【東京の神社】浅草七福神巡り❻遊女たちの心を癒した女神たち〜吉原神社
吉原という場所に眠る思い
石浜神社より徒歩25分くらいで吉原神社(弁財天)に到着。

2025年の大河ドラマ「べらぼう」は吉原が舞台。
ほかには「鬼滅の刃」でも題材として扱っていたため、あまり歴史に興味のない方々にも知られるようになった。
ただ、アニメなどでは花魁の「華やかさ」や「特殊な言い回し」などが目立つ扱いのためか、そこにある悲惨さはあまり知られていないようで。
だから、七五三で花魁の衣装を着せるのが流行ってしまうのかと。
平均寿命が22歳だったとされる彼女たちの、過酷で壮絶な短い人生のことを思うと、胸が詰まってしまう。
5歳や6歳で親に売られた東北などの貧しい農家の子どもたちや、お家とりつぶしにあった誇り高く育てられた武家の娘などが多くそこにいた。
彼女たちは自分に関わりのない多額の借金を背負わされる。
当時(江戸時代)もすでに人身売買は禁止されていたから、あくまでも「給与の先払い」として大金を親に支払っており、それが彼女らの借金となるのだ。
多額の借金はいつまでたっても減ることはなく、衣装代などでさらに借金がかさみ終わりが見えない。
(簡単に彼女たちを手放さないよう、悪い方によく考えられたシステムなのだ)
年に休みは正月1日とお盆のたった2日だけ。
10年以上も、外出さえゆるされず遊郭という狭い世界で毎日毎日「お仕事」をする。
その多くが、幼い頃にここに連れてこられ、外を知らないまま病気になり若く死んでいく。
身請けされて裕福な暮らしができた遊女は、ごく僅かなのだ。
過酷な環境で病気になるとろくな治療も施されずただ死を待つのみ。
最後は引き受けてくれるお寺に掘ってある遊女専用の大きな穴に投げ込まれておしまい。
そんな簡単な説明を書いていているだけで胸が苦しくなってしまう。
だからそれらを知らずに、その華やかさだけで興味を持ちコスプレをしたり幼い娘に扮装させて写真を撮ることに暗澹たる思いがよぎる。

吉原神社(弁財天)
吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の合計6つの神社(神さま)がおまつりされており、それぞれ以下の御神徳をお授けくださいます。なお吉原弁財天は吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所におまつりされています。
浅草神社を出てから、ずっと曇り空ながら雨は降っていなかったのに、ここ吉原神社に入る手前から小雨が降り始めた。
まるで浄化の雨みたいだった。


地中の神様で神社の土地をお守りしている。
必ず福が得られると古くより伝えられている。


吉原の賑わいの風景が懐かしく思われますが今は歴史の中です。

そちらもお参りに行きました。
境外末社・吉原弁財天
少し歩くとすぐに見つかる。


気持ちがスーッと落ちるほど悲しい。
そして雨が降って来た。

傘をさしながら見上げる。
大正15年の関東大震災において境内に避難してきた多くの人々は火災の渦に巻き込まれて焼死、また境内弁天池に飛び込んだ方々も溺死しておよそ500人の尊い命が奪われました。
その慰霊のために大正15年6月に建立されたのが吉原観音像(大震火災殃死者追悼記念碑)で、今日でも日々慰霊の祈りが捧げられており、毎年9月1日には慰霊祭が執り行われます。
なるほど、雨が降るはず。
雨がどれほど救いになるのかと考えたら泣きそうになる。

砂州が芸術の女神。

これも富士塚??

そもそもなぜ遊郭に稲荷が祀られていたのか
稲荷社といえばウカノミタマノカミ。
素戔嗚尊の御子神で、男性であるとも女性であるとも諸説ある。
稲荷信仰が遊郭で受け入れられていたのは、商売繁盛に直結するご利益の部分が大きいと思う。
そして同時に、遊女の心の支えだったのだから、男性神であるより、遊女の救いの神は女神であってほしいと思っている。
稲荷は「収穫の神」であり、トヨウケ(こちらは女神)ともイメージが被る。
食べ物は、生きることの根源。
生きることを支える力である稲荷神は、自然と母性的なイメージを帯びる。
遊郭のそばで稲荷神と同時に祀られることが多い弁財天もまた女神。
ことらは母性というより、芸術性が際立つ。
美しさと芸に関する才能は、吉原で生きていくのに重要だった。
だから弁財天も重要な神となる。
稲荷が命であり母性、弁財天が美しさであり女性性。
どちらも必要不可欠だから、弁財天が祀られる吉原神社も飛び地の末社も、参拝の時は一緒に巡るべきかと。
ここは、ふたつでひとつなのだ。
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