カールマルクスが渋谷に転生した件 34 堅木、パワハラに憤慨する(後)
堅木、怒る
「実は...」
堅木は深いため息をつく。
「中池知事、表向きは『DXでデジタルトランスフォーメーション』だの、空虚な言葉を口にしますが、データの読み方は天才的なんです」
「ほう?」マルクスが身を乗り出す。
「選挙戦の最中、私が複雑なアルゴリズムの分析結果を説明していると...」
堅木の目が遠くを見つめる。
***
「ふむ」
中池が爽やかな笑顔を浮かべながら、膨大なデータが並ぶモニターに目を走らせる。
「要するに、この数字の偏りを使って、大山さんと西野さんの支持層を分断できると」
「はい、ですが...これほど複雑なデータを、どうして一目で...」
堅木が困惑の表情を浮かべる。
「京子くん」
中池の声が急に冷たくなる。
「このデータ、使えるね。でも、もっと徹底的にやろう。支持政党、年齢層、そして...」
「しかし、それは選挙の自由を...」
「自由?」
中池が氷のような笑みを浮かべる。
「民主主義なんて、ただのゲームだよ。勝者が全てを決める。それだけのこと」
*
「京子くん、この数字、使えないねぇ」
深夜の選対事務所。中池は相変わらず爽やかな笑顔を浮かべている。
「もっとこう...インパクトのある数字に変えられない?」
「しかし、これは実データの分析結果です」
堅木は疲れた表情で説明を続ける。
「操作することは...」
「君ねぇ」
中池の声のトーンが変わる。周りのスタッフが、気まずそうに目を逸らす。
「いつまでそんな『倫理』だの『正しさ』だのにこだわってるの?」
中池が近づいてくる。
「それとも、このチームにいる意味がないって言ってるの?」
「私は...」
「京子くん」
中池は突然、声を張り上げる。
「昨日の世論調査、見たよ!どうしてあんな数字を出した?皆さん、見てください。京子くんの『正しい』仕事のせいで、どれだけの時間を無駄にしたか!」
会議室が凍りつく。
「すみません...」
堅木は項垂れる。
「明日までに、組み直します...」
「そう、それでいい」
中池の声が再び穏やかになる。
「君は優秀だからさ、ちゃんと結果を出せるはずだよ。皆で頑張ろう!」
にこやかに会議室を出ていく中池を見送りながら、堅木の中で何かが決定的に変わっていった。
***
「表では常に爽やかで、データの天才で...でも、思い通りにならないと...」
堅木の声が震える。
「まさに」マルクスが静かに言う。「データという新しい生産手段を握る、現代の官僚というわけか」
「でも」堅木は画面に向き直る。「その経験があったからこそ、見えてきたものがあります」
マルクス、分析する
彼女は新しいウィンドウを開く。
「この都知事選のデータ分析から、三つのことが分かりました」
「まず一つ目」
堅木が図を描き始める。
「プラットフォームやAIに操作されているように見える世論も、実は『予測可能な反応』の集積に過ぎない」
「二つ目」
彼女は新しい円を描く。
「しかし、時々、予測不可能な『うねり』が起きる。西野先生への若者の支持は、どんなアルゴリズムでも予測できなかった」
「そして三つ目」
最後の円を描き終える。
「これが最も重要なのですが...」
「待て」
マルクスが突然立ち上がる。
「それは...弁証法的な発展の図式ではないか?」
「さすがです」
堅木が小さく微笑む。
「現在のSNS世論は『定立』、予測不可能な社会の動きが『反定立』、そして...」
「新しい形の民主主義が『総合』として現れる...というわけか」
マルクスの髭が誇らしげに震える。
「つまり」堅木が画面に向かって説明を続ける。「私たちにできることは...」
「待ってくれ」
マルクスが静かに口を開く。
「私には、考えなければならないことがある」
「マルクス先生?」さくらが心配そうに覗き込む。
「私は工場労働者の搾取を分析した」マルクスが髭をいじりながら言う。「労働時間、賃金、生産手段...全て、目に見えるものだった」
彼は立ち上がり、窓際まで歩く。外では、若者たちがスマートフォンを覗き込みながら歩いている。
「だが今や、搾取はデータという、目に見えない形を取っている。しかも人々は、自分たちのデータが搾取されていることすら気づかない。まさに新たな形の...」
「物神性ですね」堅木が補足する。「でも、だからこそ...」
「ああ」マルクスが振り返る。「君のような専門家が、我々の側に付いてくれることが重要なんだ」
「私だけじゃありません」
堅木の声が力強くなる。
「中池知事の下を去った分析チームの仲間たち、彼らも協力してくれると」
その時、木下のスマートフォンが鳴る。
「あ、堅木さんの元同僚からデータが...すごい量ですね」
「始まりましょうか」堅木が立ち上がる。「新しい理論の構築を。今度は、民主主義のために」
マルクスは静かに頷く。
19世紀の工場から21世紀のデジタル空間まで。搾取の形は変われど、それに抗う人々の意志は変わらない。
そして今、新たな戦いの幕が上がろうとしていた。
