学び続けても、自分の軸はできない——「自立」と「自律」は、似ているようでまったく違う
世の中には、学ぶ手段がとてつもなくたくさんある。
本がある。
新聞がある。
雑誌がある。
YouTubeがある。
Podcastがある。
SNSがある。
セミナーがある。
研修がある。
大学や大学院もある。
誰かと話すことから学ぶこともできる。
仕事で失敗して学ぶこともある。
子どもとの会話から、ハッとさせられることもある。
スポーツを観ていて、仕事について考えることもある。
映画やドラマ、小説からだって学べる。
極端なことを言えば、本気で学ぼうと思えば、日常で起きているほとんどすべての出来事を教材にすることができる。
僕自身、昔から学ぶことは好きな方だと思う。
本も読む。
人の話も聞く。
知らない言葉が出てくれば調べる。
仕事で何かうまくいかなければ、「なぜだろう」と考える。
人事という仕事をするようになってからは、組織論や人材育成、キャリア、マネジメント、心理学など、それまで知らなかった領域にも触れるようになった。
でも、学べば学ぶほど、あることに気づく。
終わりがない。
本なんて、本気で読み始めたらキリがない。
一冊読めば、その中で別の本が紹介されている。
面白そうだと思って読む。
すると、その本の中から、また知らない理論や研究者が出てくる。
それを調べる。
さらに別の本へたどり着く。
一つ知ると、知らないことが十個見つかる。
学べば学ぶほど、自分が何も知らないことが分かってくる。
これは、とても面白い。
だから僕は、これからも学び続けたいと思っている。
ただ、最近は同時にこう思う。
学び続けるだけでは、足りない。
むしろ、学ぶことが好きな人ほど、気をつけなければいけないことがあるのではないか。
それは、「で、自分はどう生きるのか。」という問いである。
本を読んでいると、たくさんの正しそうなことに出会う。
「挑戦することが大切だ。」
そう書いてある。
なるほど、と思う。
別の本を読む。
「無理をせず、自分らしく生きることが大切だ。」
なるほど、と思う。
さらに別の本を読む。
「圧倒的な努力が人生を変える。」
そうかもしれない。
また別の本を読む。
「頑張りすぎないことが大切だ。」
それも分かる。
どれも、たぶん間違っていない。
人とのつながりが大切だという人もいる。
一人になる時間が必要だという人もいる。
計画を立てろという人もいる。
まず行動しろという人もいる。
夢を持てという人もいる。
目の前のことに集中しろという人もいる。
一つひとつを見れば、どれも納得できる。
だからこそ、難しい。
全部を取り入れることはできないからだ。
人生には時間がある。
一日は24時間しかない。
自分の身体も一つしかない。
何かを選べば、何かを選ばないことになる。
だから、どれだけ学んでも、最後には自分で決めなければならない。
「僕は、これを大切にして生きていく。」
僕は、この「決める」という行為が、とても大切だと思っている。
そして、これが僕の考える「自立」に近い。
自立という言葉を聞くと、一般的には、「一人でできること」を想像するかもしれない。
親に頼らず生活できる。
経済的に独立している。
誰かに言われなくても仕事ができる。
もちろん、それも自立だと思う。
でも僕は、もう少し違う意味でもこの言葉を捉えている。
自分の中に、自分の軸を立てること。
何を大切にするのか。
どういう人でありたいのか。
どういう仕事をしたいのか。
人とどう向き合いたいのか。
家族とどう生きたいのか。
何をしたときに、自分は自分を誇れるのか。
逆に、どんな自分にはなりたくないのか。
そういう問いに対して、自分なりの答えを持つ。
誰かから与えられた答えではない。
本に書いてあったからでもない。
有名な経営者が言っていたからでもない。
SNSで多くの「いいね」がついていたからでもない。
いろいろなものを見て、聞いて、学んで、経験して、そのうえで、「僕はこうする。」と決める。
それが、自分の足で立つということなのだと思う。
だから「自立」という漢字は、僕にとってとても分かりやすい。
自ら、立つ。
何も知らずに立つのではない。
いろいろな考え方に触れる。
