東と西の薬草園 ②
前回のあらすじ
山脈遥は、三十路を過ぎて都会生活が合わず地元に帰り、富居家の別荘の管理人になった。しかし、地元はフルーツフレーバーティーの大ヒットで様変わり。なかなか馴染めずにいた。そんな中で庭師の井中さんと親しくなり、ある日、遥と同じように都会から果実町に移住してきた、孫のカエルの迎えを頼まれた。
その日は大雨で、些細なトラブルが発生。富居家の次女香が一人で別荘で仕事の打ち合わせをしなければならないという。香も移住組で、慣れない田舎生活に疲れていた。
遥はそんな香にガーデニアのアロマポットで暫しの安らぎを与えた。
一方で来られなくなった料理人の代わりに、カエルは庭でとれたフェンネル尽くしの料理を尽くして、客人霧山をもてなした。
そして、話が盛り上がった4人は、富居家のすすめるレンタルガーデンの実験として、ガーデニングを一緒に始める約束をするのだったが、遥はあまり気が進まなくて。
《登場人物》
富居家(ふごうけ):南九州にある果実町に山丸ごとの広大な別荘地を持つ商家の一族。多角経営で山鳥(やまどり)という飲料メーカーも手掛けている。その事業の一環として、果実町のフルーツを使ったフルーツフレーバーティーを開発し、近年大ヒットしている。
富居香(ふごうかおり):富居家の次女。時折、体調を崩すことがあり、定職に就けず、家業の手伝いをしている。九州のホテル事業のスタッフとして働くことが多く、その間、別荘を利用する。家族からよく見合いを仕組まれるが、病弱なため、あまり気乗りがしていない。田舎に夢を見ている。
富居華(ふごうはな):山鳥の専務取締役。香の祖母。二度の癌を患い、身体の不調を多く抱えているが、75歳までの後数年仕事を続けたいと考えている。香とは数年に一度顔を合わせる程度。
山脈遥(やまなみはるか):果実町生まれで、都会で夢破れて地元に戻り、富居家の別荘地を預かる使用人となった。暇を持て余し、出入りの庭師に野草について学んでいる。月に一度の神社仏閣巡りと小物集めが趣味。物を捨てられない、大雑把な性格。ハマると時間を忘れる。
井中かわず(いのなかかわず):富居家出入りの庭師の孫。育ちは埼玉。別荘地の管理を任されている九州の不動産会社の職員。田舎暮らしとイングリッシュガーデンに憧れている。料理、掃除、など細々した家事が得意で几帳面。無駄な残業はしない。果実町の事情に疎い。周囲からカエルと呼ばれている。
井中野人(いのなかのひと):ふごう家の別荘を任されている庭師。
霧山霞(きりやまかすむ):果実町にある酒造会社、霧山酒造の息子。遥の同級生。
【フレーバーティーの人気順】
1位 梨のフレーバーティー
2位 メロンのフレーバーティー
3位 マスカットのフレーバーティー
4位 スイカのフレーバーティー
5位 桃と栗のフレーバーティー
【果実町のある里山郡の組合】
農業組合
土建業組合
酒造業組合
旅館業組合(&温泉協会)
里川漁業組合
緑の手組合(お茶クラブ)←New!
