【大阪観光】大仙古墳とユニバを巡る旅❹樋の谷水路に悠久の歴史が今も生きることを知る
※写真は歩道橋の上から見た仁徳天皇陵の水濠
再びの仁徳天皇陵
2度目の三国ヶ丘駅到着。
猫のいた古墳の角から道を逸れたので、そこまで戻ることにする。
その地点までさっきと同じ道を急足で進み始めてふと思った。
もし計画を変えたら左側を見ずに終わるので、左側に進むべきでは?

11:10に仁徳天皇陵左側の遊歩道をスタート
少し進むと、めちゃくちゃ大通りに出まして。
地図を見ると「国道310号線」らしい。
真横を国道が通っているの??
知らなかった。


今日見た古墳13
■ 大安寺山古墳(だいあんじやまこふん):円墳(日本最大級の円墳)
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後円部外側の第2堤上から、三重濠に張り出すようにある2基の古墳のなかの東側にある、径62m、高さ9.7mの日本最大級の円墳です。
古墳の名前は古くは大安寺の所有地であったことに由来し、別名「寺山」とも呼ばれていたようです。
【堺市堺区大仙町】

下の勾玉がなんか可愛い

柵越しにしか見る水と森しか見えません。
前方に歩道橋を発見したので、
景色を見るのに登ってみることに。

かなり景色良かったーー!



この水濠は、三列あるうちの1番外側。つまり見えている木々は、三列目と二列目の間の通路のもの。
ここからは到底見えない奥に前方後円墳がある。
うん。広いし大きいぞ。
この時点で15分ほど歩いているけど、まだ左側の半分も行っていない。
この側面があと20分くらい続くわけで。
ひたすらただただ大きい。
1600年も前の重機などもない時代に,人の力だけで平地にこんな巨大な山と水濠を(しかも三本も!)作ったことに改めて驚く。

樋の谷水路?
こちら側にちょいちょいこのような建造物が見えていた。
これは何かな?

「周濠の水位を維持・調整するための排水設備や護岸の一部と考えられます」
とのこと。
なんか、それっぽい!
そして少し進むと地図にこんな文字が。


まるで小さな溜池のよう。
一体なに??
「樋の谷水路」で検索したら以下の説明を見つけた。
世界最大の前方後円墳で、三つの周濠を持つ。この外濠の西側、陪塚のひとつ・樋の谷古墳のところから溢水が落とされている。
外濠自身にも落差があり、轟々と水が落ちている。
これは、お濠の水面維持と、流れ込み先の土居川の浄化用水として工業用水が導かれているもので、豊かな水景が演出されている。
ざっくりまとめると、
「樋の谷水路とは、仁徳天皇陵の外濠(水濠)の水を、陪塚のひとつ・樋の谷古墳のあたりから、外へ流れ落ちるように設計されているよ。
水濠の水位を管理するためにわざとに水濠の水を外に出してるわけで。
それを工業用水なんかにしているよ」
とのこと。
え?
ちょっと待って!!
天皇陵の水を「工業用水」にしているの?
ええええええ???
悠久の時を繋ぐ水路に想いを馳せる
えっと、それはつまり天皇陵の水をどこぞの工場に使っているってこと?
それっていいの?と思いまして。
どこの工場だよ!と調べてみまして。
で、私の想像とは違っていたことがわかりました(笑)
ここで言う「工業用水」とは、工場で物を作るための水ではなく、「都市が管理している、環境維持のための水」のことだった。
勝手に工場で何か製造するために水を使っていると勘違いした。
私のおばかさん!
そもそもそれも「工業用水」って呼ぶのね(苦笑)
この仁徳天皇陵は規模が大きいため、「水濠の水が動かない」と水質が悪くなりやすい。
運河にヘドロが溜まって臭くなるのと同じかと(今のようになる40年ほど前の小樽運河は超臭かった)
そのためわざわざ綺麗な水を補給し、あえて外へと流れをつくることで、濠の水位と水質を保っているのだという。

なーるほどーーー!!
さらにその水はここ「樋の谷水路」から、周辺の川へ流れ、川の浄化にも使われている。
つまり、天皇陵の水を「どこぞの工場で使っている」のではなく、水を循環させ、守っているということだった。
まじすか!!
1600年近く前の陵墓が現代の人の手で今も丁寧に管理され、町の環境保全に役立っていると知り、ちょっと泣きそう。
この水路が悠久の過去と現在を繋いでいる、その歴史の深さと地元での根付き方というか。
かなり感動している。
歩いていなければ発見できなかった!
感動っす!
優しい気で溢れる遊歩道
水路があるので住宅地を少し迂回します。


この看板を過ぎたあたりからの遊歩道がすごくやわらかで気持ちが良かった。
古墳的には左脇腹あたり?
(だから、古墳をてるてる坊主的な擬人化するのはやめなさい。しかも前方後円墳だから、円は「頭」ではなく下だってば)

夫である仁徳天皇を慕う歌を中心に、大阪府堺市の「仁徳天皇陵西側遊歩道」に複数建立されていて、嫉妬深さと切ない愛を伝える名歌が刻まれています。
仁徳天皇は素晴らしい方だったようですが、皇后の嫉妬に悩んでた逸話が出ており。
まあ、何人も奥様がいるのだから、色々お察しします(苦笑)

銅亀山古墳
■ 銅亀山古墳(どうがめやまこふん):方墳
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の西南にあり、高さ5.4mの方墳で周濠の有無は不明です。古くは堂亀山とも記されていたようです。墳丘は高く、2段築成がよく残るなど残存度は良好で、下段は南側が造り出し状に張り出し長方形を呈しています。
【堺市堺区大仙町】
いよいよ角を曲がってラストです
古墳の角に着いたのが11:35。
11:10リスタートなのでここまで25分。

残るは下の直線のみ。


松の木がかなり高級な印象です。

天気もいいし気持ちいいーー
歩きながら考えた。
12時に三国ヶ丘駅に着きたい。
ぎり少し過ぎるけど間に合いそう。
そう思いながらラストの直線を歩きつつ、ふと大仙公園側を見ると、カフェの看板が目に入る。

あれ?古墳バーガーってここだっけ?
とはいえ、そのカフェはビジターセンターのそばってだけで名前覚えていない。
やばい!通り過ぎちゃうと、気がつくと私は目の前の大仙公園へと突き進んでいたのだった。
続く
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