他人の人生から学ぶ。
失敗する。
迷う。
悩む。
ときには、それまで信じていたものを疑う。
そのうえで、それでも最後は自分で一本の軸を立てる。
これが自立なのだと思っている。
ただ、ここで難しいことがある。
軸は、一度立てれば終わりではない。
人は、簡単にブレる。
僕もそうだ。
「これを大切にしよう。」
そう決めた翌日に、まったく違うことをしていることがある。
感情的になる。
目の前の結果に焦る。
人と比べる。
評価が気になる。
楽な方へ行きたくなる。
面倒なことを後回しにする。
自分が大切にしたいと思っていることより、目の前の誘惑を優先してしまう。
人間だから、当然だと思う。
だから僕は、「自分の軸を持っている人は、ブレない人だ」とは思っていない。
むしろ逆かもしれない。
自分がブレることを知っているから、戻る場所を持っている人。
それが、本当に軸を持っている人なのではないかと思う。
ここで出てくるのが、もう一つの言葉だ。
「自律」
自立と自律。
読み方は同じ。
「じりつ」。
でも、僕の中では、この二つは明確に違う。
自立は、自分の軸を立てること。
自律は、その軸に、自分自身を戻し続けること。
自律の「律」は、規律の律である。
自分を律する。
だからといって、僕は「自分に厳しくしろ」という話だけをしたいわけではない。
もっと日常的なものだと思っている。
たとえば、「家族との時間を大切にする。」と決めたとする。
それが自分の軸だとする。
でも仕事が忙しくなれば、簡単に崩れる。
スマートフォンを見てしまう。
仕事のことを考えてしまう。
「今だけだから」と言いながら、家族との時間を後回しにする。
そんなことは、いくらでも起きる。
そこで、「自分は何を大切にしたかったんだっけ。」と考える。
スマートフォンを置く。
仕事から少し離れる。
子どもの話を聞く。
また軸に戻る。
仕事でも同じだ。
「相手の立場を想像して仕事をする。」と決めていたとしても、忙しくなれば、自分の都合で物事を進めたくなる。
「これくらい分かるだろう。」
「説明する時間がない。」
「とりあえず送っておこう。」
そんな気持ちが出てくる。
そこで一度止まる。
「いや、自分が大切にしたかった仕事の仕方は、これだっただろうか。」
そう考える。
文章を読み返す。
一言加える。
相手に電話する。
確認する。
小さなことだけれど、僕はこういうことの積み重ねが自律だと思っている。
自律とは、完璧であることではない。
一度も道を外れないことでもない。
外れたときに、自分で気づいて戻れること。
その力なのだと思う。
だから僕は、自律には「訓練」という感覚がある。
一回決意しただけでは身につかない。
毎日やる。
何度もやる。
「あ、今ブレているな。」と気づく。
戻す。
またブレる。
また戻す。
その繰り返しだ。
筋力トレーニングに少し似ているかもしれない。
一度トレーニングしたからといって、ずっと筋肉がついているわけではない。
繰り返すから、少しずつ身体が変わっていく。
自律も同じだと思う。
自分の感情を見る。
自分の行動を見る。
自分の言葉を見る。
そして、「これは、自分が大切にしたい生き方と合っているだろうか。」と問い続ける。
違っていたら、戻す。
僕は、この訓練を一生続けていくのだと思っている。
そう考えると、学ぶという行為の意味も少し変わってくる。
以前は、学ぶというと、「知らないことを知ること」だと思っていた。
もちろん、それも学びだ。
でも今は、もう一つあると思う。
「自分の軸をつくるために、世界を知ること」
僕たちは、生まれた瞬間から自分の価値観を知っているわけではない。
いろいろな人に出会う。
いろいろな考え方を知る。
本を読む。
働く。
失敗する。
成功する。
誰かに褒められる。
誰かに怒られる。
人を好きになる。
誰かと別れる。
家族を持つ。
子どもが生まれる。
仕事が変わる。
立場が変わる。
そうやって世界と接触する中で、
「これは好きだ。」
「これは違う。」
「こういう人になりたい。」
「こういう生き方はしたくない。」
というものが少しずつ見えてくる。
学びとは、その材料を集める行為なのかもしれない。
だから、たくさん学ぶことには意味がある。
