AIの進化に置いていかれる? ─ そのレース、あなたの競技じゃない
つい先日、AIとの「脱線」について書きました。
書きながら、あらためて気づいたことがあります。
この歳になっても、知らなかったこと、考えたこともなかったこと、自分の中で眠っていたもの。
それらがまだ、出てくるんです。
つまり、まだ知らない自分がいる。
それなのに、世の中の空気は逆を向いています。
「AIに仕事を奪われる」
「自分の立ち位置がなくなる」。
もっとも、理屈のほうは、みんなもう聞き飽きるほど聞いていますよね。「なくなる仕事もあるが、新しい仕事も生まれる」
「役割が変わるだけ」。
はいはい、それで? と。
頭ではわかっている。
でも、心のどこかがざわつく。
じゃあ、どう立ち回れば、そのマイナスの輪から出られるの? どう考えればいいの?
今日は、その話です。
1 理屈はわかってる。でも、疎外感が消えない
まず、いま多くの人が感じているであろうことを、遠慮なく言葉にしてみます。
ここ最近のAIの進化は、短期間の超加速でした。
新しい名前を覚える間もなく、次の名前が流れてくる。
そのたびに「どれがいい?」「どっちが優れてる?」と調べる。
ようやく一つに慣れてきたと思ったら、今度は「AIは1本建てじゃだめ、用途で使い分けるのが常識」と言われる。
ニュースを開けば、速度がどうの、ベンチマークがどうの、バグ修正がどうの。
周りからは「スゲー」「スゲー」という声ばかりが聞こえてくる。
……で、思いませんでしたか。
結局IT業界の中の人のものやん・・・って。
コードを書いてくれる、と喜んでいたら、
「セキュリティはご自身でご確認ください」。
何なのよ、セキュリティって。
確認しろと言われても、何をどう確認すればいいのか、それを知っているのがIT業界の人間だけなら、やっぱりAIはIT業界にしか使えないわけ?
この感覚、私は「疎外感」だと思っています。
進化のニュースが届くたびに、自分が招待されていないパーティーの音だけが、壁越しに聞こえてくる。
楽しそうな音であればあるほど、こちらは静かに置いていかれた気持ちになる。
この感覚を持っている人を、責めるつもりはまったくありません。
事実として、いまのAIの話題の多くは、作る側・提供する側の言葉で語られています。
ざわつくのは、むしろ正常な感覚です。
2 そのレース、あなたの競技じゃない
ここで、一つはっきりさせておきたいことがあります。
最新モデルの優劣を追いかけ、速度を比べ、使い分けを極める──あのレースは、IT業界の内側の仕事です。
作る側、選定する側、提供する側の競技です。
それなのに、観客席にいたはずの人まで、いつのまにかトラックに引きずり込まれている。
「乗り遅れるな」
「使いこなせない人は淘汰される」
という号砲の音で。
マラソンで考えてみてください。
1等を取るために限界を狙って走り、アキレス腱を切って途中退場──それでは、悲しすぎませんか。
しかもそのレース、そもそも自分がエントリーした覚えのない競技だったとしたら。
だから、まず言いたいのはこれです。
そのレースから、降りていい。
これは敗北宣言ではありません。
競技が違う、というだけの話です。
あなたの競技は
「最新AIに詳しくなること」
ではなく、あなた自身の仕事であり、生活であり、これまで積み上げてきたものの続きです。
AIは、その競技のための道具にすぎません。
思い出してみてください。
運動会のかけっこは、みんなで走りました。
でも障害物競走は、希望者や選ばれた人たちだけ。
全員があのハードルを飛び越えなければならなかったわけでは、ありませんでした。
そして、障害物競走に出なかったからといって、その後の人生で「自分は落ちこぼれた」と思ったことは・・・ないですよね。
出る競技と、出ない競技があっていい。
昔から、私たちはそうやって生きてきたのです。
3 進化は、遠ざかっていない。近づいてくる
「でも、降りたら本当に置いていかれるんじゃ……」という声が聞こえてきそうです。ここに、見落とされがちな事実が一つあります。
AIの進化の方向を、よく見てください。
速くなる。
安くなる。
簡単になる。
間違えにくくなる。
特別な言い回しを覚えなくても、普通の言葉で頼めるようになっていく。
つまりこの進化、あなたから遠ざかる方向ではなく、あなたに近づいてくる方向に進んでいるんです。
必死に追いかけて覚えた細かいテクニックほど、次の進化であっさり不要になる。
逆に、少し待っていた人のところへ、より使いやすくなった道具のほうが歩いてくる。
追いつく必要はないんです。向こうが追いついてくるのだから。
では、待っている間、何もしなくていいのか。
いえ、一つだけ、やっておくべきことがあります。
それは呪文の勉強ではありません。
「自分の仕事の中で、何を任せて、何を任せないか」を考えておくこと。
これは道具がどれだけ進化しても古びない準備であり、そして、これを決められるのは世界であなた一人だけです。
4 「何なのよ、セキュリティって」への答え
さて、先ほどの「セキュリティはご自身で」問題です。
これも、同じ反転で答えが出ます。
「何なのよ、セキュリティって」
と感じるのは、セキュリティをIT知識だと思っているからです。
暗号化がどうとか、脆弱性がどうとか。
たしかにそちらは専門家の領分で、あなたが背負う必要はありません。
でも、現場のセキュリティの入り口は、実はもっと手前にあります。
難しい話ではありません。
たとえば、紙を一枚出して、書いてみるんです。
