見出し画像

『水曜どうでしょう』幻の企画書に書かれていた番組の原点|第22夜

🚩はじめての方はこちら
📖第1夜から読める連載まとめ(目次ページ)

前回は、オーストラリア大陸横断3,700キロの旅で『水曜どうでしょう』が見つけたものについて考えました。

目的地に着くことよりも、そこへ向かう途中で起きる出来事。予定していない景色との出会い。何もない車内で生まれる会話。

30年経った今でも覚えているのは、ゴール地点ではなく、4人が過ごした時間でした。

では、最初からそんな番組を作ろうとしていたのでしょうか。

その答えを考える上で、とても面白いものがあります。それが、放送開始前に作られた『水曜どうでしょう』の企画書です。


「デアゴスティーニ第3号」には、当時の企画書原案が掲載されている

1996年9月。

放送開始のおよそ1か月前、藤村Dは新番組『水曜どうでしょう』の企画書をHTB上層部へ提出しました。

今では30年近く続く人気番組になった『水曜どうでしょう』ですが、当然この時点では、誰も未来の姿を知りません。

大泉洋さんが全国区の俳優になることも、藤村Dが画面の外から出演者以上に話すようになることも、4人の旅が何十年も語られることも分からなかった時代です。

でも、その企画書を見返すと、不思議なことに現在の『水曜どうでしょう』につながる考え方が見えてきます。

それは「何をする番組なのか」よりも、「誰が何をするのか」という部分でした。

普通、番組を考える時には企画内容が重要になります。どこへ行くのか。何に挑戦するのか。どんな映像を撮るのか。

もちろん、それも大切です。

しかし、『水曜どうでしょう』が長く愛される理由は、そこだけではありませんでした。

サイコロで移動するから面白い。原付で走るから面白い。海外へ行くから面白い。それだけなら、同じことを別の人がやっても同じ番組になるはずです。

でも、そうはならない。

なぜなら視聴者が見ていたのは、企画そのものではなく、その状況に置かれた4人だったからです。


企画書には、後の『水曜どうでしょう』につながる考え方がありました。

それは、普通なら笑って終わるようなことでも、大人が本気で向き合うという姿勢です。

サイコロの出た目だけで移動する。原付で何日も走り続ける。ジャングルで動物が現れるのを待つ。

冷静に考えれば、どれも効率的でも合理的でもありません。でも、その意味がなさそうなことに本気になるから、見ている側は面白い。

『水曜どうでしょう』の魅力は、企画のすごさではなく、その企画に振り回される人間の姿にあったのだと思います。

ここに藤村Dの番組作りの特徴があるように感じます。

完璧な演出で面白く見せるのではなく、人が面白くなる状況を作る。そして、そこで起きたことを大切にする。

だから大泉さんの文句も、怒りも、ぼやきも消されませんでした。

普通の番組なら、予定通り進まない場面や出演者の不満はカットされるかもしれません。でも、どうでしょうではそこが一番面白い部分になる。

番組の邪魔になるはずの出来事が、番組そのものになっていきました。

他の番組で合ありえないほど画面に入り込む
藤村ディレクターの後ろ姿
(引用元:DVD「サイコロ1」より))


企画書を見ると、最初から完成された『水曜どうでしょう』が存在していたわけではありません。

当初は、いくつもの企画案がある深夜バラエティ番組でした。その中には、サイコロを使った企画の原型もあります。

しかし、この時点ではまだ、サイコロが東京から北海道へ帰れない過酷な旅になることも、番組を代表する企画になることも分かりません。

小さなアイデアが、現場で変化していった。

出演者だった大泉さんが、どんどん話すようになる。ディレクターだった藤村Dが、いつの間にか会話に参加するようになる。嬉野Dの笑い声まで番組の空気になる。

予定していた形を守ったから成功したのではなく、面白い変化を受け入れたから、今の形になったのだと思います。

これは仕事にも通じる部分があります。

最初に完璧な計画を作り、その通りに進める。普通はそれが正解とされます。でも、実際には始めてみないと分からないことがあります。

予想外の出来事、人の変化、偶然生まれる面白さ。それを失敗として消すのか、それとも可能性として残すのか。

『水曜どうでしょう』は、後者を選び続けた番組だったのだと思います。


1996年に書かれた企画書には、30年愛される番組の完成図が描かれていたわけではありませんでした。

でも、そこには大切な原点がありました。何をするかより、誰がするか。予定通り進めることより、そこで起きたことを楽しむこと。

番組を作るのではなく、人が面白くなる場所を作る。その考え方こそ、『水曜どうでしょう』が今も愛され続ける理由なのかもしれません。


(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)


次回(第23夜)は、「鈴井貴之と藤村忠寿、二人の違う考え方」について考えていきます。

同じ番組を作りながら、違う視点を持っていた二人。その違いが、なぜ『水曜どうでしょう』独自の面白さにつながったのかを読み解いていきます。

※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。


📌皆さんは、『水曜どうでしょう』で「企画より人が面白い」と感じた場面はありますか?

好きなやり取りや、何度も見返してしまう場面があればぜひコメントで教えてください。
(コメントにはできる限りご返信させていただきます)


👉次の記事
▶ 鈴井貴之と藤村忠寿、二人の違う考え方|#23

👈前の記事
▶ 3,700キロ走って見つけた本当の目的地|#21

📖連載まとめ(目次ページ)に戻る



--
■運営者(ユウナ)について
このnoteでは『水曜どうでしょう』をテーマに執筆しています。以下の別アカウントでは、普通の会社員だった私が、FIREを達成するまでの資産形成の実体験を記録しています。

いいなと思ったら応援しよう!