【東京の神社】浅草七福神巡り❼酉の市で有名なのになぜ寿老人?~鷲神社
酉の市で有名な鷲神社(寿老人)
わずか徒歩3分で鷲神社到着。

江戸時代から続く11月の酉の日に開かれる例大祭「酉の市」は、現在も日本最大の酉の市として有名とのこと。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社」、また「御鳥」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。
十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。

結局創建はいつなのだろう?(不明である)
言い伝えによれば、古来この地に天日鷲神が祀られており、その神社に日本武尊が東征の折に戦勝を祈願したとされるが、実際は隣接する長国寺に祀られていた鷲宮に始まるという。
江戸時代中期から酉の市で知られ、東京都足立区花畑7丁目の大鷲神社の「おおとり」に対し、鷲神社は「しんとり」と称された。
明治初年の神仏分離に伴い、長国寺から独立し鷲神社となった。
創建は不明とあり、「古来この地に天日鷲神が祀られており、その神社に日本武尊が東征の折に戦勝を祈願したとされるが、実際は隣接する長国寺に祀られていた鷲宮に始まるという」
とあるので長国寺を調べてみる。
寛永七年(1630年)に石田三成の遺子といわれる、 大本山-長國山鷲山寺第13世・日乾上人によって、鳥越町に 開山されました。
寛文九年(1669年)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより、新吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転し、江戸時代から続く代表的な年中行事である、浅草酉の市の発祥の寺として、今日に至っています。
三成殿(脳内:山本耕史)のご子息様が関わっておられる。
宿敵家康が君臨する江戸の地で、がんばった(涙)
と思い調べたら、三成の遺児であると表記しているのはここの由緒だけ。
なので、ちょっと寄り道だけど、三成の遺児たちのその後を調べてみた。
なぜか石田三成登場
長男重家:(諸説ある)
1、重家は妙心寺に助けを求め出家。助命嘆願によって家康に許され、100歳前後まで生きた。
2、妙心寺で出家し、家康に許されたが、晩年に還俗して岸和田藩主の岡部宣勝の庇護を受けて生活した。
3、妙心寺ではなく高野山に逃亡したが、殺害された。
次男重成:
小姓仲間であった津軽信建と共に大坂城を脱出。信建とともに津軽に逃げ、津軽家で保護された。
「杉山源吾」と名を改め、津軽家の深味村で身を潜めながら暮らした。
重成の子、吉成の子孫は代々杉山家として弘前藩の重臣として仕え続けた。
三男佐吉:
佐和山城にいたが、石田家に仕えていた津田清幽の助けで脱出し、その後、清幽の働きかけにより、家康の元に出頭。
家康は佐吉を許し、高野山の僧侶・木喰応其のもとで出家させる。
「深長坊清幽」という法名で、甲斐国の薬王寺の16世住職として勤めた。
長女辰姫:
津軽為信の三男で弘前藩第2代藩主・信枚の正室として迎えられたが、家康が自身の養女を信枚の妻とするように求めてきたため、側室に格下げされる。
平蔵という息子がいた。石田三成の孫にあたる平蔵が、津軽信義となり、信枚亡き後の津軽家を継いだ。
長男、三男は仏門に、次男と長女は津軽で保護され、その後それぞれ津軽で子孫を残していると知り、ほっとする。
山本耕史が演じた人物をみんな好きになるから、ある意味大河ドラマは私の中の歴史を改ざんしているのかもしれない(笑)
こうしてみると、長男が長国寺を創建したのだろうか。
とりあえず長国寺は戦国時代のあと1630年に創建されたので、鷲神社はその後ということになる。
ヤマトタケルが立ち寄っているからそもそもこの地にあったなにかしらの神社の歴史は古いのだろうけれど、名前が違ったのかな。
ヤマトタケル(白鳥)だから、鷲に変わった説とかないのかな?

なぜ寿老人が鷲神社?
改めて考えると、吉原神社に弁財天なのは、首が折れそうになるくらいうなづける。
漁師が由来の浅草神社が恵比寿様なのも同様。
でも、酉の市がある鷲神社なら、そこは大黒様とかじゃない?
もともとそこに「七福神のなにかしらの像」があったからそうなったとはわかるのだけれど。
でもなぜ商売繁盛で有名な神社に寿老人?と強く疑問に思ってしまった。
なのでAIに聞いてみた。
鷲神社は、
日本武尊信仰と天日鷲命系の系譜を持つ古い社。
酉の市が爆発的に広まったのは江戸中期以降。
つまり
もともと長寿・守護・武運的な神格
後から商売繁盛イベントが巨大化
という順番の可能性が高い。
七福神は江戸後期の企画巡礼なので、
神社の古い性格に合わせた割り当てが優先されたのかもしれません。
なるほど、酉の市のワードにひっぱられると大黒様じゃね?となるが、もともとは天日鷲命を祀っていたわけで。
天照大御神が天の岩戸におかくれになり、天宇受売命が岩戸の前で舞を舞われたとき、楽器の弦を奏でられました。
命の父神、天手力男命が岩戸をお開きになりますと、その弦の先に鷲がどこからともなく飛んできてとまりました。その様子を固唾をのんで見守っていた八百万の神々は、その光景を、世の中を明るくする瑞祥だとして、鷲の一字を入れて「天日鷲命」と称しました。
確かにこれだと、商売繁盛!となるより、長寿、あまねくしあわせに・・・となるかな。
変なこだわりを見せてしまったが、納得できる答えがあってよかった(笑)
AIに納得させられるとは!(笑)
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