第2話「カモミールと葛(くず)」
雨の日に山際に向かって低く飛ぶ昼間の鷺は美しい。
灰色画家の雲が、暗い影にした山々の水墨画に鷺が白いナイフとなって穴を空けてるようだ。
羽を広げた形の白い破れ目の傷である。
風があって雨が斜めに降り込むと、軒が用をなさない。玄関のタイル模様のコンクリートブロックに雨のシミで黒い汚点が残る。
当たり前にあっても雨避けにならないのは、ただ普通に存在するだけの自分みたいだと遥は思う。
働いていた頃、「あなたがやることは普通なんだよね。普通のサービスのところを客は選ばない」と嘘みたいにどこの職場でも言われた。今も別荘の管理人として働いてはいるのだが、これといった仕事がルーティンでないのは事実だ。
普通の何が悪いのか、その頃は過剰サービスをする意味がわからなかった。しかし、今考えると、嵐の時に役に立たない軒だと言われていたようなものかもしれない。
”軒並み”は、家屋が軒を連ねていくつも建っていることをいうのだが、遥は、自分のような人並み以下の人間をいうのだと以前は誤解して覚えていた。
台風ほどではない雨避けとして、通常の軒は有用だろう。しかし、滅多に来ない嵐のために突き出した軒を作ることはどうなのか。そんな軒の家を想像してみてほしい。
悪くはないと思う人は、きっとデザイン性にこだわった庭を作る人だ。
作る自分が楽しんで暮らすためでなく、めったに来ない人の目を気にして、壮大な計画を立てて庭を作る必要があるだろうか。気に入らないところは、その都度手を入れたら良いのではないか。
「遥ちゃん、食器は洗ったけど、ここに残していいのね。どこかに片付けるなら棚に仕舞うまで手伝うけど」
「いいですよ。後は、私がやっておきますから」
「それなら、ごみだけ持って帰って捨てとくね」
「すみません。よろしくお願いします」
遥は名前を憶えていない親切な近所の”おばさん”に丁寧に頭を下げた。ゴミを持って帰ってくれた親切なおばさんは、ニコニコ笑顔でゴミ袋をトラックの荷台に5つも乗せて帰っていった。
子どもから見れば、30歳を超えた遥も十分おばさんなのだろうが、遥の歳になると地域で顔が広く活躍して家庭持ちの人が”おばさん”という感覚になってしまう。働き者で気が利いている人はいくつになっても”おばさん”。65歳超えた高齢者でも”○○のところのおばさん”と実家では呼んで家族と会話するから、昔から知っている顔でもなかなか名前を覚えられない。
まさか面と向かって”おばさん”とは呼ばないが、子供の頃から知っている人に「お名前なんでしたっけ」とは聞きづらく、名前を呼ばずに切り抜けるのにひやひやした。
遥が地元民だと思って、カエルや香たちに婦人会の人たちの名前を聞かれるので、その都度「覚えてない」とこそこそ小さい声でやり取りするのが決まり悪かった。
婦人会。まさか、独身でそういう団体に関るとは、遥は思っても見なかった。趣味や習い事を目的とした地域の女性団体だから、独身がいちゃいけないということはないが、親子参加の行事が多いから遠い世界のことだと思っていた。それでなくとも、昨年まで遥は県外に住んで働いており、おとなになってからの果実町での付き合いは今年の4月に入ってからのここ数か月のことで、まだ初心者である。
20人近くは来ただろうか。女性たちが手際よく刈り取っていったハーブの園の一画には晴れた日の夏の風が気持ちよく吹き抜け、葉が生い茂っていた時より強くハーブを香らせた。
遥が地元に帰って、富居家の山奥の別荘で働き始めたと周囲に漏らしたのは、地元の農協に旦那さんが勤めていたとある”おばさん”である。
それがどのように広まったのか、富居家の土地の「草払い」と称したお茶会を開くことになってしまった。
10年前、果実町の傷んだ果物をフルーツフレーバーティーに生まれ変わらせた飲料メーカー『山鳥』を経営する富居家は、この山間地の救世主である。さらに重要文化財で管理費が嵩んでいた山奥の建物を買い取って別荘にもした。地元民にとっては、頭の上がらない富居家様様だ。
その富居家の別荘の庭を造園で名の知れた井中野人が手入れをしている。薔薇園や枯山水やハーブ園など広い敷地を自由に活用して美しい夢の園を作り上げている。
知っている人はわざわざ見学に訪れるほどである。
