに進学をしたという状況です。
悔いが一切ないか?と言われれば、ないことはない
第一志望に不合格となった点に関して、そこまで不満はないです。
しかし、不満がないという点は逆に多少なりとも不満になり得る要素と言えるかもしれません。
私が唯一悔いが残っていると感じている点はそこであり、悔しさのような感情がほぼ浮かんでこなかった部分です。
つまり、受かっても不思議じゃないくらいまで勉強ができなかった点に対して、なぜもっと勉強しなかったのだろう?という思いは今でも多少はあります。
すでに話したように、私は第一志望の合格率は受験前の時点で5%くらいと考えており、かなり厳しいと思っていたので、落ちたことをスムーズに受け入れることがしやすい状況でした。
本当はもっと一生懸命勉強をして、受かるか?落ちるか?分からないくらいの状況を作りたかったと言え、その状態になれなかった点は一応悔いが残っていると言えます。
私が進学した大学は受験前も在学中も卒業後も満足しかないところであったため、第一志望に未練は全くありません。
しかし、受験勉強をもっと頑張ればよかったという思いだけは今後も少なからず残り続けるでしょう。
でも、あれだけの勉強量(1番勉強した日でも4時間程度)でよくMARCHレベルの大学に受かったなとは思いますし、ましてや私の在籍していた高校の偏差値はせいぜい50台中盤であり、そもそも私自身が勉強が大嫌いなので、これらを踏まえると十分頑張ったという見方もできるかもしれませんが。
