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【東京の神社】浅草七福神巡り❹橋場の渡しがあった場所に古くからある寺社~橋場不動尊(布袋尊)

橋場不動尊(布袋尊)

今戸神社から徒歩15分で橋場不動尊着。
まあまあ歩きました。

なんの変哲もない舗道を黙々と歩いていると、見落としてしまいそうなほど控えめな看板が立っています。
道路から奥まった場所にあるため「お寺感」は薄く、うっかりするとそのまま通り過ぎてしまいそうでした。

天平宝字四年、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で、一刀三礼して刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏としてあがめられています。

歴史・由来・教義|橋場寺不動院

創建された「天平宝字4年」とは西暦760年のこと。平安時代ですね。

ちなみにこの年にあった出来事は
恵美押勝(藤原仲麻呂)を太師(太政大臣)に任ずる。
だそうです(歴史に興味ない人は誰の何??ですよね笑)

ご由緒にも「奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が」とあるように、東大寺に10年かけて造った大仏ができたのが752年なので、その少しあとに創建されました。
つまり、あの頃からここにあるのです。
当時の中心地だった京都や奈良から遠く離れた場所でこの古さは、とても歴史を感じます。

橋場不動尊が別当寺だった玉姫稲荷神社

江戸時代は玉姫稲荷神社の別当寺であった。

不動院 (台東区橋場) - Wikipedia

「別当寺」が初耳の方のために。
江戸時代以前は、お寺が神社を管理していることがあり(神仏習合)、神様と仏様を分けていなかった(大国主は大黒様と同一などと表示したなど)。
当時、多くの神社はお寺の中にあり、僧侶が神前読経など神社の祭祀行事を取り仕切っていて、その中心になる僧侶を「別当」と呼んだことから、そのお寺を「別当寺」という。
神宮寺、神護寺、宮寺なども同義。
(wikiをわかりやすくまとめてみた)

明治政府による「神仏分離」政策から、お寺か神社かどちらかにせい!と言われて、泣く泣くお寺の要素、または神社の要素を取り壊した。
たくさんの貴重な建造物や仏像などが失われた(いつかじっくり書きます)

そうなる前の時代にこちら橋場不動尊の管轄だったのが「玉姫稲荷神社」

割と近いので行ってきました↓

ここからはこの距離ですが、
実際は地図の上にある石浜神社のあとに、行きました。

760年(天平宝字4年)に創建された。
また新田義貞が北条高時を追討すべく、鎌倉に進撃(鎌倉の戦い)する際に、当社で戦勝祈願したという故事もあり、かなり歴史ある神社であると推測される。

玉姫稲荷神社 - Wikipedia
御祭神:宇迦之御魂命
玉姫稲荷神社の境内社【口入(くちいれ)稲荷神社】
江戸時代に吉原遊廓にあった高田屋という口入れ屋によって建立され、
良い仕事や縁談を紹介するための人気があります。
(wikiより)
末社がまたまた豪華です。

今は古くて寂しい感じもしますが、遊郭のそばにあり、江戸時代などはかなりにぎわっていたと思われます。

橋場不動尊の由緒

江戸時代には橋場寺として、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集め、現在の本堂は江戸時代の建立で、小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。
明治末年の大火や関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっています。

歴史・由来・教義|橋場寺不動院

私が訪れた日は誰もおらずひっそりしていましたが、公式サイトの写真を見ると地元でとても愛されている寺院のようです。

肝心の布袋様も創建以来のかなり古いもののようです。

橋場不動尊の布袋様は、天平宝字4年(760年)に寂昇上人によって開創された不動院に祀られています。

歴史・由来・教義|橋場寺不動院

気になったので橋場の由来を調べる

橋場は『義経記』『源平盛衰記』に浮き橋を架けたと記載があり、それが地名の由来とされる。
1913年(大正2年)まで隅田川には、最も古い渡しとして橋場の渡し(現在の橋場2丁目から墨田区堤通を結ぶ)があった。

橋場 - Wikipedia

浮き橋とは、「水上にいかだや多くの舟を浮かべ、その上に板を渡した橋。舟橋ともいう」(コトバンクより)

そして「橋場の渡し」があった、と。
渡しとは、橋がない時代の川を渡る手段。

江戸時代には、旅人が人足に肩車をしてもらったり、輩台に乗って担がれて渡るか(徒歩渡し)、渡し船を利用する(船渡し)方法で渡っていました。
橋のない川はどうやって渡っていたのですか?
より

それがあった場所だから橋場と呼んだのが由来のようですね。

現在の白鬚橋付近にあった。
歴史的に位置や名称に変遷があったが、記録に残る隅田川の渡しとしては最も古い。律令時代の承和2年(835年)の太政官符に「住田の渡し」と書かれたものが残っている。
奥州、総州への古道があり、伊勢物語で主人公が渡ったのもこの渡しとされている。また、源頼朝が挙兵してこの地に入る際に、歴史上隅田川に最初に架橋した「船橋」もこの場所とされ、「橋場」という名が残ったとも伝えられている。

地図で見る隅田川の渡し - 橋場の渡し【みんなの知識 ちょっと便利帳】

橋場不動尊ではお寺の由来はあまり見つけられませんでしたが、代わりに周囲の成り立ちがとても気になりました(*^_^*)



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