しかし、野人も80歳を超える高齢だ。山の方の手入れは一人では大変だろうということで、地元の婦人会やその家族がボランティアで草取りをしに来ることになったのだ。
せっかくだからと、植え替えをするハーブも刈って持って帰ってもらおうと言ったのが、誰だったか遥は思い出せない。
自分でないことは確かだ。ハーブと一緒に一人2,3本持って帰っていいと言われた人たちが、花を切って持って帰った。
ダリヤの花は大きすぎて一般の家庭や仏間に飾るのは向かないと思いつつ、なくなればなくなったで、あったはずのものがなくなったところが寂しく見える。
綺麗に飾られた庭の周りの雑木林の草取りをした後は、当然のように見事な庭園を観賞するお茶会になり、果実町特産のフレーバーティーと誰かが持参した果物を味わった。少し旬を過ぎたはずの桃や梨でも十分に美味しい。
当然のように手伝いに来ていた野人の孫のカエルは、「今まで食べた果物の中で一番美味しい」とどこかのテレビのタレントの食レポのようなことを言い、果物を持参した農家の人に食べきれないだろうほど土産に梨と桃と葡萄までもらっていた。
不動産会社の営業をしているせいか、しゃべりが上手く手調子がよく、4月からの移住組にも関わらず、地元生まれの遥より馴染んで、本名の井中かわずではなく、相性のかえるが本名であると疑われないほどになっていた。
「ハルさんも食べるだろう?」
「私は、梨1個でいい」
茶器の片付けを手伝いながら、カエルは口もよく動かす。もらった果物は、遥に分けることが前提だったようで、梨一つしかビニール袋から受け取らない遥に驚いていた。
「昨日、ブドウ食べたの。実家でも、多分親戚の人にもらうから。梨1個だって、今日一日じゃ食べきれないからね」
地元で育った遥は、果物は食べ飽きている。果物は嫌いではないが、毎年母がお中元に果物を贈るたびにおまけを店の人からもらってくるので、自分ではわざわざ果物を買ったことがなかった。
「お菓子とかに調理して、保存すればいいんだよ」
「みんなが、カエルくんみたいに料理が得意なわけじゃないからね。それなら、かえるくんがお菓子に変えておすそ分けしてくれたら、もらうよ」
「それなら、そのお菓子、私も食べたいです」
口を挟んできたのは、この別荘の所有者の富居家の次女、香(かおり)だ。身体の弱い香は田舎の自然が健康に良いだろうと4月か果実町に移住し、富居家が果実町で経営する旅館の中居などとして働いている。歳は20代で30代の遥とカエルより下だが、いわば4月からの移住組の同期である。
気さくな性格で、遥が勧めたアロマを気に入ってくれた、趣味仲間でもある。
「じゃあ、ちょっと、台所借りようかな。作って帰るから」
「今から?」
「だって、明後日から仕事だし、明日くらいはゆっくりしたいもん。それに、ここの台所広くて使いやすいからね」
カエルは以前にこの富居家の台所もとい店舗なみの厨房で庭で刈ったフェンネルのフルコースを作ったことがあるから、よく勝手を知っている。お茶とおやつを食べたばかりで、さらにおやつを作ろうというのはカエルにとっては、休日らしい過ごし方だった。
「いいですけど、それなら、夕食も一緒に作ってもらえませんか。お菓子とか果物とかいっぱい食べて食べ疲れしちゃったんで、軽いものでいいですから。作るのも手伝いますよ」
「なになに、何の話をしてるの?」
話に割って入ってきたのは、地元の酒造会社の御曹司の霧山霞だった。いつの間に台所に入ってきたのか。入り口で彼がたたずんでいるのを見て、香が思い出したように目を瞬いた。
「そうだ。ガーデンプランの話合いをしたから、霧山さんに待っていてくださいって言ったんだった。せっかく、ハルさんもカエルさんもいるし」
(え、また?)
遥はうんざりする気持ちをそのまま口にしそうになって、なんとか飲み込んだ。
「それなら、ヤマくんと二人は先に話し合っておいて。俺がお菓子作って持っていくから。それで、その間に夕飯に何を作るか考えよう、4人分」
一緒に食べるとは言っていないのに、遥も勝手に勘定に入れられてしまった。カエルほと上手くはないが、料理は遥もそこそこする。今日はもう十分たくさん人と話して、早く一人になりたい気分だった。
「やった。カエルくんのごはんが食べられるのか。それじゃあ、大人しく待っておくよ」
霧山まで乗り気になられると、自分だけ嫌です、とは言い難い。遥の住んでいるところは、この別荘地の敷地内にあるログハウスで、徒歩5分もかからない目と鼻の先である。
