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夏至の京都奈良琵琶湖を巡る旅【2024-6】⓬東の果てに眠る始皇帝と猫と蛇

大酒神社も不思議がいっぱい

10:30に大酒神社到着

大酒神社の祭神は秦の始皇帝、弓月王、秦酒公

祀られている存在を改めて解説すると、
秦氏の祖先といわれる、秦の始皇帝(ざっくりいえば吉沢亮)
日本に来た渡来人秦氏(かなり集団)のリーダー弓月王(君)
のちの時代の秦氏のリーダーだった秦酒公。

秦(ハタ)氏はその名の通り機織物(ハタオリモノ)を日本に伝えた存在。

彼らが時の天皇に奉納した絹織物が、この地にうずたかく積み上げられていたところから、この地を「ウズマサ」と呼ばれるようになった。
そのウズマサの地名の元になった人が秦酒公。
ちなみにウズマサに「太い秦」と字を当てたのは諸説あるけれど、秦氏のリーダー(太い)の土地であるから。
始皇帝まで祀られているのに神社は小さくて、あまり知られていないのが不思議。

石碑には
「蠶(蚕)養機織管絃楽舞之祖神」
秦明神 呉織神/漢織神

石碑の言葉も謎ですね。
呉織神と漢織神はわかるのですが。

【呉織神と漢織神】
応神天皇37年(306年)に呉(くれ)から呉織(クレハトリ)・漢織(アヤハトリ)の2の織姫がこの地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝説

クレハトリ・アヤハトリ伝承 - Wikipedia

「蠶(蚕)養機織管絃楽舞之祖神」とは誰?

蚕養→秦氏が伝えた(あっている)
機織→秦氏が伝えた(あっている)
管絃楽舞つまり管弦楽と舞→秦氏が伝えた?
ということかな?
色々調べてみよう~
現地の石碑や看板は情報の宝庫なのです(*^_^*)

今回もYちゃんのみでお参りに行ってもらい、私は道路を挟んで向かいコンビニで待っていました(道路に立っていたら怪しいかな、と)

社も小さいよね。

大酒神社 - Wikipedia

広隆寺~!!

秦氏が、聖徳太子から下賜された仏像(弥勒菩薩像)を祀るために建立された京都最古のお寺です(*^_^*)
もともと蜂岡寺とも呼ばれていて、もはや秦氏のお寺なのですよ(*^_^*)

もう素敵
この面構え(つら?)
広い。そして静かでよき。
見て!
安倍晴明の護符(ドーマンセーマンのセーマン)で有名のあの五芒星
なぜ五芒星があるのでしょうね(*^_^*)
これ、何かに似ていませんか?
さんはい、モーゼの?
「十戒」

いい言葉だったので、写真を見て書き写しました(*^_^*)

【十善戒】
不殺生 生きものを殺しません
不ちゅう盗 ものを盗みません
不邪淫 みだらな男女の関係をしません
不妄語 うそいつわりを言いません
不慳貪 たわごとを言いません
不両舌 人の悪口を言いません
不綺語 二枚舌を使いません
不瞋恚 ものをおしみ貪りません
不悪口 いかり憎むことをしません
不邪見 間違った考え方をしません

ちなみに
【モーゼの十戒】
1 殺人をしてはいけない
2 盗んではいけない
3 姦淫をしてはいけない
4 偽証してはいけない
5 隣人の家をむさぼってはいけない
6 ヤハウェが唯一の神である
7 神の名を徒らに取り上げてはならない
8 安息日を守る
9 父母を敬う
10 偶像を作ってはならない(偶像崇拝の禁止)

順番まで似ていますよね~

広隆寺は秦河勝が建てた寺。
彼らはもともとユダヤだったとか色々な説がありまして。
秦氏が建てた蚕ノ社の由緒にはっきりと、「ここは景教(ネトリウス派キリスト教)が渡来し、秦氏と関連があったことの名残をとどめる遺跡」と書いてあります。
つまり秦さんはキリスト教徒。

当時の日本は仏教を推していて、キリスト教を排除していた時代。
そんな日本にバリバリキリスト教徒だった秦氏が仏教の施設を建てる。
なるほど。

真相はわかりません。
でも私が秦氏だったら、「教え」を人々に伝えることの方が大切であり、それが仏教でもキリスト教でもどちらでもいいと考えたのかな?とか。
あとは、モロにキリスト教っぽくすると排除されるので、ほんのり仏教にあわせてキリスト風味を減らしてキリスト教を密かに広めようとしたのかも。

国宝の「弥勒菩薩半跏思惟像」は聖母マリア的だと言われているし。
真相は秦氏だけが知っているのでしょうね。

そんな「弥勒菩薩半跏思惟像」に20年ぶり、修学旅行時とあわせて、人生3度目の対面です↓

霊宝殿
外に出て改めて美しい花を見る。
ずっと心が洗われっぱなし。
弥勒菩薩様、美しかった。

お昼はニャンコとともに

小腹もすいたので、この近くで何か食べることに。
ふたりであれこれ検索するもそれっぽいお店は見つからず。
太秦で時代劇撮影中の皆様がご飯食べるお店とかがいっぱいあると勝手に思っていたので、困ったっす。

Yちゃん「町カフェリコさんか、中華屋さんのどちらがいいっすか」
わたし「町カフェ(即答)」

地図アプリを見ながら太秦界隈をテクテク歩いて行くと、リコさん発見。

着いてみると、猫ちゃんのカフェだと書かれています。
いやいや、猫大好きだけど?
生まれ変わったら猫になって、猫道を散歩したい人ですよ?

