『水曜どうでしょう』藤村Dと嬉野Dは30年間「何を」作ったのか|第8夜
『水曜どうでしょう』は、なぜ30年近く経った今でも見られ続けているのでしょうか。
第1夜から、このことについて考えてきました。
計画どおりに進まない旅。移動しているだけの時間。無駄に見える挑戦。そして、カメラが回っていないような自然な会話。
普通のテレビ番組なら、削られてしまいそうなもの。
でも『水曜どうでしょう』では、そこにこそ魅力がありました。
では、それを作った藤村Dと嬉野Dは、いったい何を作っていたのでしょうか。
それは本当に「番組」だったのでしょうか。

(引用元:「どうで荘HP」より)
藤村Dと嬉野Dが、ある時お二人のyoutubeチャンネルでこんなことを語られていました。
自分たちは『番組』を作っていたというより
『おもしろいもの』を作っていた
この考え方を聞いた時、『水曜どうでしょう』が長く愛され続けている理由が少し分かった気がしました。
「番組」と「おもしろいもの」。
似ているようで、この2つは少し違うと思います。
テレビ番組は、長く続けるために形を作ります。企画のルール、出演者の役割、番組としてのフォーマット。それがあるから、出演者やスタッフが変わっても続けることができます。
もちろん、それは多くの人に届けるために必要な仕組みです。でも『水曜どうでしょう』が作ったものは、少し違いました。
番組という形ではなく、「おもしろい」が生まれる仕組みを作ったのだと思います。
そして、この「おもしろい」という感覚は、とても個人的なものです。何を笑うのか。どこを残すのか。何を魅力だと感じるのか。
そこには、作る人の感覚が出ます。
大泉さんが怒る。予定が崩れる。疲れて言葉が少なくなる。普通なら失敗や、放送では使わない部分かもしれません。
でも藤村Dは、そこに「おもしろい」を見つけた。だから消さなかった。むしろ、そこを中心に番組を作っていった。
ここに『水曜どうでしょう』らしさがある気がします。

( 2026年1月発行 ”デアゴスティーニ創刊号” の表紙 )
考えてみると、『水曜どうでしょう』の基本的な仕組みはとてもシンプルです。
旅に出る。何かが起きる。大泉さんが反応する。藤村Dが笑う。そして嬉野Dが撮る。
本当にそれだけです。
でも不思議なことに飽きません。サイコロの旅も、海外ロケも、原付の旅も、形は違っていても根っこにある仕組みは似ています。
なぜなら私たちは、企画そのものだけを見ているわけではないからです。
その状況になった時、人がどう反応するのかを見ている。だから同じ仕組みでも、毎回違うものになる。人間は、毎回同じ反応をしないからです。
ここで大事だったのが、大泉洋という存在だったのだと思います。
普通、長く続く番組では変化が必要になります。新しい出演者、新しい企画、新しい演出。飽きられないために、何かを加えていく。
でも『水曜どうでしょう』は、むしろ逆だった気がします。
余計なものを足さなかった。
大泉洋という人間を、そのまま見せ続けた。
若い頃の勢い。疲れた時の文句。予想外の出来事への反応。そして年齢を重ねた変化。その全部を含めて、大泉洋という一人の人間を見ていた。
だから古くならない。流行の笑いではなく、人間そのものを見ていたからです。
そして、その「おもしろい」が生まれる瞬間を逃さなかったのが、嬉野Dのカメラだったのだと思います。
普通のテレビ番組では、カメラを向けるタイミングがあります。面白いことが起きそうだから撮る。出演者が話すから撮る。見せたいものがあるから撮る。
でも『水曜どうでしょう』では、少し違いました。
特に番組が進んでいく中で、撮影中と休憩中という境界線はどんどんなくなっていったといいます。
理由は、とてもシンプルでした。
いつ「おもしろいこと」が起こるか分からないから。
大泉さんが何かを言う瞬間。ミスターが予想外の反応をする瞬間。藤村Dとの何気ないやり取り。
それは「はい、本番です」と言った瞬間に生まれるものではなかった。だからカメラを回し続ける。待ち続ける。
そこに嬉野Dのすごさがあったのだと思います。
そして面白いのは、必ずしも出演者だけを撮り続けていたわけではないところです。
時には大泉さんの表情にぐっと寄る。
でも時には、景色をずっと映している。
出演者にカメラを意識させない時間を作る。
普通なら「撮れていない」と思う時間かもしれません。でも、その距離感があったからこそ生まれるものがあった。
後に大泉さんも、カメラを向けられていない時の方がおもしろいことが言える、という趣旨の話をされていました。
考えてみると、人は「面白いことをしてください」と言われると難しいものです。
でも、何気なく話している時。気を抜いている時。自分をよく見せようとしていない時。その人らしい言葉が出ることがあります。
嬉野Dのカメラは、ただ空気を撮っていたわけではなかったのだと思います。
人が自然に「おもしろくなる距離」を作っていた。藤村Dが「おもしろい」を見つける。嬉野Dが「おもしろい」が生まれる場所を作る。
この2つが揃ったから、『水曜どうでしょう』になった。そんな気がします。
普通、同じ笑いを続けると飽きられます。一度ウケたものを繰り返すと、だんだんパターンになる。でも『水曜どうでしょう』は違いました。
笑いの形を繰り返したのではなく、人間が「おもしろく見える仕組み」を繰り返した。
だから30年経っても見られているのだと思います。
第1夜から考えてきたこと。なぜ、計画どおりにいかない旅が面白いのか。なぜ、移動しているだけなのに見てしまうのか。なぜ、何度見た場面でも笑ってしまうのか。
その答えは、旅ではなかった。企画でもなかった。そこに映っている人だったのだと思います。
藤村Dと嬉野Dが30年間作ってきたもの。それは、ただのテレビ番組ではなく、人が一番「おもしろく」見える瞬間。
それを見つけて、残し続ける仕組みだったのかもしれません。だから今でも、あの4人の旅をもう一度見たくなる。
そんな気がしています。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
次回(第9夜)から第2章に入ります。
第2章では、『水曜どうでしょう』の中で生まれた大泉洋、ミスター、藤村D、嬉野Dの関係性について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
まず第9夜は、「なぜ温泉に入るだけの旅が面白いのか──闘痔の旅で生まれた原点」について考えていきます。
※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」や「👤フォロー」をして、続きを読んでいただけると励みになります。
📌今回の内容を踏まえて、皆さんは『水曜どうでしょう』のどんな瞬間に「おもしろい」と感じますか?
企画、会話、4人の関係性など、印象に残っている場面があればぜひコメントで教えてください。
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