以前は、旅館の特別室を住居としていた香だが、最近はこの別荘の母屋に住んでいるので、男ばかりの中に家主だからと一人残すわけにもいかないだろう。
「さあ、じゃあ、理想のガーデン作りについて話し合おうか」
ガーデンプランというのは、以前に4人で話したこの別荘地でレンタルガーデンを始めるのに、その実験として、まず遥たちが庭づくりを体験するのをどうやって進めるかという”準備の準備”段階の話合いだった。
「私は、あらかじめ見本になる花壇があるのも悪くないと思ってる」
香が遥の顔色をうかがうようにして言ったが、遥は無表情を取り繕い、とても頷くことまではできなかった。
思い思いに庭作りをやればよいだけだったが、そこに、地元の農協が参画したいと言ってきた。
この別荘地の山の空いたところに、実験農場を作ったり、花を植えたいというのである。
広い庭を持っていないマンション住まいの人に、庭を貸して楽しんでもらおうというのが、レンタルガーデンだ。何もないのがいいのであり、好きなようにできないなら、自分の庭という気がしないだろうと、遥は反対しているが、他の3人はどっちつかずのようだ。
香とカエルは移住組なので、できるだけ地元の住人の意向を無下にしたくないと思っているのだろう。霧山霞については、もっと別の思惑がありそうだと遥は疑っていた。
富居家に好意的な地元の住人なら、富居家の事業に地元の人間が意見しようとは思わないものである。
「見本があると、こうしなきゃって思うんじゃないかと思う。それに、富居家の母屋のまわりの庭で十分すぎるほど目の保養になるし。そこにいくら農協の人が指導して地元の子どもたちが花を植えたり、お米を育てたりしても見劣りするんじゃないかな。あくまで自分の庭を持つ練習で、地元の人ばかりがガーデンレンタルする想定じゃないんでしょう。宿泊用のコテージもあるし、むしろ都会の人の別荘みたいな感じじゃない?」
遥が東京で働いていて、関東近郊の観光地を見て思ったのは、都会の人は田舎に何もなさを求めているということだった。それは、コンビニが徒歩圏内にないような不便さが良いということではなく、人間の手のあまり入っていないように見える自然が好きな人が多いということだ。
都会のビルの屋上のペントハウスと家庭菜園じゃないのだし、手つかずのだだったぴろい自然が良いのではないかと思う。それが、作られた自然さだったとしても、地元の子どもたちが協力する姿なんてものは都会でも見られるわけで、もっと田舎らしさを全面に出した方が良いだろうと遥は思うのだ。
それに田舎の普段農作業する人が庭を手本に造ったり、ヘタに協力して手入れをしてあげても気後れするだけではないか。農家の人の家の庭は、造園業などしていなくても素人裸足のものが多い。遥はうちが農家じゃないから分かるが、地元の人と都会の人が同じように庭を借りて最初から同じレベルでスタートできるわけがない。
さらに農薬についての考え方にズレが生じることも想像できた。
下手に田舎の考えに染まるより、農薬を正しく恐れて活用してほしいとレンタルガーデンの影の指導者である庭師の野人は考える気がするのだ。
「でもさ、テラスとか石敷きとか、デッキとか最初からほしい人とかもいると思うよ。土面を覆って雑草を減らす土台が作ってあれば、最初が楽で初心者にはいいんじゃないかな。それをボランティアで地元住民が作るのか、業者にやってもらうのか、賛否両論ありそうだけど」
「理想と現実が違うことを知るのも大事じゃないかな。いちからなんとなくやっていく良さがあると思う」
「最初の掴みがむしろ肝心じゃないか。最初につまずいたら、楽しさも知らないままやる気が続かないし、客もつかないよ」
霞の言うことももっともで、話し合っていると、遥が一人頑張って理想を述べているような気になってしまう。庭づくりの設計図を提示することを否定したいわけではなくて、何となくカエルたちの考えに穴があるような気がするから、そこを説明したいのだが、それが感覚的に感じることなので、言葉に落とし込んで説得することができないのだ。