楽器もあって、演奏会も開かれる様子。

早速座って注文をするも、猫ちゃんは見当たらず。
肝心の猫ちゃんはどこっすか?と聞くと、
「保護猫で来たばかりだから、あまり慣れていないの。あの小屋の中にいるわ」
指さす方を見ると、たしかにそれっぽい小屋が。

いたーー!!

どうやら演奏会などもあるらしい店の奥のギターのさらに奥に、猫ちゃん発見!
だがしかし、ほんとうに人に慣れていない様子で、いつそちらを見ても、ただただこちらを、じーーーーっと見ているだけという。

でもかわいいいいいい(猫大好き)

豚しょうが焼きあんどハンバーグランチうまかったっす。

特にハンバーグ最高っす

ちなみに店名になっている「リコ」は初代ネコちゃんのお名前だそうです。

住宅街の蛇塚古墳

12:20 お店出発。次は、蛇塚古墳です(おどろおどろしー名前)
住宅街をひた歩き、20分ほどで到着。

ここは施錠してあり、見学の許可が必要なのです。
なのであらかじめ京都市教育委員会に連絡をして許可をもらっています。

まるで古墳を守るかのように円を描くように古墳を囲んた住宅で暮らしているこのあたりの方。
そのうちの数件が鍵を保管してくださっていて。
さっそくその方のお宅を訪ねて鍵を受け取りました。

京都最大級の前方後円墳だったのですが、今は円墳のみ残りあとはすべて住宅地に。
全てのお家が古墳に向いているため,本当に全員が古墳をじっと見守っている(または見張っている?)ように見える。

あまりにお家に近くて目が回りそう。
鍵を開けます~(Yちゃんに開けてもらっている笑)
鉄筋の柱で支えている。
よく考えたら崩れるかもしれないから怖いよね。
奈良の石舞台と同じでかぶせてあった土や草を剥ぎ取られ、
岩がむき出しになっている。

同じようにむき出しの古墳である石舞台は蘇我馬子のもの。
同じ蘇我系、または出雲系と言われるこちらは秦河勝。
どちらも聖徳太子に近い存在。

ちなみに馬子は聖徳太子の祖父の息子、つまり大叔父。
しかも太子は馬子の娘の婿、つまり舅と婿の関係。
めっちゃ近い。
河勝は聖徳太子のパトロン的存在で、広隆寺を作った人。
こちらはもう右腕っぽい存在。
めっちゃ近い。
それぞれが、その土地を耕し、飛鳥を作り、京都を作ったとされる人たち。

それがなぜ二人ともの古墳の土をはがされているのか。
そもそも聖徳太子ってどんな存在だったのか。

色々知りたくなってしまう。そんなことを感じる蛇塚古墳。

広隆寺には太子の像があり、まるで「聖徳太子」の祟りを恐れるかのような儀式がはるか昔から今に至るまで続いている。
(理由はわからないが、謎の儀式なの)
その儀式はあの二人の人物の子孫が関わっているわけで。
ヒント→大化の改新(乙巳の変)

もしその儀式が太子の祟りを恐れているなら、なぜ太子一族を滅亡されたとされる「蘇我氏」ではない、乙巳の変で活躍したあの二つの一族が、太子の祟りを恐る必要があるのか。

でもその方達がこの国の中心だったからね。
何も語れないよね。

ねえねえ、太子一族を殺したの、本当に蘇我氏なのかよ?
とか思わなくもない午後の住宅街。

圧迫感!

住宅地をぐるりと回ってふと思う。
古墳を囲むように建っているお家の方々は、秦氏を守っていた家臣の末裔なのかもしれない、と。

そして住宅地の中に、そこだけ異空間であり、次元違ってる感じがした。時空が曲がっている?みたいな不思議空間でぐるぐるが止まらない(めまいがする)。

人によっては酔ってしまうので、すべての人にお勧めはしないかな。
気にならない人には問題ないと思うけど。
私、地震の直前に耳鳴りとか頭痛するタイプなので(ほんとに直前だからあまり予知にはならない)

うむ。
蘇我氏やら秦氏が絡むと長くなっちゃう。
興味のない方、何言ってんだこいつと思われた方、すみません。
歴史は常に「勝者」が書き記した記録であり、真実ではない可能性があると考えるタイプなもので。
特に残された別の記録に真逆のことが書いてあったりすると、なーにーとなって真実を調べたくなっちゃうの。
だから秦氏や蘇我氏や出雲王国のことを調べてしまうのです(趣味で)

ここで秦氏を巡る旅(太秦編)は一旦終了。

続きはYちゃんが雅な京都を案内してくれますぅーー!

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