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小児発達と心療内科で共通する、「診断をつけない判断」

「診断をもらえなかった」
それは、とても大切な判断かもしれません。

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不真面目小児科医 しうまい先生の記事に、「小児科もそうなんだ」と深く興味を持ち、考えさせられたことがもう一つありました。


それは、診断は安易に下さないこと。
診断名を、患者に簡単に告げないこと。


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小児科の中でも、特に発達の領域だけでなく、
心療内科領域でも「診断を急がないこと」「あえて診断をつけないケースがあること」がある。

しうまい先生の記事を拝読した私は、小児科の発達治療と心療内科の領域は似通っているところが多くあると感じた。

雪国は、心療内科前の薬剤師としてそれなりに長く勤めていた。
そこで学んだことは、心の疾患の鑑別は非常に難しいということ。
同じ症状に見えても、その背景はまったく違うことがある。
だからこそ、診断を急がないという判断が取られることがある。

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診断はゴールではない。


大事なことは、
病気や特性の名前を確定することではない。

その症状・特性によって、
「何に困っているのか」を解決することだ。

たとえば、うつ病と双極性障害。
一場面だけでは区別がつかないことが多い。

心療内科では、
「この病気だからこの薬」という方程式は成り立たない。
「この症状にはこの薬」という形で処方を組み立てているのです。


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なぜ診断が難しいのか



小児発達、心療内科ともに言えることだが、
人の特性・脳・心の状態に、明確に病名をつけることは難しい。
症状の裏にあるものが、多岐に渡る可能性がある。

さらに、
血圧や血糖値のような「客観的な指標」が存在しない。

グレーゾーンも広く存在する。

だからこそ、診断名を告げるという行為自体に、
一定のリスクが伴う。

診断は人を救う。だけど同時に、人を縛ることもある。
それは小児発達領域と心療内科領域で、特に顕著だと感じている。


だから医療は、「病気」を見るのではなく、
その人が困っている「症状」を見ようとする。

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なぜ人は診断を求めるのか?

・安心したい
・説明が欲しい
・自分や子どもを理解したい

これはとても自然な感情だ。
人は困りごとや、理解できないことに名前が付くと安心する生き物だ。

もちろん診断にはメリットがあり、

・支援につながる
・周囲の理解が得られる
・自己理解が進む

といった、良い側面もある。

しかし、デメリットが無視できない。


・ラベリングによって可能性を狭めてしまう
・「私は〇〇だから」と思考停止に陥る
・周囲が単純化して扱う
・誤診のリスク

診断は、使い方を誤れば人を縛る。
本当はそうではないのに、ADHDだ、うつ病だと捉え続けることで、
人はそのラベルに適合した行動をとるようになってしまう。そして、


・まだ時期尚早である
・経過を見た方が正確である
・環境要因が大きいケース

こうした理由も多く、
医療者は診断を保留することがある。

仮にすぐ診断をもらえたとして、一時の安心にはなるかもしれない。
だけど、長期的にはリスクになり得るのだ。

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薬剤師として現場に立ってきた中で、
強く感じていることがある。

診断名よりも大切なのは、
「その人が何に困っているか」。

そして、
薬が必要かどうかもまた別の問題になる。


薬を気軽に求めるべきではないように、小児発達や心療内科で診断名を気軽に求めるべきではない。

診断にも、お薬と同じように「副作用」がある。

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診断は、ゴールではない。

名前をつけることよりも、
困りごとを減らしていくこと。

それが出来て、生活が楽になるなら治療は合格圏ではないだろうか。

完治が全てではない。
症状を抑えて、環境に馴染めて穏やかに生活できれば小児発達や心療内科領域ではハナマル
💮だ。

それが、小児発達や心療内科の医療の本質ではないかと私は思っている。

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不真面目小児科医 しうまい先生、引用記事を書かせてくださってありがとうございました🫶🏻‼︎

私の記事では大枠の説明になりますので、お子さまの性質に沿った医学的治療・見方については、是非しうまい先生のnoteからご覧頂けたらと思います!


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雪国ゆり☃️8月は庭師木々花 肝臓腫瘍で治療中のぐーちゃんの治療費として、大切に使わせていただきます。心から感謝です。