遥は香の頼みでこのレンタルガーデンの取り組みに参加することになったが、富居家の雇われ人に過ぎないのだから、最終的な決定権があるわけでない。このように強く意見を言うことすら出すぎていて、違うと思うなら降りれば良いだけとも感じるのだが、それが微妙な齟齬でこの事業自体全く反対で面白くないと思っているわけじゃないから難しいところだった。
その他のメンバーとの齟齬について、遥は数日前に庭師の野人に相談した。
ちょうど野人に手伝ってもらって、ログハウスの周りにすでに蕾のついたカモミールを植えているときで、話すのにちょうどよかった。
「理想のガーデンを最初に想像することが大事じゃなかい。何事も夢がある方がいい」
フレックスで働いているカエルは、免許返納した野人の車の送迎をしており、ついでに祖父を手伝って富居家の庭に入り浸っている。その相談をした時もカエルは、カモミールを植えるのを手伝って、早くレンタルガーデンを始めたいとそのことばかりを話題にした。
「自分自身の身の丈に合うのが、理想のガーデンじゃないんですかね」
カエルが想像する東屋のある薔薇園は、棘だらけで怪我をする。背伸びしても届かない高さのアーチのある薔薇園より、遥は身の丈にあったツツジの庭を作りたかった。まず、育てやすい植物に挑戦して、手間の世話が分かってから、理想に挑戦すればよいと思うのだ。
「でもなあ。やりながら考えるというのも手間なんだよ」
しかし、庭師の野人に言わせるとそのような育てる庭は理想の形を作るのに時間がかかってしまうらしい。
カエルや香や霞の言うように形を作って植えれば、毎年完成されたものをある程度手軽に楽しめるということだった。
しかし、手軽さというのは、人それぞれである。
目標が少し高いくらいの方がモチベーションが続くという人もいる。
「やっぱりさ。キャンプ地にすればいいんだよ。庭に芝生を敷いてBBQして」
「庭作業してBBQなんて疲れるよ」
だからといってカエルの言うような山登りの後、ガーデニングにバーベキューをするというのは、体力的に都会の人にはハード過ぎるだろう。田舎の人より、ずっと運動神経が良いというカエルのような人は珍しい。
遥のようにスポーツ全般が苦手で体力のない田舎者もいる。
第二の家と理想の庭がコンセプトなのだ。第二の家や理想の庭で毎日BBQをしたいものだろうか。それが、遥には疑問である。
「同じような生垣を作って、みんな同じにできるように農協の指導を仰いで同じように庭づくりができる必要があるのかな?」
「うーん、そこは選ぶ余地があった方がいいのかもしれませんけど、選べるようにするということはいろんなコンセプトの場所を作るってことになっちゃいますよね」
同じようにしないということは、それぞれ違った庭の土台をデザインしなければならないということだ。一律に同じようにするより、準備するのが難しくなる。野人に頼めば、デザインを考えてくれるだろうか。
3人は考え込んで、本日何杯目かのお茶に口をつけた。考えて疲れた脳をマスカットの爽やかで甘いフレーバーの香りがリフレッシュさせてくれる。
「誰か来たみたい」
「私が出てきますね」
とりあえず、最初の庭づくりの指導と土台造りは妥協して受け入れなければならないだろう。やりやすい方が初心者が助かるというのはその通りなのだからと遥が納得したところで、玄関のチャイムが鳴った。
遥が玄関に行ってみると、この町ではなかなか見かけないような高級な仕立ての服に身を包んだ高齢の女性が姿勢よく立っていた。
「こんにちは。私は、こちらの建物を管理させていただいております、山脈と申します」
目の前の婦人が富居家の人であることは一目で分かる。
「香ちゃんはいる?」
遥が挨拶をすると、相手は中の様子を見るように視線を動かしてたずねた。
玄関から1階の居間まで壁がないので、細かいところは広すぎて見えないまでも大体は見通せる。
「いらっしゃいますよ」
いずれの木でできているのか。
案内する遥の後ろで、木製の杖が石造りの床に突かれるたびに、カツンカツンと小気味の良い音が響いた。
「おばあちゃん。どうしたの」
「どうしたって、様子見がてら遊びに来たのよ。もう年だからね。こっちでゆっくりしようと思って。あら、お客さんがいたのね」
ソファに腰を下ろそうとして、香の祖母、富居華は先客があることに気づいた。霧山はすぐ立ち上がったが、対面するソファを交互に見た後、華は香の隣に腰を下ろした。
「お茶をお持ちしますね」
「じゃあ、マスカットのフレーバーティーを私ももらおうかしら。いい香りがするわね」
