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【掌編】たったひとりのひとでいてね。/#灯火杯4th


「これに一緒にきてくれ。俺が描いたんだ」

白さがやけに強調されたまぶしい病室だった。わたしは半年間ずっとここにいる。兄は、展覧会のチケットを丁寧に白い封筒にいれて持ってきてくれた。

兄の太一はもはや懇願するようだった。わたしは小説家として念願のデビューをしたばかりだったのに、事故に遭い、左半身が動かなくなった。

左がまったく感覚がないから、タイピングができなくなった。
病室でリハビリの時間に呼ばれるのを待つのみ。動かない体で、後はずっと窓の外を眺めて過ごす。規則的に繰り返される毎日に焦燥感と、言いようのない安堵感を覚えていた。

だって、わたしはからだが動かない。もう、書くことを期待されなくてもいい。自分にいくらでも言い訳ができた。
売れる本を出し続けなければ、作家として終わり。呼吸が苦しくなることももうない。

売れる本を書くという呪縛から、逃れたかった。大義名分ができたわけだ。そう思い、思う存分いろんなメールを無視して、仕事は放棄した。担当編集者からは鬼のように電話が来たが、そのうちあきらめて、わたしの座はどこかの新人に奪われるだろう。それでいい。


その車を運転していたのは、兄だった。対向車線からトラックが突っ込んできた。よけきれなかった。
わたしが「久しぶりにお兄ちゃんと海がみたいわあ」なんて言ったから。


兄は奇跡的に神経のまひなどは残らず、画家やデザイナーとしても活動が続けられた。何より兄は腕にひとつも傷が残っていなかった。
神様の思し召しなんだろう。

「俺だけ何で!」兄は、わたしから見てもかわいそうなくらい責めて責めて、自分をぼろぼろにした。
俺が七海の才能をつぶした、というのがここ半年の彼の口癖だった。

「お兄ちゃん、なあ、わたしの才能なんか大したことないんやで。もうこの際やめちゃおうかな、作家なんてプレッシャーやし」
わたしは未だに地元の言葉が抜けきらない。努めてあっけらかんと言った。本心なんかどうでもいい。これ以上、兄が自分を責めるのをみたくない。

新人ミステリー作家。次の新作は、本当は事故の半年後、つまり今、世に出ているはずだった。
でも今のわたしは、動かない左半身をかばい、右で話をまとめ、片手うちをするほどのエネルギーはない。文豪みたいに手書きなんかできるわけない。
リハビリだって、行くのはムダな義務心からで、熱心さのかけらもない。ときには屋上でタバコを吸ってサボタージュする。


書くことには膨大なエネルギーが必要なんだよ。もうわたしには、ない。




「なあ、七海、そろそろ出てもいいんじゃないか。不安なら、お兄ちゃんが車いすでどこでも連れて行ってやる」

兄が病室に持ち込んだ車いすに目をやる。

7つ上の兄は顏はこわいくせに、妹のわたしにはとびきり優しくて何でも言うことを聴いてくれた。スッと背が高く、本来きっと女性にもてるのだろう。デザイナーとしても、将来を有望されている。兄は早々と方言を抜け、すっかり標準語を話す。いけすかない兄貴だ。


何度かまちで兄が女の子と歩いているのを見たが、どの人もスラっとした美人ばかりで、わたしは恐れおののいたものだ。と同時に、ちょっぴり嫉妬したし、面白くなかった。いつまでも兄が一番のヒーローなんて情けない。ブラコンっていうのかもしれない。わかってる。

