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私はどんな日本語教師になりたいのか~教師ポートフォリオ

以前、同僚に「ユン先生は、日本語教育において、能力を全てバランスよく備えていたいって欲求が強いですよね。」と言われた。

そんな風に言語化して思ったことはなかったのだが、言われてみると、確かに、それを志向しているなと思ったし、「え、みんなそれを目指しているのではないの?」という風にも感じたのだが、なるほど、みな言語化して意識しているかどうかは分からないが、それぞれ目指している教師像があって、それが「自分らしさ」、「自分のセールスポイント」ってことになるんだろう。

私は、

留学生、生活者、子ども、就労者、様々なレベル、年齢、ニーズ、様々な教科書、科目、日本語学校、地域の日本語教室、学校、オンライン、クラス授業、マンツーマン・・・、

未知の経験を1つずつ潰していき、どんな学習者にでも対応できるプレイヤー、もしくは、職人になりたいと願っている。

なぜか。

答えは明白。

「人はみな多様な存在だ。目の前の人に対応するために、フィードバックの精度を高めたい」と思っているからだ。

Forcus on Form だったり、

オンラインのマンツーで、英語、韓国語、中国語話者であれば、Chat GPTの力を借りて、母語でのフィードバックを返したり、

子ども相手だったら、絵本読み聞かせやゲームなどの活動をしているときに、教科の学習や概念形成に寄与する問いかけをしたり、

日本語での対話を通して、相手を知っていくことであったり、クラスの場づくりをしたり、

つまり、この職業は、私の人生経験が資産となって使えるので、私はそれがおもしろいんだろうなと思う。


去年から個人的に頼まれた人にだけ、オンラインレッスンをしているが、授業準備はあんまりしていないのだけど、自分に使える引き出しが増えてきて、レッスンの間は、学習者が何をしているか、また、その学習プロセスの観察、言語レベルにあった問いかけとフィードバックを行い、そして、後行シラバスなので、授業後にポイントをまとめて、フィードバックを返し、時に宿題を出したりして、次の授業につなげ、スパイラルになるように組むということをしている。
(どのようにしたら自律学習を促す設計ができるのかということも今後のテーマにしたい。)

回を重ねるごとに、その人にカスタマイズされていくので、2人でレッスンを組み立てている感じになるのが、面白い。そして、私は常に、学ぶ学習者に教えられている。

苦労して積み上げていった実践経験は、一つも無駄にならない。

やはり、人の言語習得に関わる仕事はおもしろい。

現在の私の机まわり


Chat GPT の分析

「私の文章から、私の教師像を分析して」

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あなたの文章から見える教師像は、かなりはっきりしています。

まず中心にあるのは、**「目の前の学習者に対して、できるだけ解像度高く応答したい教師」**という像です。
あなたは「教えること」そのものよりも、学習者の学習プロセスを見て、その人に合った問いかけやフィードバックを返すことに強く関心を向けています。つまり、知識伝達型の教師像ではなく、観察と応答の精度を上げていく教師像です。

次に見えるのは、守備範囲を限定したい人ではないということです。
留学生、生活者、子ども、レベル、教材、対面、オンライン、クラス、マンツーマンと並べている部分からは、「自分の専門領域だけを深めたい」というより、多様な条件にまたがって実践できる教師でありたいという志向が見えます。
ここでは「専門特化」よりも、対応可能性の拡張が大きな軸になっています。

ただし、その広がり方は、何でも屋になりたいという意味ではないです。
文章の核にあるのは「人はみな多様な存在だ」という認識なので、対象の多様さに応じて自分の引き出しを増やしたい、という方向です。つまり、あなたにとって技能の拡張は自己満足ではなく、他者の多様性に追いつくための手段になっています。
この点で、あなたの教師像はかなり他者起点です。

さらに特徴的なのは、人生経験を教育実践の資産として捉えているところです。
あなたは、教師としての専門性を、資格や教授法の知識だけで組み立てていません。海外生活、異文化経験、生活者としての経験、子どもとの関わり、地域活動などが、教室の中で使える資源になると見ています。
だからあなたの教師像は、単なる「授業者」ではなく、自分の生きてきた経験全体を教育実践に変換する人です。

また、授業観としては、かなり固定的なシラバス遂行者ではなく、相互生成型の教師です。
オンラインレッスンについて書いている部分からは、あらかじめ完成された授業を提供するというより、学習者の反応を見ながら、その人に合わせてレッスンを育てていく感覚が強いです。
「2人でレッスンを組み立てている感じ」と書いているので、あなたの教師像には、教師が一方的に設計して学習者がそれに乗る、という発想は薄い。むしろ、関係の中で学習を編んでいく人として自分を見ています。

それから、あなたの文章には、実践を蓄積していく職人的感覚があります。
「未知の経験を一つずつ潰していく」「苦労して積み上げていった実践経験は、一つも無駄にならない」という言い方には、理論だけで教師になろうとしている感じはありません。経験を通してしか獲得できない判断力、引き出し、勘を重視している。
その意味であなたは、自分を研究者タイプより、現場で精度を上げていく実践家・職人として捉えているように見えます。

もう一つ大きいのは、フィードバック中心の教師像です。
あなたの文章では、「何を教えるか」より「どう返すか」が繰り返し出てきます。Focus on Form、母語でのフィードバック、授業後のフィードバック、問いかけ、宿題で次につなぐこと。
これは、教師の仕事を「説明すること」よりも、学習者の学びを読み取り、適切に返すこととして見ている、ということです。
つまりあなたの教師像の中心には、教壇に立つ人というより、学習の伴走者であり、応答者であり、調整者である教師がいます。

全体として言うと、あなたの文章から見える教師像は、
多様な学習者に対して、固定的な方法ではなく、観察・対話・フィードバックを通して個別に応答していく実践家型の日本語教師
です。

さらに圧縮すると、こんな像です。
「人の違いに応じて、自分の持ち手を増やし続ける教師」
そしてその根底には、教える技術への関心だけでなく、人がことばを身につけていく過程そのものへの関心があるように見えます。


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