任せるという約束——マネジメントを“役割”にしないために

会議室のホワイトボードに、黒いマーカーで書かれた三つの言葉があった。

——「人」「組織」「事業」。

この三つが、会社の成長を支える土台だと、誰もが口を揃える。でも、現実には、この三つの間に“見えない溝”がある。

それは、どこか他人事のような空気。
「人」は「人事の仕事」。
「組織」は「マネージャーの仕事」。
「事業」は「経営の仕事」。
そんな風に、線が引かれている。

僕は、マーカーのキャップを閉じながら、小さくため息をついた。

「線を引くと、途端に関係が途切れるんだよな……」

——人を任せる、ということ。
——任せるからには、育てるということ。

この会社では、そんな当たり前のことが、まだ「誰の責任か」で曖昧になっていた。

人事として僕はが気になっていたのは、「マネージャー」という肩書が、いつの間にか“制度上の役割”になっていることだった。
組織マネ、事業マネ、人マネ——呼び方はいくつかあるが、どれも「任命」という一方的なプロセスで決まることが多い。

「あなた、次から人マネね」

そう言われた瞬間、ある人は嬉しそうにうなずき、ある人は目を伏せる。けれど、その後に続く“支援の仕組み”がない。「任せた」の一言で、すべてが終わる。まるで、肩書を渡した瞬間に、その人が自動的に育つとでも思っているように。

——それじゃあ、無責任だ。
僕は、そう感じていた。

ある日、管理職会議の冒頭で、僕は一つの問いを投げかけた。

「“任せる”って、どういうことだと思いますか?」

静まり返った空気の中で、数人のマネージャーが顔を見合わせる。

「信じること、ですかね」
「責任を委ねる、みたいな」
「口を出さないこと?」

どれも間違いではない。
でも、どこか“綺麗すぎる答え”に聞こえた。

「任せるっていうのは、“手を放す”ことじゃないと思うんです」

僕は、ホワイトボードの前に立った。

「むしろ、“関わり続ける覚悟”のことじゃないですか?」

マーカーがボードに走る。
任せる=関わり続ける。

「任せた瞬間に、見なくなる人が多い。報告を待って、評価を下す。でも、本当に任せるっていうのは、“その人がうまくいくまで隣に立ち続けること”なんです」

誰かが小さくうなずいた。
けれど、すぐにまた沈黙が戻る。

僕は会議が終わったあと、一人の課長に声をかけられた。

「……正直、刺さりました」

課長は少し笑いながら言った。

「自分、部下に“考えろ”って言ってばっかりで、フォローしてなかったなって。“任せる”って、放置と紙一重ですね」

僕はうなずいた。

「放置と任せるの違いは、“見てるかどうか”だと思います。見てる人は、気づける。気づける人は、支えられる」

「……支えるって、難しいですよね」

「難しいですよ。でも、それをやるのがマネージャーだと思うんです」

その夜、僕は会社に残って資料をまとめていた。机の上には、数枚の紙が広がっている。

「人マネ」
「組織マネ」
「事業マネ」
——それぞれの役割定義。そして横には、「評価項目(案)」と書かれた紙。

どの役割にも共通しているのは、“結果”の項目ばかりだ。

「達成率」
「利益率」
「離職率」

けれど、“関わり方”に関する評価は、どこにもない。

——結果の裏にあるプロセスを、どう見るか。それを設計できるのが、人事の仕事のはずだ。

僕は、ひとつの項目を紙に書き加えた。

「関与の質」

結果を出す人よりも、関わることで他者を育てる人を評価したい。その思いが、僕を動かしていた。

翌週、僕は社長室に呼ばれた。机の上には、新しくまとめた資料が置かれている。「マネジメント層育成プラン(案)」と書かれた表紙。

社長は資料をめくりながら、眉を上げた。

「研修、やるんだ」

「はい。人マネ研修は必須にしたいと思ってます。“育てる”を任せる以上、ちゃんと会社として育てる責任があると思うんです」

社長は少し考えるように視線を落とした。

「なるほど。でも、現場からは“また研修かよ”って声も出るかもしれないね」

「たぶん、出ますね」

僕は笑った。

「でも、研修って“教わる場”じゃなく、“立ち止まる場”だと思うんです。日々の業務の中で、自分がどう関わってるかを見直す時間。それを定期的に設けないと、組織はどんどん鈍くなっていく」

社長はゆっくりとうなずいた。

「……わかった。やろう。どうせやるなら、スキルも伸ばせる内容にしたいな」

「プレゼンとか、ファシリテーションとかですね」

「そうそう。現場で“伝える力”がある人って、やっぱり強いから」

「はい。でも、スキルアップの研修も“目的”を間違えると意味がなくなると思います。“話し方を学ぶ”じゃなく、“どうすれば人を動かせるか”を学ぶ。それが、本来のスキルだと思うんです」

「……湯鶴くん、やっぱり根が教育者だな」

「教育って、結局“自分の姿勢”を教えることですから」

そう言って、僕は微笑んだ。

その日の帰り道、僕は夜風にあたりながら、ふと立ち止まった。街灯の光がアスファルトに淡く映り、少し遠くでタクシーが止まる音がした。

——任せるというのは、信じること。
でも、信じるには、関わり続ける勇気がいる。

それは、親としても同じだ。
朝陽(あさひ)が何かに挑戦するとき、うまくいかなくても、すぐに手を出すわけではない。

ただ、見ている。
ちゃんと、見ている。
困ったときに助けられる距離を保ちながら、本人が自分で答えを見つけられるように。

「マネジメント」って、結局それと同じなんだと思う。人の成長を、信じて、見守って、支える。その繰り返しの先に、組織の成長がある。

数週間後、第一回目の「マネージャー育成研修」が始まった。会場には、20名ほどのマネージャーが集まっていた。皆、少し緊張した面持ちで席につき、配られた資料をめくる。

最初のワークは、「自分が“任せられてうれしかった瞬間”を書き出す」というものだった。静かな筆の音が部屋に響く。

——誰かが、自分を信じてくれたとき。
——失敗しても、見捨てなかったとき。
——意見を聞いてくれたとき。

出てくる言葉のほとんどが、“関わり”に関するものだった。

僕は、それを見ながら心の中でつぶやいた。

「やっぱり、人は“放っておかれた”ことより、“見てもらえた”ことを覚えてる」

人を任せるということは、その人の人生の一部を預かること。育てるということは、その人の可能性を信じ続けること。

肩書やスキルではなく、“人を見続ける覚悟”が、マネジメントの本質なのだ。

研修の最後に、一人の参加者がつぶやいた。

「会社って、人を評価する場所じゃなくて、人を育てる場所なんですね」

僕は静かにうなずいた。

「そう。評価は過去を見るものだけど、育成は未来を見ている。だから、育てる会社は、未来をつくる会社です」

その言葉に、部屋の空気が少しやわらいだ。
帰り際、参加者の一人が小さく言った。

「任せるって、約束みたいですね」

——約束。
たしかにそうだ。
任せるとは、その人の未来に責任を持つという約束。その約束を果たすために、組織は学び続けなければならない。

僕はホワイトボードに残った「人・組織・事業」の文字を見つめながら、ゆっくりとマーカーを置いた。今日より少しでも、“人を任せる覚悟を持つ会社”に近づけた気がした。

——育成は制度ではない。文化だ。
その文化を育てるのが、僕の仕事だ。

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湯鶴の裏方より

スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。

たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。

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採用、評価、育成、退職——組織のなかにある“決断の裏側”と、“目の前の一人”との対話を、物語として丁寧に描いています。

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