心の穏やかさと、ミスの関係について——心理的安全性をめぐる内省
「なんでこんな単純なことを間違えたんだろう」
そんな風に自分を責める夜を、僕はこれまで何度も過ごしてきた。人事の仕事をしていると、数字や期日を扱うことが多い。
給与計算の一桁の違いが誰かの生活に影響し、社会保険の書類の提出が一日遅れただけで、誰かの安心が揺らぐ。
だからこそ、僕はいつも「ミスをしないように」と心に刻んできた。
それでも、ミスはなくならない。
むしろ、「ミスをしてはいけない」という意識が強くなればなるほど、心が固くなり、視界が狭まる。
大学院で構造解析をしていた頃もそうだった。入力した条件や境界設定にほんの少し誤りがあると、出力は途端におかしな数値になる。部材が現実離れした形で曲がり、物理的にあり得ない反力が表示される。
そんなときに「あ、どこかにミスがあるな」と気づけるのは、心が落ち着いているときだった。逆に「提出に間に合わせなきゃ」「教授に見られている」と焦っているときほど、異常値を異常と見抜けず、見落とす。
この経験から僕は、ミスとは単なる不注意の問題ではなく、心の状態と深く関係していると学んだ。
幸いなことに、僕はこれまで大きな仕事上のミスをして、上司から怒鳴られたり叱責されたりしたことはない。もちろん小さな抜け漏れや誤りはあるが、周囲のサポートや仕組みで取り戻してきた。
だから僕が本当に考えさせられたのは、自分の経験よりも「マネジメントの立場で見てきた人たちの姿」だった。
ある社員は、本来とても几帳面で誠実なのに、上司に強く詰められると極端に萎縮してしまい、普段ならしないような単純ミスを繰り返した。
別の社員は、「また間違えたらどうしよう」と恐れるあまり、報告や相談が遅れ、結果的に小さな誤りが大きな問題に育ってしまった。
彼らを見ていると、ミスの原因は決して能力不足だけではないのだとわかる。むしろ「ミスを恐れている状態」が人の力を奪い、ミスを誘発する。これは、組織の中で何度も目にしてきた現実だ。
心理的安全性という言葉は、意見交換や挑戦を促す文脈で語られることが多い。けれど僕は、それ以上に「ミスを恐れなくていい環境をつくる」ことにこそ本質があると思っている。
安心して「間違えました」と言える環境なら、早めに修正ができる。逆に「怒られる」「責められる」と思えば、隠そうとし、防御的になり、かえって大きな失敗につながる。
家庭の中でも、この構図は繰り返される。
朝陽(あさひ)が宿題をしているとき、僕や逸花(いつか)がじっと覗き込むと、朝陽は筆が止まる。「見ないでよ」と言いながら、間違えた答えを消して書き直す。逆に、そっと放っておくと最後まで集中してやりきる。
子どもは「監視されている」と感じると緊張し、のびのびできる環境だと本来の力を出せる。
ある日、漢字ドリルで「線」と書こうとして「糸へん」を忘れていた。僕がつい「そこ違うんじゃない?」と口を挟むと、朝陽はムッとした顔をして、消しゴムを強く握りしめた。その表情を見て、僕はハッとした。僕がやっていたのは「支援」ではなく「監視」だったのだ。
慌てて「間違えてもいいから、まずは書いてみよう」と言い直すと、朝陽は少し安心したように、すらすらと書き進めていった。安心感のある環境が、力を引き出す。これは家庭でも、会社でも、スポーツの現場でも変わらない。
朝陽が小学校に入ってから、忘れ物が増えた。ある朝、図工の道具袋を持たせるのを忘れてしまった。僕も気づかず、学校に着いてからハッとしたという。環境が変わると、忘れ物が増えがちというのは、多くの人に当てはまると思う。
帰宅後、「今日ね、道具忘れちゃった」と言う朝陽を見て胸が締めつけられた。本当は、一年生のうちは忘れ物の責任は親にある。まだ学校生活に慣れていない子にすべてを任せるのは酷だし、準備を支えるのも親の役割だ。
だから「ごめんね」と思うのは、むしろ僕の方だった。届けてあげることはできないけれど、心の中では何度も「ごめん」とつぶやいた。
それでも、学校で過ごす中で不安や焦りを味わうことは、朝陽にとって大切な経験になる。友だちに借りてなんとかなったと笑顔で話す朝陽を見て、「これでいいんだ」と思えた。
忘れ物を完璧に管理するのではなく、「忘れ物をしたときにどうするか」を学ぶこと。ミスを恐れない心を育てること。それが、朝陽のこれからの力になる。
サッカーでも、同じことを痛感する。
「絶対にミスするなよ」と声をかけると、たいていの子はミスをする。体が硬くなり、パスはずれ、シュートは枠を外れる。逆に「思い切ってやってみろ」と伝えると、たとえ失敗しても次の動きにつながり、伸びやかなプレーになる。