選択肢を増やすことができるからだ。
知らなければ、選べない。
一つの生き方しか知らなければ、それを自分で選んだのかどうかすら分からない。
いろいろな考え方を知って初めて、「それでも僕は、こちらを選ぶ。」と言える。
だから学ぶ。
でも、ここで終わってはいけない。
材料を集め続けるだけでは、家は建たない。
どれだけ良い木材を集めても。
どれだけ立派な石を集めても。
どれだけ最新の設備を揃えても。
「どんな家を建てるのか」を決めなければ、何もできない。
人生も同じだと思う。
学びは材料である。
最後に設計するのは、自分だ。
学ぶことが目的になってしまうと、少し怖いことも起きる。
「もっと知らなければ。」
「もっと読まなければ。」
「もっと勉強しなければ。」
そうやって、永遠に準備を続けることができるからだ。
でも、人生は準備だけでは終われない。
どこかで選ばなければならない。
どこかで決めなければならない。
そして、決めたものを生きなければならない。
100冊読んだから、自分の軸ができるわけではない。
1000冊読んでも同じだと思う。
反対に、たった一つの出来事から、「自分は、これを大切にして生きよう。」と決めることだってある。
重要なのは、学んだ量だけではない。
学んだことを、自分の人生にどう接続するか。
そこなのだと思う。
だから僕は、本を読んだときも、誰かの話を聞いたときも、最近はできるだけ、「面白かった。」とか「勉強になった。」だけで終わらせないようにしている。
「じゃあ、自分はどうする?」と考える。
全部取り入れる必要はない。
むしろ、取り入れないものの方が多くていい。
「この考え方は分かる。でも、僕は違う。」
それも立派な学びだと思う。
人の考えを否定する必要はない。
その人には、その人の人生がある。
僕には、僕の人生がある。
だから最後は、自分で選ぶ。
僕は、人材育成やキャリアについて考えるときにも、この二つを大切にしている。
自立と自律。
誰かに正解を教えてもらい続けなければ動けない状態ではなく、「自分はこうしたい。」と自分で立てること。
そして、日々いろいろな出来事が起きても、自分が大切にすると決めたものへ、自分自身を戻していけること。
会社がすべてを教えることはできない。
上司がずっと隣にいるわけでもない。
いつか上司は変わる。
会社だって変わるかもしれない。
仕事も変わる。
家族構成も変わる。
社会も変わる。
AIが進化すれば、今ある仕事の形も変わっていくだろう。
だからこそ、「環境が変わっても、自分で立てる人」であることが大切だと思う。
ただ、自立だけでも危うい。
自分の軸を持つことと、自分の考えに固執することは違う。
「僕はこういう人間だから。」
「自分はこれを大切にしているから。」
そう言って、学ぶことをやめてしまえば、軸はいつか古くなる。
だから、学び続ける。
違う考えに触れる。
自分の軸を疑ってみる。
必要なら、軸そのものを立て直す。
自立とは、一度決めたことを死ぬまで変えないことではない。
自分で考え、自分で選び、自分で立て直せること。
そういう強さなのだと思う。
そして、自律もまた、我慢とは違う。
感情を押し殺すことでもない。
むしろ、自分の感情をきちんと見ることが必要になる。
腹が立っている。
焦っている。
嫉妬している。
怖い。
逃げたい。
認められたい。
褒められたい。
面倒くさい。
そういう自分をなかったことにしない。
「ああ、今、自分はこう感じているんだな。」と認識する。
そのうえで、「では、どう行動するか。」を自分で選ぶ。
感情が行動を決めるのではない。
感情は大切にする。
でも、最後にハンドルを握るのは自分でいる。
それもまた、自律なのだと思う。
世の中には、これからも新しい学びが無限に出てくる。
新しい本が出版される。
新しい理論が生まれる。
新しい技術が出てくる。
新しい働き方が生まれる。
昨日まで正しいと思われていたことが、明日には変わることもある。
全部を追いかけることなんてできない。
だからこそ、僕は思う。
学ぶこと以上に、「何を大切にするのかを決めること」が必要なのだと。
そして決めたら、「その軸に戻り続けること」が必要なのだと。