両親を早くに亡くしたわたしは兄がいなければ、生きていけなかった。父親であり、母親であり、兄であった。


俺、もう、七海が書かないなら、絵をやめたいんだ。自分だけなんて許せないよ。

兄がついにそうつぶやいた日、わたしの中で、何かがはじけた。兄はいつまで、どれだけの責任を背負うつもりだろうか。

あの日海に行きたいと言ったのはわたしなのに。昔から海がすきで、作品に煮詰まると、いつも海の風を感じたくなった。あの日もそれをねだった。


「絵をやめんといて、お兄ちゃん。わたし行く、お兄ちゃんの絵、見せてや」


わたしはその日、半年ぶりに病院の外にでる決意をした。
病室の窓から見える景色はすっかり秋めいて、プラタナスの並木が続いていた。スズカケノキとも呼ばれるそれは、街路樹を黄金に染め、その中を兄の押す車いすでゆっくりと進んだ。落ち葉がひらひらと、膝にのる。葉っぱが一枚、二枚、わたしはそっと受け止める。

空気はこんなにも冷え切っていたのか。

「秋ってさみしいやんな。終わりに向かってる気がせえへん?」
「まあなあ。でも、暖色で染まるのがいいんじゃないか。綺麗だろ、まちがさ」

やるよ、と兄がチェックのブランケットを渡す。「外出記念だな、ひきこもりだったんだから」と歯を見せて笑った。あたたかくてほわほわとしていた。紅葉色のそれをわたしはぎゅっと握りしめて、小さく「くそ兄貴」と笑った。



兄の絵は、展覧会の隅にあったのに、人だかりができていた。

それは、色の深い海の絵だった。
複雑な蒼と、浜辺と。黄金色の並木が海まで続いていた。

秋の海。澄んだ空気も海の匂いも、波の音も伝わりそうだ。


「あの事故の日、お前が見たかった海の景色だ。まあ季節は今に合わせて秋にしたけど。

七海のことしか、考えていなかった。これを描いていたとき」

あの日わたしが見たかった景色…。

「お前もさ、誰か一人に読ませたいと思って書いてもいいんじゃないのか。そいつだけに読ませる気持ちでいいんだよ」



わたしは、知らぬうちに頬が濡れていた。「だれかひとりにむけて」、口の中で何度も転がして、噛みしめて、吞み込んだ。

わたしはいつも誰に向かって書いていたんだろう。
大勢のだれかにむけて?
目の前にいない、その他大勢?


わたしは、誰のために書いていた?



わたしはその日から病室で片手のタイピングと音声入力で、原稿を書きはじめた。片手だと時間がかかりすぎてもどかしいので、リハビリも主治医が驚くくらい淡々とこなしはじめた。

音声入力は、ときに余計なわたしの「なんで、なんで」とか「書けない、くそ」とか「悔しい、くやしい」とか、その他もろもろの叫びを拾って、それがパソコン画面に打ち込まれた。字面を見て自分で笑ってしまった。

そっと、Deleteキーを押し、新たな文字を打つ。時間がかかっても。


兄は、何も言わなかった。私の大好物の鳩サブレを毎回お土産に、忙しい合間をぬって病室を訪れて「無理するなよ」と穏やかに言った。そっと、チェックのブランケットを肩にかけてくれた。





半年遅れで、わたしの小説は書店に並んだ。書店には平積みで並び、POPに書店員さんが「待望の最新刊!」と書いてくれていた。

浜辺に住む画家のアトリエから始まる物語。新感覚ミステリーだ。新しい形で書きたかった。まあ、久しぶりやからね。

お兄ちゃんに読んでほしくて、書いたんよ。



兄が手を振って近づいてきた。
今回の表紙デザイン担当者だ。「ありがと、お兄ちゃん」まっすぐに目をみて、はじめて言えた。


兄はぱらぱらと本をめくった。うん、とうなずき、がんばったね、と頭をなでる。いつまでも甘やかさんといてよ、と口をとがらせた。


兄がページをめくると、あのときの落ち葉のように、かさかさと乾いた音がした。






灯火さん、4回目の挑戦です!よろしくお願いいたします✨
テーマは秋×書く人へのエール×アート。

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ほか、短編小説はこちら。

前回の灯火杯作品はこちら。ひいろさんのメンバー賞を受賞しました。






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