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【東京の神社】浅草七福神巡り❺~江戸で一番古い富士塚とお城があったとされる石浜神社

石浜神社(寿老神)で長寿そばを食べよう

橋場不動尊から徒歩5分で石浜神社到着。
思ったより近かった。
スカイツリーすぐ近くに見えてちょっと嬉しい。

幹線道路を渡った先に石浜神社がある。

桜がきれい

朝からなにも食べていないのでまあまあ空腹。
実は密かに、ここにあるカフェで長寿そばを食べたいと思っていた。
やっとおいしいものを食べられるとちょっと小走りに(笑)

ガラガラガラ(戸を開ける)
「あ、もういいですか?(ちょうど11時!)」
「すみません、11時30分から開店なんです」

そう、・・・なんですね(涙)

色々予定が詰まっていて、30分も待てない私(涙涙涙)
いつかリベンジするからあああ。

ずっとこれをあまたに思い描いて歩いて来たのに(号泣)

石浜神社と浅草の歴史の深さよ

とりあえずお参りしよう。

なぜか勝手に修験者みを感じる

神亀元年(724)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1297年の歴史を持っています。
文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。

ご由緒 | 石浜神社

かなり由緒のある場所で、さすがは綺麗な空気。
富士遥拝所があり、そこから流れるパワーは圧巻。

こちらもかなり歴史がある。
浅草は江戸の中で最も古い歴史を持つ土地だと、こうして巡ってみて改めて納得する。

■浅草は古代から隅田川の河口近くに位置し、古代から海の恵みを享受してきました。
■浅草は古代より浅草湊として知られ、武蔵国内部へと続く重要な港でした。
■浅草の歴史の中でも特に注目すべき出来事は、628年に起こった浅草寺の創建伝説です。
■石浜(現在の台東区橋場)や今津(現在の台東区今戸町)に位置し、武蔵国と下総国を結ぶ官道も通るなど、交通の要所としても機能していました。

浅草の歴史と見どころと豆知識 | アマテラス メディア

浅草神社(浅草寺)、橋場、今戸と、見て来た地名ばかり。
たんなるご利益の目的で選ばれているというより、歴史の深さを知ってもらうために繋がれた輪になっている。

石浜城の存在

■特に、浅草から石浜にかけては石浜城が築かれ、この地域の防衛に一役買っていました。

浅草の歴史と見どころと豆知識 | アマテラス メディア

どうやらこのあたりにお城があったらしい。

石浜城は千葉氏の居城として知られています。
もともとは江戸氏一族である石浜氏の居館があった場所でしたが、足利成氏や馬加康胤らに攻められ、亥鼻城 (千葉城)を追われることになった千葉実胤が入城して本拠としました。
城址の位置には諸説ありますが、有力な推定地とされる石浜神社の入口に案内板が建てられています。

石浜城の見所と写真・200人城主の評価(東京都荒川区) - 攻城団
室町時代中頃武蔵千葉氏の居城で
千葉実胤(北条氏繁三男)を最後に
後北条氏(逃げ上手な若様の子孫とされる)が滅亡し廃墟に、とある
道路を挟んで城址公園が

つわものどもがゆめのあと・・・
ほんとうの場所は確定してい内容だけれど、やっぱりここにあったのかな。
とはいえ、湿地帯で小高い場所がなかったはずだから、平地にお城が立っていたのだろうか。
室町時代の浅草のことが知りたくなったが、それはまたいつかどこかで。

富士講(富士塚)について

石浜神社には「富士塚」がある。
私は最初、この違いがわからず混同していたので簡単に説明すると、

富士山に登拝することを目的とした神仏習合(神道に修験道、仏教が融合)の富士講。
江戸中期以降、江戸八百八講といわれるほど隆盛し、その結果、富士山を登拝する代用にと地元に築かれたのが富士塚(ミニ富士山)。

富士講のシンボル富士塚 国の重要文化財に指定は 5基 | ニッポン旅マガジン

富士山を登ることでご利益を得られるとする教えを信仰する人たち(富士講)がいて、その信仰の実践の場として富士塚が築かれた、という関係。
つまり富士講とは組織であり人のことで、富士塚は(人工的に作った)山のこと。

そもそもどうしてこの場所に富士塚を建てたのだろうと調べたら、もとは富士山がよく見える場所にあったらしく(だから遥拝場があった)。
移転されて今の場所にあるため、いまいち富士山とのつながりがピンとこなかったのだと納得。

奉納石は、自然石の富士山形の石を用いているとか。
当時の交通網(徒歩と馬と船)で富士山から溶岩を運んできたのかと思うと頭が下がる。

ちなみにおそらく江戸で一番古い富士塚だったらしい。

​富士遙拝所
宝暦8年(1758)の建立。
当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。
(公式サイト)
白狐神
江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、
この祠にちなむものです。
(公式サイト)
招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)
ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。
(公式サイト)

富士塚(富士講)は都内だけで70箇所以上あるらしい。
そのうち登れるものはわずか。
実は東海道を歩いて巡る企画をひとりで実践しているのだけれど(笑)
その時に寄り道した品川神社にもあった。↓

下から眺めた富士塚
(品川神社)
こちらが登山道
(品川神社)
頂上から眺める
(品川神社)

富士塚として記録に残っている神社ではないが、やはり東海道で寄り道した鮫洲八幡神社さんでもそれっぽいものを見かけており。

鮫洲八幡神社
鮫洲八幡神社の富士塚っぽい石碑

記録を探しましたが、鮫洲八幡神社のは富士塚として認定されていないのか、記載は見つけられず。
でもね、背の高さほどしかありませんでしたが、何かしら富士講に関わる場所だったのかな、と。
これからは富士塚っぽいものをしっかり確認しながら巡ろう(笑)
旅のテーマは尽きない。


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