カールマルクスが渋谷に転生した件 6 マルクス、動きます。
マルクス、リリースする
プロジェクト開始から一ヶ月後。アプリのベータ版がリリースされた。
さくらの祖母の離れは、今や開発チームの本拠地と化している。
「いいねボタンはなし」木下が説明する。「代わりに『連帯』ボタンです」
「ふむ」マルクスは新しいスマートフォンでアプリを操作してみる。慣れない手つきながらも、真剣な眼差しだ。
「投稿した労働時間の記録が、自動的にデータベースに...」
「そして、同じような状況の労働者とマッチングされます」さくらが補足する。「匿名で相談もできて」
「ここが重要なんです」木下が画面を指さす。「データは分散して保管されるから、会社に消されることもない。まさに、労働者自身による、労働者のためのプラットフォーム」
「エンゲルスも、きっと喜んでくれただろうな」マルクスは髭をなでながらつぶやく。
最初の一週間で、ダウンロード数は10万を突破。特に深夜労働者たちの間で話題となっていった。
『同じコンビニで働く仲間が見つかった』
『これまで言えなかった労働環境の問題を、安全に共有できる』
『スキル交換で、副業の機会も増えた』
Das Kapital TVでの告知効果も相まって、アプリは急速に広がっていく。特に「助け合いマッチング」機能は、予想以上の反響を呼んでいた。
プログラミングができる労働者は、副業のアドバイスを。
法律の知識がある者は、労働相談を。
料理のスキルがある者は、食事の提供を。
マルクスは深夜、投稿を眺めながらつぶやく。
「かつて私は言った。万国の労働者よ、団結せよ、とね」
「今なら、実際にそれが可能なんです」木下が答える。「国境も、時間も、空間も超えて」
「しかし...」マルクスは少し考え込む。「資本家たちは、黙ってはいないだろう」
「だからこそ」木下が真剣な表情で言う。「このプラットフォームは、誰にも止められない設計にしてあるんです」
Das Kapital TVのチャンネル登録者数は100万を超え、アプリのユーザーは日々増加していく。しかし、マルクスの胸の内には、かすかな不安が芽生えていた。
マルクス、連帯する
「マルクスさん、見てください!」
数日後、さくらが興奮した様子でスマートフォンを差し出す。
アプリ内で、ある投稿が大きな反響を呼んでいた。
『コンビニ各社の深夜時給と実際の仕事量、データベース作成中です。みんなで情報提供を! #団結のデータ』
「情報提供数、1000件突破」木下が報告する。「しかも、位置情報と連動させたヒートマップまでできてます」
「ヒートマップ?」
「こうやって、画面上で色分けして表示するんです」
表示された地図上で、低賃金地域が赤く、好条件の地域が青く光っている。
「これは...」マルクスの目が輝く。「搾取の可視化というわけか」
アプリは思わぬ方向でも使われ始めていた。
・残業代未払いの証拠を暗号化して保管
・シフト調整のための労働者間の直接取引
・スキルの交換による、新しい形の物々交換
・ブラック企業の求人を警告し合うブラックリスト機能
「マルクスさんの理論が、現代で実践されてるんですね」
さくらが感慨深げに言う。
「ただ...」木下が心配そうに画面を見つめる。「企業名を出すのは、まだ危険かもしれません」
「なぜだ?」
「誹謗中傷で訴えられる可能性があるんです。だから今は、データだけを...」
「しかし!」マルクスは立ち上がる。「搾取の実態を告発することが、なぜ誹謗中傷になるのだ?データという客観的な証拠があるというのに」
「それが現代の資本主義なんです」木下は静かに答える。「情報を制する者が、真実も制する」
その時、ケンジが慌てて飛び込んできた。
「大変です!アプリのレビュー欄に、組織的な★1評価が...」
マルクスは、かつてのロンドンを思い出していた。
『資本論』が出版された時も、様々な妨害があった。しかし、真実は必ず道を見出す...。
「心配するな」マルクスは静かに言う。「我々には、データという武器がある。そして何より...」
画面に新しい通知が表示される。
『一人じゃないって、心強いです』
『やっと、声を上げる場所ができた』
『これって、本当の意味でのSNSかも』
連帯ボタンが、次々と光っていく。
しかし、上手く行ったのはここまでだった。
マルクス、ピンチにおちいる
問題は次々と表面化していった。
低評価の組織的な投稿。法的な圧力。そしてサーバー代の急増。
「このままじゃ...」
木下は疲れた表情でモニターを見つめている。
「でも、ユーザーは増える一方だし。矛盾してますよね。成功が、足かせになるなんて」
開発チームの深夜ミーティング。疲労と不安が部屋に充満していた。
「企業名を出すのは、やめたほうがいいかも」
「いや、でも、それじゃ意味が...」
「サーバー代も限界で...」
「広告を入れるという手も...」
議論が堂々巡りを始めた時、マルクスはゆっくりと立ち上がった。
「諸君」
その声に、全員が静かになる。
「かつて、私とエンゲルスも同じような壁にぶつかった。印刷費用は底を突き、当局の監視は厳しく、仲間たちは疲弊していった」
マルクスは窓際に歩み寄り、渋谷の夜景を見つめる。
「しかし、我々には武器がある。それは連帯という、最も強力な武器だ。見たまえ」
スマートフォンを取り出し、アプリの投稿を読み上げ始める。
『夜勤明けなのに、また追加シフト...』
『同じ会社で働いてる人、連絡ください』
『スキル交換で、新しい仕事が見つかりました』
「この声を聞け。我々が作ったものは、もはやただのアプリケーションではない。これは、現代の労働者にとっての、希望の灯火なのだ」
部屋の空気が変わり始める。
「確かに、資本との戦いは苛烈を極めるだろう。しかし、我々には分散型のネットワークがある。サーバーが落とされても、データは消えない。法的圧力がかかっても、真実は拡散し続ける」
木下が身を乗り出す。
「そうか...ユーザーが増えるのは、むしろチャンスかもしれない。分散化が進めば進むほど、止められなくなる」
「その通りだ!」マルクスの髭が誇らしげに震える。「我々の強さは、まさにその分散性にある。一つの頭を潰しても、ヒドラの如く新たな頭が生まれる。それこそが...」
「分散型組織の真髄ってやつですね」
さくらが笑顔を取り戻す。
「サーバー代は...」ケンジが言いかける。
「クラウドファンディングっていう手もあります」木下が目を輝かせる。「Das Kapital TVのフォロワーたちに呼びかければ...」
会議は深夜まで続いた。しかし、もはそこに疲労や不安の色はない。
新たな戦略が、次々と生まれていく。
マルクスは密かに微笑む。
かつてのロンドンでも、こうして仲間たちと未来を語り合った。
時代は変われど、連帯の力は変わらない...。