自立して、自律する。
自分の軸を立てる。
日々、その軸からズレる。
ズレたことに気づく。
戻る。
また学ぶ。
すると、ときには、「今まで大切だと思っていたものは、少し違うかもしれない。」と気づく。
そのときは、また考える。
そして、自分で軸を立て直す。
人生は、その繰り返しなのかもしれない。
たくさん本を読むことは素晴らしい。
たくさんの人に会うことも素晴らしい。
研修へ行くのもいい。
動画を見るのもいい。
SNSから学んでもいい。
スポーツから学んでもいい。
子どもから学んでもいい。
失敗から学んでもいい。
学ぶ入口なんて、何でもいいと思う。
大切なのは、出口だ。
その学びを通して、
「自分はどう生きるのか。」
「何を大切にするのか。」
「どんな人でありたいのか。」
そこまで考える。
そして、一つずつ決めていく。
誰かの人生の正解を集めるのではない。
集めたものの中から、自分の人生の答えをつくっていく。
それが、学ぶということなのだと思う。
僕もまだ、その途中にいる。
これからも、たくさん学ぶと思う。
本も読む。
人にも会う。
知らない世界にも触れてみたい。
今まで正しいと思っていたことが、変わることもあるだろう。
それでいい。
ただ、学びながら何度でも自分に問いかけたい。
「僕は、何を大切にして生きていくのか。」
その問いから逃げず、自分なりの答えを出す。
自分の軸を、自分で立てる。
それが、自立。
そして日常の中で迷い、感情が揺れ、誰かと比べ、目の前の出来事に引っ張られながらも、「違う。自分が大切にしたかったのは、こっちだ。」と、自分自身を戻していく。
それが、自律。
自立だけでも足りない。
自律だけでも足りない。
自分で立ち、自分を律する。
この二つを何度も繰り返しながら、人は少しずつ、自分の人生を自分で生きられるようになるのだと思う。
学ぶことに、終わりはない。
だからこそ、すべてを学び終えてから人生を決めることなんてできない。
学びながら、決める。
決めながら、また学ぶ。
そして、ブレたら戻る。
また考える。
また選ぶ。
その繰り返しでいい。
人生に必要なのは、絶対にブレない一本の軸ではないのかもしれない。
何度ブレても、自分で戻ってこられる軸。
僕は、そんな軸を持って生きていきたい。
そして、学び続けながら、その軸を何度でも磨いていきたいと思っている。
そんなことを考えていたとき、とある経営者と話す機会があった。
人材育成について話していた。
その人は、長く会社を経営している。
たくさんの社員を見てきたし、もちろん、うまくいったことばかりではないと思う。
人が辞めることもあっただろう。
思うように育たないこともあっただろう。
期待していた人が活躍することもあれば、逆に、そこまで期待していなかった人が大きく成長することもあったはずだ。
そんな話をしている中で、僕は聞いてみた。
「結局、伸びる人って、どんな人なんでしょうね。」
経営者は少し考えてから言った。
「自分で考えられる人じゃないですかね。」
やっぱり、そこなのかと思った。
「僕も最近、それをすごく考えるんですよ。」
僕は、自分が考えている「自立」と「自律」の話をした。
「僕の中では、自立って、一人で何でもできることじゃないんです。」
「ほう。」
「自分が何を大切にするのかを、自分で決められること。それが自立なんじゃないかと思っていて。」
経営者は黙って聞いていた。
「でも、それだけでも足りないと思うんです。人って、絶対ブレるじゃないですか。」
「ブレますね。」
「忙しくなったり、結果が出なかったり、人から何か言われたりすると、自分が大切にしていたことなんて簡単に忘れる。だから、自分で決めた軸に、自分を戻していく力が必要なんだと思うんです。それを僕は自律だと思っています。」
経営者は少しうなずいた。
そして言った。
「それって、会社も同じかもしれませんね。」
その言葉に、僕は少しハッとした。
「会社も?」
「会社だって、理念とかミッションとか、大切にすることを決めるじゃないですか。でも、業績が悪くなったり、忙しくなったりすると、簡単に忘れるでしょう。」
「ああ、確かに。」
