【短編小説】暇を持て余した神々の遊び
増田一朗は朝のコーヒーを飲みながら、画面に踊る数字を眺めていた。
また猫だった。昨夜バズった投稿のトップ3は、すべて猫の動画。飼い主に甘える茶トラ、階段から落ちるペルシャ、毛玉を吐く雑種。総再生回数は三千万を超えている。
一方で、昨日投稿された震災復興のドキュメンタリーは、わずか二千回の再生数で埋もれていた。
「なんで、こんなことになるんだろう?」
呟きながら、増田は自分が設計したアルゴリズムのコードを見つめた。ユーザーエンゲージメント最適化プログラム。この三年間で、プラットフォーム利用者数を二億人押し上げた彼の自信作だった。
仕組みはシンプルだった。ユーザーが「いいね」を押したくなる投稿、コメントを書きたくなる投稿、シェアしたくなる投稿を機械学習で判別し、優先的に表示する。滞在時間が長くなるコンテンツ、感情的反応を引き起こすコンテンツを上位に並べる。会社の売上を支える広告収入に直結する、効率的なシステムだった。
結果として、怒りや驚き、笑いといった強い感情を引き起こすコンテンツが拡散されやすくなった。猫動画、炎上議論、センセーショナルなニュース。一方で、冷静な分析や地味な社会問題は、アルゴリズムの底辺に沈んでいく。
開発チームのリーダーに昇進してから一年、増田は違和感を抱くようになっていた。
我ながら、不条理だ。本当に大切なことが見過ごされ、どうでもよいことが世界中を駆け巡る。この歪みは、自分が作ったものだった。
「ちょっと調整してみようか」
金曜日の午後、オフィスに残った増田は、コードの一部を書き換えた。教育的コンテンツの重み付けを上げ、社会問題に関する投稿の表示優先度を微調整する。技術責任者として裁量を任されている範囲内の、ささやかな変更だった。
翌週、データに変化が現れた。
ユーザー数の伸び率が二パーセント下がった代わりに、政治や環境問題に関する投稿のエンゲージメントが十五パーセント上昇していた。思想家のエッセイや市民団体の活動報告が、これまでより多くの人の目に触れるようになった。
増田は安堵した。これでいい。これが正しい方向だ。
そんな時、福岡県知事選の告示があった。
前職の田村は、職員の告発問題で県議会から不信任を受けて失職していた。それでも長年の実績と支持基盤があり、再選は確実視されていた。
対するは無所属の青木健太郎。かつて衆議院議員だったが、政治資金パーティーに疑問を呈して議員を辞職した男だった。
青木の選挙戦は、見ていて心を打つものだった。
毎朝七時、博多駅前での街頭演説をライブ配信する。背景には通勤ラッシュの人波、手には分厚い政策資料。組織票も地盤もない中で、一人一人の有権者に語りかけていた。
「政治は皆さんのものです。私たちの未来は、私たち自身で決めるものです」
青木の動画には、県の財政問題から教育改革まで、具体的な数字と実現可能な計画が含まれていた。原稿を読み上げるのではなく、心の底から湧き上がる言葉で語っていた。時には声を震わせ、時には怒りを込めて。
コメント欄には共感の声が並んだ。「初めて政治に希望を感じた」「この人なら信じられる」「応援しています」。
一方で、前職の田村は従来型の選挙戦を展開していた。企業や団体への挨拶回り、組織票の固め、マスメディアへの露出。手堅く、確実で、勝利を計算した戦略だった。
しかし、増田のアルゴリズムは青木を選んでいた。社会的に重要と判定されたコンテンツとして、青木の動画を多くの人のタイムラインに押し上げていた。
投開票日の翌日朝、結果が出た。
青木健太郎、当選。
「良い結果になったな」増田は微笑んだ。
次の瞬間、増田は画面の前で凍りついた。得票差は、わずか四十五票だった。
もし自分がアルゴリズムを変更していなかったら。もし従来の仕組みを維持していたら。青木の投稿は、きっと埋もれていただろう。
四十五票。
この結果を作ったのは、自分かもしれない。
自宅のリビングで、増田は一人震えていた。民主主義の結果を、自分が左右してしまったのだろうか。青木は良い知事になるかもしれない。彼の政策は筋が通っているし、志も高い。でも、それは問題ではなかった。
問題は、一人の技術者が、選挙の行方を決めてしまったということだった。
四十五票差の逆転勝利。たったこれだけの差で、五百万人の未来が変わる。SNSが無ければ、青木は大差で負けていた。
増田は通勤電車の中で、青木の勝利宣言動画を見返していた。喜びと責任の重さに震える青木の姿が、画面の中で小さく映っていた。
「県民の皆様の声に応えられるよう、全力で取り組みます」
青木なら、きっと良い知事になるだろう。しかし、この結果は正しいのか?
アルゴリズムの修正がなければ、青木のライブ配信は数千人にしか届かなかっただろう。青木の政策動画は、猫動画の陰に隠れて埋もれていたかもしれない。そうなれば、田村が勝利していた。不条理を被ったのは、田村だ。
技術の中立性という幻想を、増田は信じ続けてきた。アルゴリズムは客観的で、公平で、感情に左右されない。自分はただ、システムを最適化しているだけだと思っていた。しかし真実は違った。
コーヒーカップを握る手が震えた。自分は神にでもなったのだろうか。
「俺に、そんな権利はないはずだ」
増田一朗は、田村の会見を見つめながら、答えの出ない問いを噛み締めていた。
今日、出社したら何をする?アルゴリズムを元に戻すのか。それとも、このまま自分の「思い」を押し通すのか。
どの選択も、不条理を被る人間がいるはずだ。ならば、逃げるか?いや、辞めたところで、また別の「神」が生まれるだけだ。
増田は、電車の中の乗客たちを見渡す。
誰かが「神」であることからは、逃れられない。
「神」は、絶望した。