飲みかけのカップの香りからフレーバーティーの味を当てるのは、流石山鳥の人間である。歳を取っても、事業にしっかり関心を持っていることがうかがえた。
富居家の屋敷とはいえ、遥はここの雇用人の身。執事のような気持になって、給仕を申し出ると、残される霧山が慌てた顔をしたが、台所に何人も人はいらない。
その場を任せて、遥はすぐにカエルのいる台所に逃げ出した。
「カエルくん、お菓子作りのすすみ具合はどう?」
遥が声をかけると、カエルは大きく伸びをして振り返った。
「ちょうど、できたというか煮詰まっていたところ。くず粉を見つけたから、使ってみたんだけど、思うようにいかなくて。それに考えてみたら、持ち帰りに不向きだった」
「いや、それこそちょうどナイスタイミングかも。香さんのおばあさんが来てね。お茶を出さなきゃいけないの。疲れてそうだったから、お菓子があると、いいかも。ああ!荷物を預かるのを忘れた」
「そんなことまでしなくていいでしょ」
「執事って、帽子とかカバンとか預かるイメージじゃない」
「ハルさんって執事なの?」
「いや、違うけどさあ」
とりとめのない会話をしながら、お茶を淹れる。マスカットフレーバーティーのお代わりもいいが、午後から庭仕事に従事したメンバーは今日はもうフルーツフレーバーティー以外の味を飲みたいだろうという気がした。
「くず粉で何を作ったの?」
「葛切りとあと諸々。香さんが食べ疲れしているっていうから、夕飯は葛煮はどうかなって思ってね。もらった果物を餡子と葛餅に入れて葛餅大福見たいにしようと思ったんだけど、綺麗に固まったか自信がなくて。いや、多分固まってないから、お客さんって言ったら、俺たちだからあべこべだけど、他人に出す自信がないな」
和菓子は凝った菓子のイメージがあるが、葛餅を作るのは意外に簡単である。
鍋にくず粉とその3倍くらいの水を入れてよく混ぜ、混ざったら砂糖を入れて中火にして透明になるまで熱する。
透明になったら、型に移し、固まるまで氷水で冷やせばよい。
そのまま食べても良いが、黒蜜をかけたりきな粉をかけたり、餡子を包んだり甘みを足すのが一般的だ。
遥が型から葛餅を外そうとするカエルの手元を覗き込むと、透明な葛餅がプルンと皿に落ちた。少し平べったくて大きく見えるが、カエルが気にするほど歪には遥には思えなかった。
「綺麗にできてるよ。夏らしくていいね」
「うーん。でも笹とか敷きたいところだな。見た目がちょっと寂しい」
「そうだ。じゃあ、カモミールの花を取ってくるよ。家の周りに植えたやつ。可愛いでしょ。もう普通の紅茶派お腹いっぱいの気がしない?」
「いいかもね」
「カモミールを飾ってカモミールティーを飲もうよ。じゃあ、急いで取ってくる。お客さん待たせてるから」
「お客さんは俺たちだけど、お願い」
カエルに頼まれて、遥は急いでカモミールを摘みに行き、それでフレッシュなカモミールティーを作った。
今日は、庭仕事でみんな疲れているから、リラックス効果のあるカモミールティーは癒しにぴったりだ。
独特の苦みがあって、淹れ具合を確かめるために飲んだ時は遥は少し苦手に感じたが、テーブルを囲んで、葛餅と一緒に飲むと、葛餅の甘さがその苦みを和らげたのか、飲みやすくなった。
「葛餅なんて久しぶりだわ。懐かしいわねえ。最近食欲がなかったんだけど、これは食べやすくていいわねえ。カモミールティーをわたしももらおうかしら」
華の前には葛切りを置いたのだが、手のひらサイズの皿のそれを華はすぐに平らげて、テーブルの中央に置いてあった葛餅の一つをガラスの平皿に一つ移した。その時に大皿の中に飾ったカモミールの花が一つちょうどよく葛餅の上に乗った。
透明な皿に透明な菓子が乗る夏らしい風情に、部屋に完備された冷房と同じくらいかそれ以上に心が涼んだ。
「庭を貸すっていうのは、畑作りじゃダメなの」
お茶菓子を準備する間、香は一通りこの別荘のある土地でレンタルガーデンをする計画を華に話していた。華のような70歳超えた年代になると、土地を借りると言えば畑を作るイメージが先行するようだった。
「野菜を作ってもいいけど、広い土地でガーデニングをするっていうのがオシャレなのよ。関東とか関西からわざわざ九州に遊びに来る人が求めているのは非日常感でしょう。あくまで借り物だから、遠方の人は畑の作物を収穫しにわざわざ来られないじゃない」
