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「子どもは?」と聞かれるたびに|家族じゃない人からの、あの一言との向き合い方

正直に言うと、義実家からのプレッシャーがなかったぶん、私はどこかで安心していたんです。「聞かれて辛いのは、家族相手だけなんだろうな」って、なんとなくそう思っていました。

でも実際はそうじゃなかったんですよね。会社の同僚、たまに会う友人、初めて話す人。関係が近いわけでも、深いわけでもない人たちから、ふとした瞬間に同じ質問を投げかけられる。そのたびに、家族相手とはまったく違う種類のしんどさがあることに気づかされました。

家族なら、少し距離を取るとか、会う頻度を減らすとか、そういう対処の仕方がまだあります。でも、会社の人や、年に一度会うかどうかの友人には、そのやり方が通用しないんです。

この記事では、そんな「浅い関係だからこその難しさ」と、私が実際にどう向き合うようになったかを書いています。


第1章 知らない人にまで聞かれる、という現実

家族となら、まだ「距離の取り方」があった

一番こたえたのは、会社でのなんでもない雑談の中でした。

ランチのとき、後輩が「〇〇さん子どもは?」って、本当に軽い調子で聞いてくるんです。悪気なんて、これっぽっちもありません。世間話の延長として、天気の話をするのと同じ感覚で聞いているんだと思います。

でも聞かれた私は、その一瞬でどう答えるか、頭の中がフル回転になるんですよね。「いないのよ」で終わらせるのか。「授からなくて」まで言うのか。それとも、笑って話をそらすのか。

コンマ数秒の間に、そのすべてを判断しなきゃいけない。しかも、次の瞬間には表情を戻して、いつも通りの自分でいなきゃいけない。

実はこれ、家族に聞かれるよりもずっと神経を使う作業なんです。家族相手なら、多少表情が崩れても「察してもらえる」余地があります。でも職場では、そうはいきません。動揺した顔を見せたら、次からその後輩が変に気を遣うようになってしまう。だから私は、いつも一瞬で「大丈夫な私」を作って、そのまま雑談を続けるしかありませんでした。

久しぶりに会った友人に、悪気なく聞かれる

もうひとつ、地味にこたえたのが、久しぶりに会う友人からの一言でした。

学生時代の友人と、何年かぶりにランチをしたときのことです。近況報告をひと通りしたあと、友人が「そういえば子どもは?」って、本当に何の気なしに聞いてきました。

彼女に悪気がないのは、痛いほど分かっていました。むしろ、私のことを気にかけて聞いてくれているんですよね。だからこそ、余計に返しづらかったんです。

「いないんだよね」とだけ答えると、空気が微妙に固まる。かといって事情を説明し始めると、せっかくの楽しいランチが、急に重たい話になってしまう。相手を困らせたくない、でも自分も無理をしたくない。その板挟みの中で、私はいつも「まあ、色々あってね」みたいな、曖昧な言葉でその場をやり過ごしていました。

久しぶりに会うからこそ、「変わったこと」を聞きたくなる気持ちも分かります。でも、久しぶりだからこそ、私の中の事情を細かく知らない相手に、どこまで話すかの判断がすごく難しいんですよね。

家族となら、まだ向き合い方を選べる余地がありました。でも、会社の人や、たまにしか会わない友人、初めて出会う人たちからの「子どもは?」には、そもそも距離を取るという選択肢自体が存在しません。
次の章では、なぜこの「浅い関係」からの一言のほうが、うまく躱せなかったのか。その理由を、もう少し掘り下げてお話ししていきます。


第2章 浅い関係だからこそ、うまく躱せなかった

「流せばいい」なんて、簡単に言うけれど

頭では分かっていたんです。深い関係じゃないんだから、適当に流しておけばいい。会社の後輩にも、久しぶりに会う友人にも、「まあ、色々あってね」くらいで済ませて、そのまま話題を変えてしまえばいい。実際、そうしたことも何度もありました。

