老いることを、楽しめるようになってきた

最近、ふとした瞬間に思うことがある。

——僕、老いることを楽しめるようになってきたな。

若い頃の自分が聞いたら、驚くだろう。むしろ、「何言ってんだよ」って笑うかもしれない。でも、これは紛れもない今の実感であり、僕の心の深いところから自然と湧き上がってきた思いでもある。

10代、20代の頃、僕は「若く見られること」に妙な執着を持っていた気がする。初対面の人に年齢を聞かれて、「えー!見えない!」と言われると、なんとなく嬉しくなった。
逆に、実年齢よりも上に見られると、なぜか少し損をしたような気持ちになった。まるで、自分の価値が下がったような錯覚に陥ることすらあった。

実際、僕は昔から年上に見られがちだった。大学1年生の頃なんて、学内で4年生と間違われたことがある。飲み会でも「社会人かと思った」と言われるのは日常茶飯事だったし、「落ち着いてるね」「貫禄あるね」と言われるのも慣れていた。

最初は悪くないと思っていたけれど、それが続くと、自分の中でどこか引っかかるようになった。

——なんで、俺ってこんなに“年上感”出てるんだろう。

そう思い始めると、服装や髪型、振る舞いに気を配るようになった。少しでも若く見えるように。ちょっとでも垢抜けて見えるように。周囲の目を気にして、「若くあろう」とすることが、どこか自分の基準になっていた。

でも、30代後半に差しかかった今。気がつけば、その感覚が大きく変わっている。

若く見られたいとは、もう思わない。

むしろ、年相応であることに誇りを持てるようになってきたし、年を重ねることそのものに、深い喜びを感じるようになった。もちろん、鏡を見て「ちょっと老けたな」と感じる日もある。寝不足が顔に出るし、疲れも翌日まで引きずる。でも、それすらも今の自分を構成する大切な要素だと思えるようになってきた。

この変化は、きっと「自分を受け入れる」ということを、ようやく本当の意味で理解し始めたからなのだと思う。

「こう見られたい」「こうでありたい」という理想像を追いかけ続けるのではなく、「今の自分はこうなんだ」と、ちゃんと向き合って認める。無理に取り繕ったり、誰かの期待に合わせたりしなくてもいい。そう思えるようになったとき、僕はようやく肩の力が抜けた。

昔は「ありのままの自分でいい」なんて言葉を聞いても、どこかしら疑っていた。理想の自分でいなければ、人から認めてもらえない。そんな風に思っていた。

でも、今なら言える。

本当の意味での自己肯定は、「ありのままでいい」と思えることではなく、「ありのままの自分をちゃんと世の中にさらけ出しても、大丈夫だ」と信じられることだと。

だから、見た目にしても、年齢にしても、もう「若く見られたい」とは思わない。それよりも、「年齢にふさわしい振る舞いができているか?」「この年齢だからこそできる言葉を紡げているか?」ということの方が、ずっと大事だと思えるようになった。

そして面白いことに、そんなふうに自分の内面が変わってきたとき、逆に「若く見えるね」と言われることが増えてきた。

肌ツヤがいいわけでも、髪型を工夫しているわけでもない。でも、気づけば「もっと若いと思ってました」と言われる。

最初は不思議だったけれど、今ではなんとなく理由がわかる気がしている。

たぶんそれは、無理をしていないからだ。背伸びをせず、自分の輪郭を無理やり変えようとせず、ありのままを認めて過ごしている。そんな姿が、どこか「若さ」として映るのかもしれない。