「そっか!非日常感、、、なるほど」
「ハルさん、どうかした?」
「ううん。なんでもない」
香の言葉に大きく頷いた遥を不思議に思って香が尋ねたが、遥は静かに首を振った。
カエルたちがいうような特別な洋風ガーデンを作ることに遥はずっと違和感を抱いていた。
その違和感の正体が分かった。
レンタルガーデンは花だから良いのだ。
週末やまとまった休みだけに訪れるわたしの庭。
畑より庭が楽だということではない。
畑の作物は食べられるように実らせるという完成を目指さなければならない。
しかし、自分だけの庭はそうではない。
必ずしも活用する必要はなく、愛られれば良いのだ。
野菜を植えても良いが、食べなければ目だけで楽しんで土に還る。
大切なのは庭の楽しみ方で、隣の人の完璧な庭に気遅れしてはならないのだ。
自分らしい庭づくり。
隣の薔薇園を覗いて賛辞しながらも、たった一本残ったスイートバジルに感動しても良い。
自然と親しむ実感がそれぞれにあればよい。
だから、初めから競うように同じスタートラインに立たせる必要はない。庭づくりを考えてもらい、また、土台を初めに完璧に作りたい人はそれを最初に相談してもらえばよいのである。
カタログみたいに好きなログハウスや庭のコンセプトを選んでもらっても良いだろう。
一画は種からコース。一画は苗木からコース。一画は庭木ありコースのように。野菜を少し育てても良いだろう。
素人だから、好きなようにしたいし、学びながらして良いのだ。
土台の箱を作って選ばせるのではなく、何をやりたいかをまず考えてもらうべきなのだ。
「ねえ、やっぱり、最初から大がかりなイベントをするんじゃなくて、最初は庭づくりだけを宣伝して体験してもらった方がいいと思う。それに、私たちも、庭づくりまだ全然手をつけていないし。やるところから、なかなか手が出ないもの」
遥が言うと、華が大きく頷いた。
「畑作りより花を植える方がオシャレかしらね。まず花園作りも泥臭いってところから体験してもらいなさいよ。物事はシンプルなのが一番よ」
華が言い添えると、霧山と香も「シンプルが良いのか」と少し納得したようだった。
「ええ!俺、バラ園で迷路とか作ったらどうかなってHPの構想まで作ってきたんですけど」
しかし、それに異を唱えたのはカエルである。庭師の祖父に憧れ、庭といったら薔薇園とかヨーロッパの宮殿にあるような整った庭のイメージから抜け出せないらしい。
カエルが作った構想を見てほしいというので、遥はわざわざ家からノートパソコンとタブレットを持ってきて、みんなで覗きこんだ。
『集え!山の勇者たち。
自分だけのポータルガーデン。
オリジナルのポーションを作ろう。』
器用なカエルは、料理だけでなく絵を描くのも上手かった。剣と虫取り網を両手に持った冒険者風の少年のイラストが可愛らしい。
コンセプトは、某町作りRPGをそのまま真似たようだ。違うのはそれが動物のキャラクターがやるか、人間が本当にやるかというところだけである。
「うーん。ダサいわね」
華がはっきり言うと、カエルはがっかりしたように肩を落とした。
しかし、「ちょっとダサいような気もしてた」と、自分でも納得するところであったらしく、聞き取れないくらいの声でぶつぶつ何か言っていたものの、すぐに気を取り直したようだった。
「RPGだとちょっと非日常が過ぎるかもしれませんね。それに親子連れを想定するならもっと活動範囲の広いレジャーがいいでしょうね。BBQをしたい人ばかりでなないっていうのは、ハルさんもご高齢の夫婦とかシングルの肩を想定してのことでしょう?」
「いやいや。私が田舎育ちで子どもの頃にBBQさんざんやってお腹いっぱいで、そんな好きじゃないだけ」
遥は自分で思いついたカモミールティーの出来に満足してホクホクしながら、正直に答えた。
そんなに深い考えがあってのことではない。遥はそもそもこのレンタルガーデンプロジェクトに参加すること自体、当初乗り気じゃなかったくらいなのだ。(立派な庭を作り上げる自信が自分にはない、そういう人が他にもいると思う)、それに尽きる。
「田舎暮らしをちょっと体験しながら、余生を考えて過ごすのもいいわね。香ちゃんみたいに若い人はいいけど、いきなり移住する決意は私にはないもの」
「おばあちゃんは、仕事が忙しいから」
