さよなら薬指。プロローグ【#創作大賞2025】
百合 32歳食品会社事務。料理が得意で、子ども好き。
真由美 32歳、百合の大学時代からの友人。デザイナー。モテるが束縛しやすい。
孝明 真由美の夫、32歳。和弘とは同じ大学のサークル仲間。幼馴染の百合を和弘に紹介する。
和弘 百合の夫、33歳。孝明の取引先相手。建築会社の営業課長。
ミドリさん 和弘が通うバーのママ。2話で登場。
(これまでのあらすじ)
百合と真由美は同時期にそれぞれ離婚を考えていた。真由美は夫の孝明の不倫、百合は夫の和弘の秘密を知ってしまったから。2人は空いた薬指をながめ、それぞれに指輪を贈りあう。これまでの百合と真由美に起こったできごとは、実は2人の夫たちによる計画だった。
離婚から半年後。元夫婦は旅行に出かけた伊勢でなぜか鉢合わせする。
同じ旅館で一夜を過ごした2組の元夫婦は、ただUNOをしただけでは終わらなかった。観光を楽しんだ後、元妻たちが抱えていた秘密が明かされる。
夫婦とは何なのかーーー。
旅行から1年後再会した4人は近況を打ち明けあい、食卓を囲む。
←最終話
カランコロン。
BARカイゼルの扉が開いた。重そうな扉は意外に容易く、軽いベルが楽しそうに響く。
「いらっしゃい」
髭のマスターはおしぼりとメニュー表をを渡した。私は、本日のおすすめを聞きそれを注文した。真由美と私は、浅くスツールに腰掛け、行儀よく飲み物を待った。ナッツと一緒に、マンハッタンが運ばれてくる。店内には美しい花がいつも飾られている。マスターがいつも仕入れてくるのだ。
マンハッタンを入れたグラスも照明にあたり美しく輝く。ライウイスキーやベルモットを混ぜた、大人の女性の出会いをあらわしたカクテルですよ、とマスターが微笑んだ。
「お嬢さんたちによくお似合いです」
マスターは口もうまい。真由美はへへ、と笑った。あ、真由美さんはノンアルコールをご用意してますからね、とマスターに念を押されていた。
彼女はこの店でもお酒に弱い失態を犯していたのかもしれない。
「久しぶりね、2人とも」
奥からミドリさんが現れた。相変わらず美しい二重とまっすぐな姿勢。所作に気品があふれる。ハイヒールの音が静かに響く。艶のある唇には、女だって憧れる。深い青のドレスだった。
実は男性と聞いたとき、真由美は背の高いスツールから驚きすぎて落ちて、彼女から大笑いされていた。
「聞いたわよ」
ミドリさんには幾度となく相談してきた夫婦の話。そのとき、伊勢に行くことをすすめてくれたのもミドリさんだ。
「2人も打ち明けたんでしょ?関係を」
悪戯っぽく笑うと口紅の綺麗さが余計目を引く。
私はふと何故私たちが元夫たちに告白したことをミドリさんが知っているのか不思議に思った。
このお店、もしや元夫たちも常連…?
そんなことに気づきかけた私に、ミドリさんはふふ、と目くばせした。
「いいわよ、夫婦の形なんてそれぞれだもの。一番自分が人生を一緒に居たい人といれば」
ミドリさんは長いまつ毛を伏せたまま言う。それ、うちの元夫も言っていたわと私は言った。
喉越しのいいカクテルが私にちょうどいい苦味をくれる。真由美はシンデレラというジュースを混ぜたノンアルコールカクテルを作ってもらっていた。
しかし、シンデレラとはカクテルの名前ってとてもおしゃれだ。
今夜は介抱しなくてすみそうだ。
「わたしなんか、婚姻3回目。そろそろ結婚するのも飽きたわ」
と豪快に笑う。え、と私たちはグラスを落とし損ねた。隣の真由美が、ぶふっと吹いたのを慌てておしぼりで吹く。
「あ、あれよ。パートナーシップ制度よ。法律じゃなくて自治体で認められたのね。日本はまだ遅いから」
「私たちも調べていました」
「でもね、これはあくまでも制度の話だから。別に枠に収まらなくてもいいのよ。収まったらまあ安心材料は多いでしょうけど」
東京都でも区によってはパートナーシップ制度を導入しているところもあると聞く。実際、真由美と私は、その制度を利用を考えていたこともあったけれど、やはり法律的な結婚ではない以上税金などいろいろな面で立場が弱いと感じている。
照明が暗くてお互いの顏がはっきり見えない。
BARというのは、カウンターで向き合っているけど、マスターも、ミドリさんもこのお店の中だけでの関係で、一歩外に出れば他人だ。だからこそ打ち明けてしまえる話があるのかもしれないなと思う。
私たちはお互いの過去のパートナーたちの嫌だった点や惚れた点を語り、笑いころげた。あくまでも「女」3人の会話で、マスターはやれやれという顏で閉店の看板を表に出しに行った。
