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ディア・ソムニア【第五話】

「いろいろと面倒臭くてゴメンな。大丈夫だった? 特に部長の絡みとか」
「ううん。いいよ、全然気にしなくて。それに、航くんが居てくれたから楽しめたし。ありがと。嬉しかった」
 先程とは打って変わり、暗色で落ち着きのある個室居酒屋。二人用の相席に案内され、隣ではなく今度は向かい合い席に着く。
 深夜、二人きりの二次会がスタートした。
「でもホント、びっくりした。まさか瑠璃とこんな形で会うなんてさ。十三年ぶりだもんな。あの頃とは違って……お互いすっかり、社会人やっちゃってるな」
「フフッ。そうだね。何だかおかしい」
 そこから二十分近く、航平と瑠璃は当時を懐かしんだ。
 終始まるで同窓会のように話し込む中、途中瑠璃がドリンクの飲み口を拭きながら「あのね」と声音を変える。
 ふいに、切り出した。
「じつは、あたしね……逃げて来たんだ」
「えっ?」
「向こうでね。少しの間だけど、付き合ってた人がいて……」
 神妙な面持ちで、岐阜での暮らしを語り始める瑠璃。
 聞けば彼女は、岐阜で事務の仕事をしながら半年間交際していた男と別れ、上京して来たとのこと。そして別れた原因は、相手の男からの異常なまでの過度な束縛によるものだったらしい。
「別れてからも、しつこく付きまとわれたりして……。それがトラウマになって、地元にいるのももう、嫌になって。だからじつは今、病院で睡眠導入剤もらって飲んでるんだ」
「睡眠導入剤?」
「うん」
「よく……悪夢を見るから」
 伏し目がちに吐露する。その「悪夢」という言葉に、航平はハッとした。今や「夢」に対し、ある種の生きがいを見出している自分とは違い、瑠璃には全くの、真逆の立場であることに。
 当然のごとく「夢現手術」の話題も妻の話も切り出せないまま、結果航平は「そうなんだ」「大変だったな」と、うわべだけの言葉しか掛けることができなかった。
「でもね。こっちに来て正解だった。今はもう、ほとんど不安もないし。それにこうやって、航くんにも会えたから。だから、これからもよろしくね」
 住環境を変えてまで決断をした瑠璃に対し、仕事仲間として、そして友人としての意味合いを込め「ああ、もちろん」と返す。だがこの時の瑠璃が返した笑みに、航平はそこはかとない儚さみたいなものを感じた。

「おかえり。航ちゃん」
 帰宅後。終電近くまで瑠璃と過ごした後の、深夜一時過ぎ。
「毎日お仕事疲れ様。今日は、いつもより遅かったね」
「あ、うん……。その、飲み会があって」
「飲み会? そうだったんだ。何だか珍しい」
「ああ。歓迎会でさ。最近、新しい事務の子が入って」
「じむのこ? じゃあ、女性ってこと?」
「えっ? あぁ、うん」
 希美花からの問いに平然と返事をする。
 いや、したつもりだったが……。航平は答えた直後、何故か無意識に後頭部を掻いていた。
「じゃあ航ちゃん。会ってすぐだけど、今日はもうお休みしましょ」
「えっ……でも希美花、いいのか? 今来たばっかなのに。それに明日は土曜日だ」
「ダーメ。ちゃんと休まないと。ずっと残業続きなんだし、私は航ちゃんと一心同体なんだから。健康は第一、わかるでしょ? 来週からも多忙なんだし、仕事がちゃんと落ち着いたらまた、ゆっくり過ごそ。ね?」
「っ、まあ……そうだな。そうだよな。希美花がそう言うなら。うん、わかった」
 この日も早々に、夢中での時間を終える。
 繁忙期の始まった夏に入って以降――航平はずっと、希美花との十分な時間を持てずにいた。でもそれは、日頃からの希美花の気遣いもあってのこと。希美花は常時配慮してくれたが、瑠璃の増員もあり来週には仕事の負担も軽減し、前みたく二人の時間を過ごせるようになるだろう。もう少しの辛抱だ。
 この日は深酒とは言わないまでも、久々のアルコールで酔いも回っていた航平はそのまま夢中に終止符を打ち、就眠に身を委ねた。


