見出し画像

短編小説|殺人鬼は、ただいまを言う

わたしは、同じ夢を繰り返し見ていた。
3歳か4歳の頃から、年に一度、必ず。

玄関に立った瞬間、理由もなく分かる。

ここは、わたしの家だ。
そして、またこの夢だ。

逃げても、隠れても、
最後はいつも同じところで終わる。

素足が、床の冷たさに吸い付かれる。

正面に、廊下。
右に寝室と仏間。
左に居間。

目を閉じていても歩ける家だ。

廊下をまっすぐ進む。
本来なら、前の扉を開けば、
リビングと台所がある。

けれど今日は、階段がある。

見覚えのない、古い木の階段。

上は暗く、段の数は分からない。
終わりが見えない。

1段。
2段。

その途中で、
玄関の方から音がする。

革靴が、床を踏む音。

一定の間隔。

それに重なるように、低い声。

「……ただいま」

聞き覚えのある声のはずなのに、
誰にも当てはまらない。

子どもの頃のわたしは、
この存在を、「殺人鬼」と呼んでいた。
抵抗する前に、いつも終わりを選ばされる存在。

家の中なのに、靴を脱がない。
そういうところまで、いつも同じだ。

返事をしてはいけない。
返事をしたら、終わる。

振り返らずに、階段を上がる。
手すりが、骨にひびくほど冷たい。

息を、止める。

背後で、靴の音が階段に乗る。

木が、鈍く鳴る。

距離だけが、縮まる。


2階に上がると、
左と右に、部屋が1つずつある。

左。
右。

選べるはずなのに、
胸の中で答えが先に決まる。
右だ。

考える前に、右へ曲がっていた。
逃げ道を選んでいるつもりで、
昔から同じ方向に逃げている。

右の部屋に入る。

何もない。
窓も、家具もない。
押し入れだけがある。

引き戸を開け、中に体を押し込む。
背中が板に擦れて、息が詰まる。

すぐに戸を閉める。

暗い。
ほこりと湿った布の匂いが、鼻の奥に残る。

膝を抱えた拍子に、指先が震えた。

外で、革靴の音が止まる。

左の部屋。

床が、きしむ。

行った。

息が、少し戻る。

次の瞬間、靴の音が戻ってくる。

ゆっくり。

こっちの部屋。

押し入れの前で、音が止まる。

すぐ近くで、人の息。

低く、静かだ。

短く、ため息。

低い声が、戸の向こうから。

「もう、終わりだ……」


引き戸が、わずかに開く。

暗闇の中で、目が合う。




次の瞬間、力任せに戸は開けられる。

冷たい手が、腕を強く掴む。

体ごと引きずり出される。

冷たい感触が、腹の奥へ滑り込む。

逃げようとしても、力が入らない。

次の瞬間、夢が終わる。


目を覚ましても、しばらく息が戻らない。
廊下を歩く音が、まだ耳に残っている。

夢だけじゃない。
現実でも、ずっと同じだった。

食卓の上に置かれた進路希望調査の紙を、
父はわたしのほうへ滑らせる。
指先だけで。
まるで、回覧板みたいに。

「もう決めてある。この学校でいいだろ」

声は低い。
荒れていない。
だから余計に、逃げ道がない。

紙の上の文字を見た瞬間、胃のあたりが重くなる。

父の字で書かれている。
最初から、そこに決まっていたみたいに。

わたしは、息を吸う。
胸をいっぱいにしない。

「……でも」

「でもも何もない。もう、この話は終わりだ」

まただ、と思った。
いつもこうやって、決めて、終わらせる。

「……進路だけは、わたしが決めたいんだ」
それだけは、手放したくなかった。

わたしは、机の縁を指で押す。
爪が食い込む。

「今まで、ずっとそうしてきただろ」

父は、間を置かずに言った。

「分からないなら、黙っていろ」

低い声だった。
叱ってはいない。
でも、引き返せない線を越えたのはわかった。

背中に、あのときと同じ冷たさが走った。

もう、終わりだ……

「違う!」

自分の声が、思ったより大きくて、わたし自身が驚く。

「分からないまま決められるのが、嫌なんだ」

父が、はっきりと眉をひそめる。

「何が違う」

「決められてきたこと、その全部が」

父が、黙る。

「考えなくても、生きていける」

初めて、感情が混じった声だった。

「そうやって、生きてきただろ」

わたしは、紙を指で押さえる。
逃げないために。

「これは、わたしが決める話だ」

そのあとも、同じやり取りが続いた。

長い沈黙。


父が、深く息を吐く。

「……好きにしろ」

すぐには、言い切らなかった。

一度、視線を外し、
それから、もう一度。

「好きにしろ」

突き放すでも、譲るでもない言い方だった。

「もう終わりだ」と言い切る代わりに、
わたしを突き放しきらない言い方だった。


2ヶ月後、父は倒れた。
半年も経たないうちに、亡くなった。

それから、あの夢を見なくなった。

あの家も、
廊下を歩く靴音も、
もう、夢には出てこない。


わたしの悪夢が、ひとつだけ終わった。




読んでくださって、本当にありがとうございます。

この物語は、
つばさ さんからいただいた
「1つの連載夢の終わり」の
お話をきっかけに着想しました。
素敵なエピソード、ありがとうございました。

※本作はフィクションです。他の作品はこちら👇

いいなと思ったら応援しよう!

結城 開人 読んでくださって、本当にありがとうございます。 そのお気持ちが、とても励みになります。