「顧客の名簿は、外に出さない」
「原価の表は、AIに貼り付けない」
「取引条件は、入力しない」
「発表前の企画は、話さない」
自分の仕事の中で、外に出たらまずいものを、一つずつ挙げて名指ししていく。
私はこれを、「外に出してはいけないものに、名前をつける」と呼んでいます。
暗号化でも脆弱性でもなく、ただのリストです。
でも、このリストを作れるのは、IT業界の人間ではありません。
何が名簿で、何が原価で、何がまだ秘密なのか
─それを知っているのは、その仕事を毎日やっている、あなただけです。
つまり、一番IT臭く見えるセキュリティですら、ホームグラウンドはあなたの側にあるんです。
その周りに壁を作って張り巡らせる、それがITエンジニアたちの仕事なのです。
中身があるから、どんな壁で守ることが必要かわかってくる。
そして、そのための壁をITエンジニアたちが作っていた。
専門家に任せる部分と、自分にしか決められない部分。
その線引きさえ見えれば、
「結局IT業界のもんやん」
という壁は、思っているよりずっと低くなります。
5 場は何度も消えた。でも、道は続いた
ここで、少しだけ昔話をさせてください。
私はIT業界に約30年います。
その間、「これで終わりだ」と言われた場面を、何度も見てきました。
大型汎用機の時代が終わると言われ、実際にその現場は縮んでいきました。次はオープン化、その次はWeb、そしてクラウド。
波が来るたびに、それまでの主戦場だった「場」が、確かに消えていったんです。
でも、そこにいた人たちは消えませんでした。
多くの人が、隣の場へ移っていった。
そのとき人が持ち運んだものは、何だったと思いますか。
特定の製品の操作手順ではありません。
あれは場と一緒に消えました。
持ち運べたのは、障害のときに事実を切り分ける力、段取りを組む力、人に説明する力─つまり、考える力でした。
そしてもう一つ。
実は、この記事を書きながら気づいたことがあります。
私は30年、機械的なものを相手に仕事をしてきたと思っていました。
でも、振り返ってみると、違ったんです。
MIDIで音を鳴らし、FLASHやGIFアニメで画面を動かし、ホームページを立ち上げ、チャットの前身のようなシステムに触れ、災害のときにはシステムの向こうにいる誰かのことを考えて。
私がずっと見ていたのは、機械ではなく、その先にいる人でした。
「良かった~」という声。
楽しいと思ってもらえたときの笑顔。
人と人のつながりが生まれる瞬間。
それをどうしたら作れるかを、使う側、運用する側の目線で考え続けて・・・
そして私自身が、それを楽しい、うれしいと思ってきたんです。
技術の名前のほうは、ほとんど消えました。
MIDIもFLASHも、いまや懐かしい響きです。
(最近、復活したり、利用者が増えたらしいので、ワクワクしていますが)でも、
「人がどう進みたいのか」
「その不安をどうほどけば楽になるのか」
を考える軸は、30年、一度も消えていません。
場に属するものは消え、人に属するものは残る。
自分の来た道が、そのまま証明になっていました。
私は以前、
「なぜAIの使い方より先に、考えることを書いてきたのか」
という趣旨の記事を書きました。
その答え合わせが、いままさに起きていると感じています。
この短期間の超加速で、細かい使い方の情報はどんどん古びました。
でも、考えることは古びなかった。
理由は単純です。
役割は「場」に属し、考える力は「人」に属するからです。
場が消えるとき、置いていくしかないものと、持ち運べるもの。
その違いを知っていれば、場が消えることは「終わり」ではなく「移動」になります。
6 自分で自分の可能性を狭めないで
まとめます。
AIで失われるのは、あなた自身ではありません。
これまでの役割の「形」です。
その場での必要とされる形は、たしかに変わるかもしれない。
でもそれは、立ち位置が消えるのではなく、移るということです。
そして冒頭の話に戻ります。
私はこの歳になって、まだ知らない自分に出会いました。
AIとの脱線の中で。
そして、この記事を書いている最中に、もう一度。。。
機械を相手にしてきたつもりの30年が、実はずっと人を見てきた30年だったと気づいたときに。
だとしたら、です。
「もう歳だから」
「文系だから」
「IT業界じゃないから」
と、先に自分で線を引いてしまうのは、あまりにもったいない。
AIに可能性を狭められる前に、自分で自分の可能性を狭めてしまっては、元も子もありません。
レースは降りていい。
進化は向こうから近づいてくる。
その間に、自分の仕事の、スキの「任せること・任せないこと」を考えておく。
それだけで、あなたはもう迷子ではありません。
人が主役、AIは右腕。
どこへ向かうかを決めるのは、いつだって主役のほうです。
ちなみに、「疎外感」や「置いていかれる不安」がなぜこれほど心をざわつかせるのかは、心理学の世界で長く扱われてきたテーマでもあります。
認定心理士として、人の心の側からそうした話を書いた記事は、別のページにまとめています。
興味のある方はのぞいてみてください。
「任せること・任せないこと」の線引きや、AIとの付き合い方の土台を体系的に整理した記事は、AIリテラシーの基礎シリーズと、ゆめみの森アカデミーの講座でも扱っています。じっくり考えたい方は、そちらもどうぞ。
皆さんは、AIのニュースに「置いていかれそう」と感じた瞬間、ありますか? それとも「そのレースは降りた」派ですか? よかったらコメントで教えてください。