でも、実はそれで本当に「流せた」と思えたことは、あんまりなかったんですよね。表面上は流せていても、心の中では全然流れていなかった。むしろ、その日の夜になって、ふとした瞬間にあの会話がよみがえってきて、ひとりで動揺していることのほうが多かったです。

どうしてなんだろうと、私も最初は不思議でした。だって、家族相手の重たいやり取りに比べたら、雑談の中のワンフレーズなんて、比べものにならないくらい軽いはずなんです。それなのに、なぜか会社の雑談での一言のほうが、後になってじわじわと効いてくることがありました。

「浅い関係」には、ちょうどいい答えが存在しない

考えてみると、これって関係の深さと、答え方の自由度がつながっているからなんですよね。

家族のように深い関係なら、何も言わなくても察してもらえます。逆に、事情を全部話しても、それはそれで受け止めてもらえる。つまり、答え方の振れ幅がすごく広いんです。黙っていても、話しても、どちらでも関係が壊れる心配はあまりありません。

でも、会社の後輩や、たまに会う友人みたいな「浅い関係」だと、この振れ幅が急に狭くなります。何も言わずに黙り込むと、場の空気が気まずくなってしまう。かといって、事情を細かく説明すると、今度は「そこまで話すような関係じゃないのに」と、相手を戸惑わせてしまう。

つまり、浅い関係だからこそ、ちょうどいい答えの範囲がすごく狭くて、その狭い範囲を、コンマ数秒で探り当てなきゃいけないんです。実はこれ、家族相手に説明するよりずっと難易度が高いことだったんだと、あとになって気づきました。「浅いから軽く流せる」んじゃなくて、「浅いからこそ、正解がどこにもない」んですよね。

その場限りの関係だからこそ、答えが「最後の印象」になる

もうひとつ、あとになって気づいたことがあります。それは、浅い関係の相手には、次に訂正するチャンスがほとんどないということでした。

家族となら、今日うまく答えられなくても、また今度話せばいい。前に話したことを、後から補足することもできます。関係が続いていくぶん、その場の答えが「すべて」にはならないんです。

でも、年に一度会うかどうかの友人や、その日限りで会うような初対面の人が相手だと、話は違います。その場でどう答えたかが、その人の中でそのまま「私についての情報」として固定されてしまう。あとから「実はあのとき、本当はこう思っていて」と補足する機会は、ほとんど訪れません。

だから私は、無意識のうちに、その場の答えに「完璧さ」を求めてしまっていたんだと思います。一度きりの会話で、変に気を遣わせず、でも嘘もつかず、自分も傷つかない。そんな答えを、その一瞬で出さなきゃいけないというプレッシャーが、実はずっと私の中にあったんですよね。あとから訂正できないからこそ、その場しのぎの一言のはずが、妙に重たく感じられていたんです。

「深い関係じゃないから、軽く流せばいい」。そう思っていたのに、実際にはうまく躱せなかったのは、浅い関係だからこそ答え方の自由度が狭く、しかもその場限りの答えがそのまま最後の印象になってしまうからでした。
次の章では、こうした関係の中で、私が実際にどうやって自分を守る返し方を見つけていったのか、その具体的な向き合い方についてお話ししていきます。


第3章 関係を壊さずに、自分を守る返し方

「正解」を探すのをやめてみた

第2章で書いたように、私はずっと、浅い関係の相手にこそ「完璧な答え」を出さなきゃいけないと思い込んでいました。相手を傷つけず、自分も傷つかない、そんな都合のいい一言を、コンマ数秒で見つけようとしていたんです。

でも、あるときふと気づきました。そもそも、そんな答えは存在しないんじゃないかって。

だって、聞かれている内容自体が、本来はその場の雑談で答えきれるようなことじゃないんです。会社の後輩が聞いてくる「子どもは?」も、久しぶりに会った友人が聞いてくる「そういえば」も、彼らにとっては世間話の一部でしかありません。でも私にとっては、何年もかけて向き合ってきた、簡単には言葉にできない話です。そもそもの重さが釣り合っていないのに、その場で釣り合った答えを探そうとしていたこと自体が、無理な話だったんですよね。

