【短編小説】世界を壊すのは簡単だ
百の飛行機が、一斉にビルに衝突した。
ガラスと鉄が花火のように空間を埋め尽くす。
オレンジの炎が百万の窓を照らす。
白い煙が雲となって周りを包み込む。
「—これ、映画?」
その声で我に返る。
開店直後の家電量販店に、百のテレビが並んでいる。液晶画面すべてに同じ映像。同じ炎。
私、坂本弓子は、制服を着てここに立っている。
「リアルみたいだけど」
別の客が呟く。画面の向こうでニュースキャスターが何かを叫んでいるが、よく聞き取れない。店内の喧騒に紛れて、災厄は無音の映像として存在している。
私はポケットからリモコンを取り出し、音量を上げた。
「――これは映画ではありません。現実に起きている出来事です」
現実。
私は派遣社員として、ここでテレビを売っている。開店直後、午前十時半過ぎ。画面の中で世界が燃えていても、私の一日は昨日と変わらない。
遠い国の話だから。
「すみません、この機種はどうですか」
中年の男性が声をかけてきた。彼の背後では、相変わらず飛行機がビルに突っ込んでいる。百台の画面で、百回の災厄が繰り返されている。
「画質がいいですね」
男性が感心したように言う。
「ええ、最新の液晶技術です」
私は説明した。反射的に、いつものように。
十一時を過ぎても客足は途絶えない。むしろ普段より多い。みんな情報を求めているのか、それとも単なる野次馬なのか。
「奥様、こちらのモデルはいかがですか」
同僚の田村が別の客に話しかけている。彼女も私と同じように、画面の災厄を背景に商品説明を続けている。
私たちは何をしているのだろう。
昼休み。バックヤードで一人になると、急に現実感が戻ってきた。さっきまで見ていたのは本当の出来事なのだ。どこかで人が死んでいる。建物が崩れている。
世界が崩れているのに、私はテレビを売っている。
世界が異常事態なのに、なぜ私はここにいるのだろう。
午後二時。転職エージェントのCMが流れた。
「不安定な時代だからこそ、正社員という安心を手に入れませんか。リクコネなら、あなたの価値を最大限、活かします」
笑顔の女性が画面に映る。
ニュースに切り替わる。まだビルが崩れ落ち続けている。不安も、安心も、すべてが商品として陳列されている。
私は静かに歩き始めた。
百台のテレビの前を、一台ずつ。
最初のテレビの前で立ち止まる。
画面には煙に包まれた摩天楼が映っている。
私はリモコンを構えた。
電源ボタンを押す。
画面が暗くなる。
このテレビは、もう二度とつかない。
そう思った。
映像は永遠に消え去り、静寂だけが残る。
二台目の前へ移る。また電源を切る。
これも二度とつかない。
三台目。四台目。
誰も私を止めない。客たちは他のテレビに夢中で、私の小さな行為に気づかない。同僚たちも接客に忙しい。
私は静寂の庭師になった。
一台ずつ、音のない世界を作っていく。
五台目。六台目。七台目。
百台のテレビが、一つずつ闇になっていく。
百の飛行機が、一機ずつ消えていく。
誰にも見られていない。誰にも止められない。
ただ私だけが、この小さな破壊を続けている。
最後の十台を残すところで、ふと手が止まった。残りのテレビには、まだ煙が立ち昇っている。
まだ、人々が逃げ惑っている。
それでも消していく。飛行機を、闇に溶かす。
私は最後の一台の前に立った。
画面の中で、世界が終わり続けている。
消防車のサイレンが聞こえた。
私は電源ボタンから指を離す。
最後の一台は、私の現実だった。