「だってね、何もかもやりっぱなしで。私のこと好きでいてくれるのはありがたいんだけど、基本的にやってほしいことと、やってくれることが違うのよ」
と真由美がぼやいた。
元夫の愚痴はいくらでも出てくるようだし、彼女が孝明の不倫で傷ついたのも事実だが、時がなんとやらともいうもので、ちゃんと吹っ切れた表情をしている。
金木犀を模したイヤリングが軽く揺れる。私が贈ったものだった。そのすっきりした表情は、もう過去の人として、孝明を愛しているからだろう。
私も、元夫の和弘とはそのあとも何回か真由美と2人で家に訪れ、2人が仲間を呼んでごはんを食べるときにケータリングとして料理を注文してもらっている。私の料理人の夢を知っているからか、友人にも声をかけてくれ、そこから口コミで徐々に副業が軌道に乗ってきた。
今はレンタルスペースやケータリングで修行し、いつか料理で腕を立てていきたいと思っている。料理が人より得意になれたのは何より「料理が得意なお母さん」を目指した結果だったが、今はひとが自分の料理を食べてくれるだけで充分だと思えるようになった。
もちろん結婚当時は、和弘の仕事の忙しさのために予定が合わないこと、本音を言わないことにももどかしさを感じ、すれ違いの生活に唇をかんだ。しかし、私だって子どもが欲しい、温かい家庭を築きたいという願望を一方的にぶつけていたことは否定できない。
もう遅い。彼のことは人として愛しているが、家庭を築くという意味ではパートナーになりきれなかった。それだけの話だ。
「終わってみると、振り返れることもあるのよね」
ミドリさんはよく見ると自分の分もお酒を入れて、グラスを揺らしていた。ジントニックだ。
3回もパートナーシップを解消したミドリさんは吹っ切れているようで、どこか寂しげな目をしていた。
「昔ね、最後に少し気になった彼がいたんだけどお店に来なくなっちゃったわね。顏がね、ドストライクだったのよ」
えー、ミドリさんどんな人が好みなんですか、と真由美が笑って、ミドリさんが肩幅とね、血管が浮き出る腕が大好きなの私!と興奮気味に語っていた。真由美と一通り盛り上がってから、ミドリさんはさりげなく私に視線を移した。
「彼には『結局はあなたの好きに生きたらいいのよ』って伝えたわ」
なぜその会話を私に向けていうのか、私はミドリさんの言葉が何故か憂いというか謝罪の気持ちを含んでいる気がして、意味を図りかねた。今更知らなくてもいい秘密を知ってしまう気がして、それ以上聞き返せなかった。
まさか、ね。
人生には知らなくていいことのほうが多いかもしれない。
「夫婦ってさ、どんなに仲良さそうでも秘密をもっているものなのよ。今回は、2人の元夫さんともね」
ミドリさんが、秘密も許してあげて、彼らにもこれから人生があるから、と言う。私が聞き返そうとすると、マスターがデザートを持ってきた。マスター、デザートも絶品なのよ、とミドリさんが何故か胸を張った。「サービスよ」
ティラミスだった。イタリア語で「私を元気づけて」という意味があるらしい。甘く濃厚な味わいが人々を元気づけてきたのだという。吸い寄せられるように一口含むと、コーヒーパウダーとマスカルポーネチーズのほろ苦さと甘さが口の中でとろけていく。
最近マスターも恋が実って結婚することになったらしい。店に飾られている花を仕入れている、近くの花屋のお嬢さんだそうだ。
「今夜の話は、これから結婚する私にふさわしくなかったですね」
とにっこりした。マスターは50歳を過ぎた新婚さんになるという。
少しばかりバツが悪くなった私と真由美を、娘をみるような目で見ていたマスターは、お2人も今とても幸せな顏をしてますよと微笑んだ。
「お嬢さま方、そろそろ閉店時間ですよ」
マスターがそっと声をかけてくれた。ミドリさんが、あらこんな時間とキッチンカウンターにある時計を振り返り、急いでやってきた。
「いつでもいらっしゃい。待ってるわ。
あなたたちの、好きに生きたらいいのよ」
(完)
全7話のお話にお付き合いいただきありがとうございました。
夫のいないわたしの夫婦のお話、これにて完結です。
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BARカイゼル、実はこちらから。
トメオさん、しっかり幸せになられてました。
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