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【東京の神社】浅草七福神巡❽武士の修行の一端が見えてくる矢先稲荷神社


矢先稲荷神社(福禄寿)の由来通し矢について

鷲神社から徒歩18分。まあまあ時間かかったし、迷いそうになりました。

寛永19年(1642年)に創建された。江戸幕府第3代将軍徳川家光は京都の三十三間堂に倣って、江戸版ともいえる「浅草三十三間堂」を創建した。
その守護神を祀ったのが当社の起源である。通し矢の的の向こう側にあったことから名付けられた。

矢先稲荷神社 - Wikipedia

京都の三十三間堂を見本にしたものを浅草に作っていたのか!
そして通し矢の的の向こうにあったことが矢先稲荷神社の由来とあるけれど、「通し矢」ってそもそも何?

ということで調べてみた。
まずは江戸版「浅草三十三間堂」について。

江戸三十三間堂は、寛永19年(1642)に京都の三十三間堂を模して浅草に建立され、元禄14年(1701)に深川に移されました。
京都の三十三間堂は通し矢の舞台として有名ですが、江戸三十三間堂においても、江戸時代には諸士の弓術稽古のために通し矢が行われていました。
江戸三十三間堂は、明治5年(1872)に解体されました。

観光情報 | 江東おでかけ情報局

1642年(江戸時代)に京都の三十三間堂を模して建立したが、1872年(明治)に解体したのだから、今はもうないのね。
江戸時代にあったその浅草三十三間堂では、京都と同じく「弓術稽古のために通し矢を行っていた」と。

通し矢とは、三十三間堂の軒下にある長廊下を射通す行事のことです。

三十三間堂の通し矢の魅力|伝統行事に込められた一矢入魂の精神 - 弓道スタイル | 初心者から上達まで

わかりやす!!
こちらのサイトの写真を見たら一目瞭然。
そして京都と江戸の長さの記述まで!

京都蓮華王院 全長:121.7m、高さ:4.5-5.3m、幅:2.36m
江戸三十三間堂 全長:122.0m、高さ:5.0-5.6m、幅:2.69m

今でも成人の日の行事として行われているようなので、気になる方は動画で探してみて。見たけれど、とても清々しかった。

その通し矢の際に、的が置かれる場所が決まっていて、その的の方角にこちらの神社があったため、矢の先が向く場所の神社で、矢先稲荷神社となった。
とても納得(*^^*)

宇迦之御魂神が男性神か女性神か問題

冷静に考えてみた。
矢の先、つまり的の先にある神社。
それって攻撃しているってことにならないの?
いやでも、そんなはずはないよね?

たぶんだけれど、矢の先にご利益を与えて下さる稲荷神社がある。そこに向かって射ることは、攻撃ではなく、力を得るためなのだ。
もちろん神社を的にしているわけではないし、たまたまその方向にあったのだから、何かしらご縁を感じるということなのだろう。

そしてふと思う。
その先にいるのが女神だとしたら、気持ち的に矢を向けられなくない?と。

私は稲荷社の祭神である宇迦之御魂神は、吉原のような遊郭に祀られていて、遊女たちを慰めていた存在だから、女神だと思っているけれど。
矢の先に置かれた稲荷社に女神がいると、矢の先を向けるのは武士道に反する気がする(勝手な憶測)
そもそも女神だの男神だのこだわるのは私の悪い癖で、「シンプルに神様!」で終わっていいことだし。
当時の武士かしらたら、的に当てればその先のある神様のご利益も得られそうである!で十分なのだろうけど。

100枚の馬の天井画

矢先稲荷神社は神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の天井画が有名とのことで。
「どうぞお社の中に入って眺めてください」と言われ、見学することに。

拝殿の格天井には、神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。
人物、馬の姿態、武具、服装などすべてが精密な考証のもとに描き上げられていて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できる貴重なものであります。

矢先稲荷神社

本殿内はいくつか撮影禁止の場所がありますが、天井画は撮影オッケーとのこと。ありがたい。

壁にあるように見えますが、これ天井一面にあります。
神武天皇かしら。
全部で100頭もの馬の絵が!

すべての馬の背に乗っている人物の一覧表があったらしいのですが、本殿の中で粗相があってはなぬと大人しく天井だけ見て出てきてしまったので気が付かず。残念。

それほど広くないけれど、江戸時代の佇まいを感じられるよき神社でした。
次は最後の浅草寺です。
(七福神といいながら9か所あるのですよ)

次の浅草寺へ

浅草七福神巡りレポート目次



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