僕自身も現役でプレーしていた頃、決定機の場面で「ここで外したら…」と意識した途端、足が止まりシュートをふかしたことがある。逆に、考えるより先に体が反応したときほど、ボールは自然にゴールに吸い込まれた。練習で積み重ねたことを信じ、ただ目の前のプレーに集中するとき、結果は後からついてくる。
ある試合で、朝陽がパスミスをして失点につながった。僕は一瞬ドキッとしたが、朝陽はすぐに「もう一回!」と声を出して走り出した。その姿に胸が熱くなった。ミスは消せない。けれど、切り替えて挑み続ける姿勢があれば、ミスはただの通過点になる。子どもたちはサッカーを通じて、それを自然と学んでいる。
これまでの人生を振り返ると、「ミスを恐れていたとき」と「心が穏やかだったとき」とでは、結果がまるで違っていたことに気づく。
例えば、大学院時代の研究発表。教授や先輩の前で解析結果を説明するとき、僕は「突っ込まれたらどうしよう」「間違っていたら恥ずかしい」と不安でいっぱいだった。スライドの数字を何度も確認するのに、かえって言葉が出てこなくなり、質問にもうまく答えられない。恐れが恐れを呼び、萎縮して本来の力を発揮できなかった。
一方で、同じ研究室での仲間とのディスカッションは不思議なほどのびのびできた。お互いに「おかしいな」「ここ変じゃない?」と遠慮なく言い合える関係性があった。だから僕も失敗を恐れずに「こういう条件ならどうなるんだろう」と仮説を出し、結果的により深い発見につながった。心が穏やかでいられる環境では、多少のミスも学びに変わる。
社会人になってからも同じだ。初めて経営会議に出たときは、言葉を間違えることを恐れて発言が遅れ、結局チャンスを逃したことがある。逆に、信頼できる仲間との場では「多少間違えてもいいや」と思えたときにこそ、自分の考えを率直に言葉にできた。そこから議論が広がり、提案が形になることも多かった。
この経験の違いから学んだのは、能力差ではなく「心の状態」が結果を決めているということだ。恐れに支配された心は、可能性を縮める。穏やかさに支えられた心は、可能性を広げる。これは僕自身の内側に刻まれた確かな実感だ。
では、この「穏やかさ」をどうやって組織の文化に落とし込むのか。
心理的安全性という言葉は流行語のように語られることもあるが、実際に体感してきた僕からすると、それは単なる「仲良しこよし」ではない。むしろ「厳しさと安心の両立」であり、「ミスを恐れずに挑戦できる雰囲気」のことだ。
そのために必要なのは、まずリーダー自身が「ミスを認める姿」を見せることだと思う。僕は会議で「あの件、僕の見落としでした」と素直に言うようにしている。
すると、周囲も「あ、言っていいんだ」と思い、早い段階で共有してくれるようになる。リーダーが完全無欠を演じれば演じるほど、部下は「間違えてはいけない」と思い込んでしまう。
また、フィードバックの仕方も重要だ。「なぜこんなことをしたんだ」と問い詰めるのではなく、「どうすれば次はうまくいくか」を一緒に考えること。責められた経験は恐れを生み、挑戦心を奪う。対話の経験は学びを生み、次の一歩を促す。文化は言葉の積み重ねから生まれる。だからこそ、一つひとつの言葉に責任を持たなければならない。
さらに、仕組みとして「早めに相談できる場」を用意することも大切だ。1on1や雑談の時間を活用し、ミスの芽を早期に共有できるようにする。人は「大ごとになる前なら言いやすい」と感じるものだ。だから、日常的に「ちょっと気になる」を話せる場を整えることが、文化を育てる。
そして最後に、成功体験だけでなく「失敗から学んだ体験」をチームで称えることだ。ミスを起点に仕組みが改善されたとき、それをチームの成果として共有する。「あの失敗があったからこそ、今はうまく回っている」と語れる組織は強い。
僕が大切にしたいのは、ミスをゼロにすることではない。ミスを「学びに変える」ことだ。
心が穏やかであれば、人はミスを恐れない。恐れないからこそ挑戦できる。挑戦するからこそ、成長できる。心理的安全性は、その循環を生むための文化の土台なのだ。
僕自身、父としてもコーチとしても、子どもたちに伝えたいのは「ミスを恐れなくていい」ということだ。失敗しても、恥ずかしがらなくていい。大事なのは、その後どうするか。僕ら大人もまた、その姿勢を忘れないようにしなければならない。
今日もまた、自分に言い聞かせる。
「恐れに縮こまるのではなく、穏やかに挑戦する。その姿勢が、人を成長させ、組織を育てる」
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たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。
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