 休日を挟み、翌週からも相も変わらず忙しない日々が続く。区切りを見せない外線のダイヤル。キーボードを叩く音。入れ代わり立ち代わり右往左往する社員たち。
 それでも彼らの表情はどこか、スッキリした面持ちにも見えた。繁忙期の真っ最中ではあるものの、部内の雰囲気はこれまでと打って変わり晴天に恵まれたようにカラッとしている。
「では、お先に失礼します」
「お疲れ様です」
 定時を迎え続々と、達成感と解放に満ちた一声が放たれる。一時間もすれば、八割以上の社員が退社していた。――航平も、その一人。
 言うまでも無かった。たった一人、さらに事務員である瑠璃の貢献度は凄まじかった。航平を含め多くの社員が彼女の恩恵を授かり、少しずつ残業を回避できている。同時に部内の士気も高まったようで、各々が集中して業務に邁進できていた。
 そうして一日、また一日と。
 息切れすることなく、むしろはかどりを見せる日々の中、「手伝ってもらっちゃって、悪いね」「いつも助かるよ」などと、絶えず隣席に向け送られる謝意の一言。対して、「いえ」「大丈夫です」と謙遜を含ませ言葉を返す瑠璃。
 良かった。
 彼女が来て正解だった。
 本当、助かっている。
 自身に対し思う一方、先日飲みの席で聞いたくだんの一件もあってか、航平は瑠璃が上京し、職場にも上手く馴染めたようで良かったと心底感じ、一瞥する。
 こく、こく、と微かな首肯が揺れる。
 だが。
 あれ、と思う。
 思いとは裏腹。
 この日。眼前に映る瑠璃は、どこか浮かない顔をしている、
 ――ように見えた。
「あ、あのさ、瑠璃。大丈夫か?」
「え?」
 頃合いを見て、航平は声を掛けた。
「いろいろ頼まれ過ぎて、流石に負担かかりすぎてるよな。まだ日も経ってないのに。ゴメン」
「あ、ううん。大丈夫だよ」
「ホントか?」
「うん。それは大丈夫」
「そう、か」
「うん、全然。残業してるわけでもないし」
 直後「――ありがと」と笑みを添え応えると、瑠璃はデスク周りを軽く整理したのち、再びキーボードを打ち始めた。
 どこか歯切れが悪く、暗い。
 が、考え過ぎか。
 思いながらも航平は、必要以上に顧慮すること避け、これまで通り瑠璃と接した。

 先週の歓迎会から早くも一週間し、この日航平は出張先からそのまま自宅へと直帰する。
 明日は休日。敢えて自分を甘やかし惰眠を貪った末に、洗濯に掃除と、久しぶりに家事をこなそう。その後は何日も取り溜めていたバラエティやドラマを観つつ、夜は早々に寝床に入り、念願の夢中へと浸ろう。
 休日の過ごし方を空想しながら自宅に着いた航平は、ポケットから出した鍵を軽快に回した。
 ――久方ぶりに、希美花と。
 ――時を忘れ、過ごしたい。
 題名のない鼻歌を口ずさみながらバッグを置き、手を洗う。時刻は午後六時過ぎ。
「そういえば、結構前に買い溜めしたパスタが……」呟きながら航平は、ジャケットとネクタイのみを外した状態のまま冷蔵庫へと向かうと、同じタイミングでジリリリと、テーブルの上のスマホが激しく音を立てた。  
「はい、もしもし」
「…………」
 発信は向こうから。
 なのに待てど、見知ったはずの声が一向にスピーカーから届かない。
「もしもし?」
「す」
「えっ」
「す、けて」
 忙殺から解放され、安堵できると思っていた矢先だった。
「航くん……たすけて」
「瑠璃っ」
「どうした瑠璃、何があった。今どこにいる!」
 震え、かすれ、怯えきった声。
 鳥肌が走った。
 同僚である彼女のもとに、何かが起きた。
 キッチン台に出した冷凍食品をそのままに。
 航平は一目散に家を飛び出した。
 