「言い訳よ。仕事もしたけど、病気も一杯した。そろそろ引退して、一人暮らしするのもいいわね」
「一人暮らしなんて言わないで、おばあちゃんもこっちでしばらく一緒に暮らしましょうよ。この家広いもの。一人じゃ寂しかったのよ」
「あら、いいわね。それなら、今日やったお茶会なんてどうかしら。私もこちらの人に挨拶したいし、貸し庭(レンタルガーデン)で庭づくりをする前にここの見事なハーブ園のハーブを使ってハーブパーティーするのもいいんじゃないの。私もお茶とお菓子で元気になったわ」
「あ、おばあちゃん。それいいかも!それなら、毎回じゃなくて、不定期のイベントにできるものね」
(今日みたいなお茶会をまた?ハーブなら秋までにするんだよね?もしや、毎月とか)
孫と祖母の間で、いつの間にかお茶会の話が決まってしまった。ここのハーブ園なら、遥も手伝わないわけにはいかない。何せ、この別荘の管理人なのだ。
人付き合いの苦手な遥は内心うんざりしたが、たくさん人が集まるイベントは嫌ですというわけにはいかない。
「大人数だと収拾がつかなくなりますよ。予約制で先着10人とか20人がいいですね」
自分の手に余っては困るので、とりあえず、そんな提案をしてみる。
「いいわね。そういうお茶会には慣れているのよ」
「男も入れてください。俺、お菓子作って持ってきますよ」
「まあ、嬉しい。楽しみにしているわ」
調子のいいカエルはこういうイベントが大好きだ。子どもの頃から年配者に好かれる性質だったので、年上の人との付き合いに慣れていた。
「お茶会じゃ焼酎の出番はないですね」
霧山がどんどん進んでいく話に所在なくそんなことを言うと、華がポンと手を打った。
「いつかうちのワインやウィスキーと霧山さんの焼酎とで、お酒をたしなむ会とするのもいいでじゃないの。でも、まずはうちのウィスキーの樽を花壇の鉢替わりに提供しようかしら。ちょっと流行っているんですよ。霧山さんも焼酎樽を鉢にされたらいかがですか」
「うーん。大きいし、陶器ですからね。でも、焼酎瓶は何かに使えないかと以前から思ってはいたんですよ。カラーのやつは花瓶とかどうでしょうか」
霧山の提案に遥はそれはないだろうと頭の中で否定した。酒瓶の口は大体細い。花を生けるなら、一輪挿しくらいにしかならない。しかし、焼酎瓶は最近変わった形や色のものが出てきたとはいえ、大抵は茶色く長細いフォルムをしている。
到底花を生けて、映えるとは思われない。
今どきは、誰でもいつでも写真をスマホで撮るから、写真に映えるというのはイベントをするときの重要な要素である。
「いいね。焼酎瓶に花を飾ろう」
調子のよいカエルは何でも肯定する。カモミールティーで酔っぱらったのだろうか。機嫌よくにこにこ笑って、話が一段落つくと、夕飯づくりに台所に戻った。
夕飯は、家の庭から採ってきたナスの葛煮とお吸い物だ。
お腹に優しくて美味しそうだ。遥も食べたかったから、従順に夕飯作りを手伝いにカエルの後について台所に行った。
カモミール
独特の味と香りのするカモミール。良薬は口に苦しと言いますが、私にとってカモミールはその類かもしれません。カモミールは薬草としてとても有用で、胃腸の調子をよくしたり、リラックス効果もあります。
ミルクと蜂蜜を入れて、たまの寝る前の一杯にしたいです。
葛
葛には、身体を温めて血行をよくしてくれる効果があります。日本では昔から馴染みのある食べ物で、お菓子によく使われています。くず粉は普段使いには値が張るものですが、一度お菓子を作ってみたいと買い置きして、そのままになっています。
花言葉に添えて
カモミール:「苦難の中の力」
葛:「芯の強さ」
葛の開花期は8月から9月、7月の設定の今回の話とは合わないのですが、くず粉を食べるのに、花が咲く時期は関係ないなと思い、夏バテで弱った体を労わってくれる植物として、今回の話に使うことにしました。カモミールと葛の花言葉が似た意味なのは偶然です。
しかし、考えてみれば、猛暑に立ち向かう”力”を与えてくれる植物として選んだので、強さを表す花言葉を持っているのは当然だったかもしれません。
しかし、今回の話はそういった苦難とか逆境とか全く関わりのないものになってしまいました。
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