「人を大切にすると言っていた会社が、数字が厳しくなった瞬間に、人を数字として見るようになったりする。挑戦を大事にすると言っていたのに、失敗した人を責めたりする。」
確かにそうだと思った。
会社にも、軸がある。
理念。
ミッション。
ビジョン。
バリュー。
呼び方はいろいろあるけれど、「僕たちは、こういう会社でありたい。」と決めたものだ。
それは、会社にとっての自立なのかもしれない。
でも、本当に難しいのは、その先だ。
掲げることではない。
守り続けること。
「そう考えると、理念をつくることより、理念に戻り続けることの方が難しいですね。」
僕がそう言うと、経営者は笑った。
「そりゃそうですよ。書くだけならできますから。」
確かにそうだった。
きれいな言葉をつくることはできる。
立派なスライドもつくれる。
会社のホームページに掲載することもできる。
オフィスの壁に掲げることもできる。
でも、それだけでは何も変わらない。
判断に迷ったとき。
数字が厳しいとき。
誰かと意見がぶつかったとき。
大きな仕事が舞い込んできたとき。
短期的な利益と、自分たちが大切にしているものがぶつかったとき。
そこで、「僕たちは、何を大切にする会社だったのか。」と戻れるかどうか。
会社にも、自律が必要なのだと思った。
そして会社をつくっているのは、一人ひとりの人間だ。
だから結局、一人ひとりが自分で考える力を持っていなければ、組織としての自律も生まれない。
「だから、人材育成って、知識やスキルを教えるだけじゃないんでしょうね。」
僕が言った。
経営者はうなずいた。
「そうですね。最後は自分で考えてもらわないと。」
その言葉が、妙に残った。
最後は、自分で考える。
上司が答えを持っているわけではない。
経営者が答えを持っているわけでもない。
研修会社が持っているわけでもない。
本にも、答えそのものが書いてあるわけではない。
材料はいくらでももらえる。
ヒントももらえる。
知らなかった世界を教えてもらうこともできる。
でも、「では、自分はどうするのか。」だけは、自分で決めるしかない。
それが、人が育つということなのかもしれない。
その日の夜。
家に帰ると、朝陽(あさひ)がリビングで宿題をしていた。
僕も隣に座って、少し仕事をしていた。
しばらくすると、朝陽が鉛筆を置いて言った。
「終わった。」
「お疲れさま。」
ノートを見せてもらう。
きれいに書けている。
「いいじゃん。」
そう言うと、朝陽は満足そうな顔をした。
その顔を見ながら、昼間に話していたことを思い出した。
「朝陽。」
「なに?」
「自立と自律って知ってる?」
「じりつ?」
当然、分からない。
しかも二つとも同じ音だ。
「同じ『じりつ』なんだけど、漢字が違うんだよ。」
紙に書いてみた。
自立。
自律。
朝陽は二つの文字を見比べる。
「こっちは知ってる。」
「自立?」
「うん。一人でできること?」
「そういう意味でも使うね。」
僕は少し考えた。
小学2年生に、どう説明したらいいだろう。
難しい言葉を使っても意味がない。
「じゃあさ、朝陽が『宿題は帰ってきたら先にやる』って、自分で決めたとするじゃん。」
「うん。」
「誰かに言われたからじゃなくて、自分で『私はそうする』って決める。それが、自立に近いかな。」
「ふーん。」
まだ少し分からなそうだった。
「自分で決めるってこと?」
「そう。自分はどうしたいかを、自分で決める。」
「じゃあ、自律は?」
「自律はね……。」
少し考えた。
「帰ってきたら宿題を先にやろうって決めたのに、YouTube見たくなるときあるでしょ。」
朝陽が笑った。
「ある。」
「あるよね。」
「めっちゃある。」
僕も笑った。
「そのときに、『あ、でも私は宿題を先にやるって決めたんだった』って戻ること。それが自律かな。」
朝陽は少し考えていた。
「でも、YouTube見ちゃったら?」
「いいんじゃない?」
「いいの?」
「見ることもあるでしょ。パパだってあるよ。」
「パパも?」
「あるよ。いっぱいある。」
朝陽が笑う。
「大事なのは、一回も間違えないことじゃないんだと思う。」
「じゃあ、何?」
「戻ること。」
「戻る?」
「うん。『あ、違った』って気づいたら、自分が決めたところに戻ればいい。」