 ◆◆◆

 
「あっ……航くん」
「瑠璃、大丈夫か?」
 突然の電話に、航平は慌てて瑠璃の自宅へと掛け付けた。
 そーっと開かれたドアの先には、退勤時の格好のまま指先を震わせた瑠璃が佇んでいる。その身は震えていた。
「ごめんね、急に電話しちゃって」
「いいよそんなの。それより」
「さっき話してた電話の相手・・・・・って……まさか。その、前に付き合ってたっていう」
「わからない。非通知だったし。でも……声の雰囲気的に、多分」
 この日、瑠璃が仕事から家に帰宅してすぐのことだった。
 スマホが鳴り瑠璃が出て見ると、「おかえり」と見知った男の声が返って来たという。そこからは終始、電話越しから伝う荒い息遣いと粘着質な吐息が絶えず、恐怖のあまり即座にオフにしたとのこと。
 じつは数日前から謎の無言電話が続いていたらしく、怖くなった瑠璃はすぐさま、航平に助けを求めていた。
「なあ瑠璃」
「これからは極力、一人で出歩かない方がいい」
 上京してまだ間もない彼女にとって、頼れる人はいないだろう。
 だからこそ自分に救いを求めてきたのだと航平は思い、対策を思案する。
「でも……わたし、どうしたらいいか」
「瑠璃」
 ほとばしる身震いを必死に抑えようと、重ねた両手を力ませる瑠璃。
 その一本一本が白く、細く、儚げで。
「じゃあ今度から、帰り……俺が家まで送るよ。仕事も落ち着いてきた事だしさ」
 航平は放っておけなかった。
「えっ。でも……航くん」
「大丈夫。気にすんなって」
「ありがと航くん。でも。そんなことしたら、奥さんが」
 瞳を潤ませながら問いかける瑠璃。ここまで来たらもう、しょうがない。緊急事態だ。
 航平は「あの、さ」と口火を切り、意を決した。
「瑠璃、じつは……ずっと黙ってたんだけど」
「妻はもう、いないんだ」
「えっ?」
 本当は今ここで「夢現手術」のことも全て話そうと、詳細まで話すべきとも思った。けれど話せば、瑠璃は複雑な心境を抱くのでは。それにかえって遠慮してしまうのでは。ましてや、すんなり理解を示すとも思えない。だし、そもそも……。
 航平は開口しながらも――瑠璃の、自分に向ける印象がこれまでと一変してしまうことを危惧した。
「……そう、だったんだ」
「ああ。だから気にしなくていい」
 結果その先の真実については伏せ、妻の希美花は「病気で亡くなってしまった」と、ただそれだけを伝えた。
「ありがと……。航くんがその、いいんなら」
「ああ、もちろんだ」
 彼女は助けを求めている。事情を知りながら見過ごすなんて、男として、それこそ人として間違っていると思った。瑠璃は古くからの知り合い、だ。
 こうして翌日から。
 航平は瑠璃に付添い、毎日彼女の自宅前まで送ることに決めた。
 

「よし、人の気配は無さそうだな」
 それから日課となった、退勤後の付き添い。他愛もない雑談を交えつつこの日も瑠璃のマンションへと到着し、航平は周囲を警戒しながらエレベーターへと乗り込む。
「ありがとね、いつも」
「いいよ。それより、あれから不審な電話は来てないのか?」
「うん……。あの日から一週間経ったけど、今のところは何にも」
「そっか。ならよかった。でも油断はできないから、また何かあったらすぐ連絡して」
 航平の言葉に、瑠璃は「うん」と深く頷いた。
「あっ、ねえ航くん」
「良かったら。少し、あがってかない?」
「えっ?」
「その。せっかくだし、夕食でもどうかなって」
「いや、悪いよ。わざわざそんな」
「ううん。毎日退社の時間も合わせて送ってくれてるし。ささやかだけどお礼させて。ね?」
 当惑した。柔和な声音でありながら、懇願を秘めたその強い眼差しに返答を濁してしまう。
 どうなのだろう。断った方が賢明なのでは。
 とはいえ、彼女の誘いを無下にするのも悪い、か。
 不安も恐怖も未だ払拭されたわけではないし、極力一人になりたくないのかもしれない。
 結果航平は「じゃあ……お言葉に甘えて」と、瑠璃の自宅へあがることにした。


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