人生って不思議だ。

「若く見られたい」と思っていた頃は、実際の年齢より上に見られることが多かった。

でも、今「老いることを楽しもう」と思っている今、逆に若く見られることが増えた。

外見は歳をとる。でも、心のあり方は、逆に軽く、柔らかくなっていく。

きっとそれが「若さ」の本質なんだろうなと思う。数字ではなく、心のしなやかさこそが、その人の“若さ”をつくるのかもしれない。

今、僕には守りたい家族がいて、共に歩む仲間がいて、自分が大切にしたい仕事がある。

そして、何より——自分自身がいる。

過去の自分に「よくここまで来たね」と声をかけてやりたい。失敗もしたし、悩みもした。でも、その積み重ねがあったからこそ、今の“穏やかに年を重ねる自分”がいる。

これからの人生も、たくさんの変化があるだろう。体力はますます衰えるだろうし、白髪やシワもきっと増えていく。

でも、だからこそ健康第一。

年を重ねることを楽しむには、心だけじゃなく、身体も大切にしなきゃいけない。走れなくても、歩ければいい。無理はしない。でも、なまけもしない。

これからの人生を、軽やかに、でも誠実に。

家族と笑いながら、仕事に向き合いながら、日々を大切に生きていく。

老いることは、決してネガティブなものじゃない。

それは「何かを失っていく過程」ではなく、「何かを受け取っていく過程」だと、僕は思っている。

——そして今、僕はその途中にいる。

これまでに得たものを大切に、これからを楽しみに。

老いを、人生の味わいとして、ゆっくりと噛みしめながら。

そして——

こんなふうに、年を重ねることを楽しめるようになった今、僕は「パパ」としての自分にも、どこか誇りのようなものを感じている。

朝陽(あさひ)と陽潤(はるん)にとって、僕は“いつも一緒にいてくれる大人”であり、“なんでも知ってる人”であり、“少し変わってるけど面白い人”かもしれない。パパという存在は、彼女たちにとってまだまだ特別で、頼りになる存在だと思ってもらえているうちは、素直にそれを受け止めたい。

最近、朝陽がふと聞いてきた。

「パパって、なんでそんなに元気なの?」

お風呂上がり、髪を乾かしているときだった。

「んー、パパは健康が一番大事だと思ってるからね」と答えると、「じゃあ私も、元気でいたい」と言って、次の日は自分から水をたくさん飲んでいた。

そういう何気ない会話が、僕の中では、すごく大切なものとして心に残っていく。

「年を取るって、なんかいいな」

そう思ってもらえるような生き方を、子どもたちに見せられたら嬉しい。年齢を言い訳にするんじゃなく、重ねてきた時間を味方につけて、今を生きる姿を見せていきたい。

そう思うからこそ、僕は今日も元気でいたいと思うし、明日も笑顔でいたいと思う。

老いることは、誰にでも平等に訪れる。

でも、それをどう受け取るかは、自分次第。

僕はこの先も、年を重ねるたびに、もっと“いいパパ”になっていけたらいいなと思っている。

——子どもたちの記憶に残るパパとして。

そして何より、自分自身が「いい人生だった」と思えるように。

これからも、楽しみながら、老いていこう。
年を重ねることが、こんなにも豊かだなんて——

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湯鶴の裏方より

このnoteでは、湯鶴というひとりのパパの日常をもとに、仕事・育児・人生にまつわる物語を綴っています。

無料物語では、子どもとの時間で考えたことや、仕事をする中で考えていることなど、毎日のなかにあるささやかな気づきを描いています。

でも実は——
誰にも言えなかったことや、少し勇気がいるようなことは、有料物語で綴っています。

湯鶴がこれまで向き合ってきた葛藤や選択。
その背景には、言葉にならなかった想いがあります。

僕は、湯鶴の“裏方”として、そのひとつひとつを記録してきました。

有料物語は1本100円。
ですが、マガジン(500円)を購読していただければ、これまでに公開された有料記事も、これから追加される物語もすべてお読みいただけます。

子どもを育てること。
働き続けること。
自分のままで在り続けること。

どれかひとつを選ぶのではなく、どれも大切にしていきたい。うまくできない日があっても、それでも今日を重ねていく。そんな湯鶴のまなざしと向き合いながら、言葉を編んでいます。

もしも、どこかで心に触れる瞬間があったなら、マガジンをのぞいていただけたら嬉しいです。

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