朝陽は、紙に書かれた二つの「じりつ」を見ていた。
そして、「じゃあ、何回戻ってもいいの?」と聞いた。
僕は、その言葉に少し驚いた。
子どもは、ときどき大人が考えていることの中心を、驚くほど簡単な言葉で聞いてくる。
「うん。」
僕は答えた。
「何回でもいいと思う。」
「100回でも?」
「100回でも。」
「1000回でも?」
「1000回でも。」
「じゃあ簡単じゃん。」
そう言って、朝陽は笑った。
僕も笑った。
確かに、そうなのかもしれない。
僕たちは、自分の軸を持つということを、少し難しく考えすぎているのかもしれない。
一度決めたら、絶対に守らなければならない。
迷ってはいけない。
ブレてはいけない。
弱い自分を見せてはいけない。
そんなふうに考えるから、苦しくなる。
でも、違う。
ブレていい。
迷っていい。
間違えていい。
ときには、自分が何を大切にしていたのか分からなくなってもいい。
そのたびに考えればいい。
「自分は、どうしたかったんだっけ。」
そして、戻る。
もし戻ろうとした場所そのものが違うと思ったなら、もう一度軸を立て直せばいい。
それも、自分で決めればいい。
「朝陽。」
「なに?」
「パパも、毎日戻ってるよ。」
「どこに?」
その質問に笑ってしまった。
「自分が、こういう人でいたいなって思ってるところ。」
朝陽はよく分からなそうな顔をしていた。
それでいいと思った。
今、全部分かる必要なんてない。
これからたくさんの人に会う。
たくさんのことを知る。
学校で学ぶ。
本を読む。
友達と遊ぶ。
失敗もする。
悔しい思いもする。
嬉しいこともある。
その一つひとつから、朝陽なりに何かを学んでいけばいい。
そしていつか、「私は、これを大切にして生きていく。」と思えるものを、自分で見つけてほしい。
親である僕が決めるのではない。
先生が決めるのでもない。
友達が決めるのでもない。
世の中が決めるのでもない。
朝陽自身が決める。
自分で、自分の軸を立てる。
そして、きっと何度もブレる。
そのたびに、自分で戻る。
そんな人になってくれたらいいなと思う。
もちろん、それは朝陽だけではない。
僕自身も同じだ。
これからも学ぶ。
本も読む。
人の話も聞く。
新しいことを知る。
仕事でも、たくさん失敗すると思う。
誰かの言葉に影響されることもある。
人と比べることもある。
感情に引っ張られることもある。
そのたびに、「僕は、何を大切にして生きていくんだっけ。」と自分に問いかける。
そして、戻る。
何度でも戻る。
自立とは、一人で生きることではない。
自分の軸を、自分で立てること。
自律とは、ブレないことではない。
ブレた自分を、自分の軸へ戻していくこと。
学ぶことに終わりはない。
だから、すべてを学び終えてから人生を決めることなんてできない。
学びながら、決める。
決めながら、また学ぶ。
ブレたら、戻る。
そして必要なら、また決め直す。
その繰り返しでいい。
人生に必要なのは、絶対にブレない一本の軸ではないのかもしれない。
何度ブレても、自分で戻ってこられる軸。
僕は、そんな軸を持って生きていきたい。
そして、学び続けながら、その軸を何度でも磨いていきたいと思っている。
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湯鶴の裏方より
スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。
たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。
▼おみくじをつくった背景については、こちらにまとめました。
“自分”と向き合い続ける日々の中で感じた、揺れや葛藤、そして小さな確信——そんな心の内側を物語として綴った有料マガジン『人としての湯鶴——問いながら、生きていく』があります。
自分のあり方に迷いながらも、それでも問いを手放さずに生きていこうとする時間を、丁寧に描いています。
※1本ずつ(100円)でも読めますが、マガジン購読でまとめて読むのがおすすめです。
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