そう気づいてから、私は「正解を出す」のをやめました。代わりに、「その場をやり過ごせればそれでいい」というくらいまで、自分へのハードルを下げることにしたんです。

「短く」「同じ言葉」で返すと決めた

具体的にやったことは、そんなに難しいことじゃありません。まず、返す言葉をあらかじめ決めておいて、毎回同じ言葉を使うようにしました。

会社の雑談で聞かれたときは、「うちはいないんですよ〜」と、少し軽めのトーンで返す。それ以上は続けない。友人から聞かれたときも、基本的には同じで、「授からなくて。でも今は元気にやってるよ」くらいで止めておく。

大事だったのは、その場その場で違う答えを作ろうとしないことでした。毎回一から言葉を選んでいると、どうしても迷いが顔に出てしまいます。でも、あらかじめ決めた「型」があると、余計なことを考えずに、そのまま口にするだけで済むんです。しかも、同じ言葉を繰り返し使っているうちに、だんだんとその言葉が自分にとっての「普通の返事」になっていって、言うたびに動揺する感覚も、少しずつ薄れていきました。

言葉の中身そのものより、「毎回同じでいい」と自分に許可を出せたことのほうが、実は大きかったのかもしれません。

説明するかどうかは、相手じゃなくて自分の状態で決める

もうひとつ、意識するようになったのは、事情をどこまで話すかを、相手との関係の深さではなく、そのときの自分の状態で決めるということでした。

以前の私は、「この人には話してもいい関係かどうか」を基準に、説明するかどうかを判断しようとしていました。でも、それだと結局、相手の顔色をうかがうことになって、余計に疲れてしまうんですよね。

今は違います。その日の自分が、その話をしても平気な状態かどうかだけを見るようにしています。調子がいい日なら、「欲しかったけど、授からなくて」まで話すこともあります。逆に、その日ちょっと疲れているなと感じたら、相手が誰であっても「いないんだよね」で止めておく。相手との関係の深さより、自分のその日のコンディションを優先していいんだと思えるようになってから、驚くほど気持ちが楽になりました。

これは、関係を壊さないための工夫というより、自分を守るための工夫だったんだと思います。そして結果的に、自分を守れているときのほうが、相手との会話も自然に終えられている気がします。

動揺した自分を、責めなくていい

最後にもうひとつだけ。うまく返せなかった日があっても、それを責めなくていいということも、伝えておきたいです。

私も、決めた「型」を用意してからも、うまく言えずに動揺してしまう日はありました。帰り道で、なんであんな顔をしてしまったんだろうと、ひとりで反省することもありました。

でも今は、そういう日があってもいいと思っています。聞かれた内容が軽くても、自分にとっての重みは変わらないんです。だから、動揺してしまう日があるのは当然のことで、それは自分が弱いからでも、まだ乗り越えられていないからでもありません。ただ、その日はそういう日だった。それだけのことなんですよね。


最後に

会社の同僚、久しぶりの友人、初めて会う人。関係が浅いからこそ、家族相手のようにはいかない場面が、これからも続いていくと思います。

それでも、完璧な答えを探すのをやめて、決まった言葉で短く返すこと。相手との関係の深さではなく、自分のその日の状態で話す量を決めること。そして、うまく返せなかった自分を責めないこと。この3つを持っているだけで、以前よりずっと楽に、その場をやり過ごせるようになりました。

もし今、同じような場面で毎回消耗している人がいたら。その一言に、うまく答えなくていいんです。ただ、その場をやり過ごせれば、それで十分だと思います。

ちなみに、私たち夫婦がここに書いたような向き合い方にたどり着くまでには、もう少し長い時間がありました。無精子症の診断を受けた夜のこと、TESEを迷った時間、そのあとに残された選択肢をどう話し合ったのか。その全部を、こちらの記事に書いています。よければ、あわせて読んでみてください。
▶ それでも、ふたりで生きると決めるまで|無精子症・TESE・子どものいない人生

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