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【短編小説】都か 区か 奉か 公か 人か 間か

「都がやってる 区がやってる♪
都か区か 都か区か 気になるー♪」

羽鳥明日香は、スマートフォンの画面を消し、改札を通り抜けた。朝の通勤電車で何気なく目にしたこの曲が、妙に頭に残っている。責任の所在が曖昧な言葉の響きは、胸に小さな棘のように刺さった。

「区なんだよなあ」彼女は鼻で笑った。

四月の風が桜の花びらを舞わせる中、区役所への道を急ぐ足取りは重かった。公園課に勤めて五年目の春。
財政難を理由に、住田公園が不動産会社「東栄開発」へ売却される方針がついに決まったのは、二ヶ月前のことだった。

「羽鳥さん、今日は住民説明会の資料の最終確認ね」

課長の中村がカレンダーを指差して言う。羽鳥は静かに頷き、デスクに向かった。キーボードを叩く指先が、かすかに震えていた。


休日の住田公園。羽鳥は制服を着ないまま、ただの公園利用者としてベンチに腰掛けていた。視線の先には、車椅子の少女とその母親。

少女は遊具に向かって手を伸ばしている。車椅子のまま近づける高さ、誰でも触れられる距離。全てが緻密に計算された優しさだった。

「あのね、ここが一番好きなの」

風に乗って、少女の声が届いた。母親が微笑みながら車椅子を押し始める。羽鳥は、その後ろ姿を目で追った。二人が公園を出るとき、少女が振り返り、羽鳥と目が合った気がした。

帰り道、彼女はスマホで検索した。「住田公園 売却反対」。画面にはいくつもの投稿が並び、そこに若手弁護士・佐藤雅人の名前があった。白黒の写真の中で、鋭い眼差しの男性が腕を組んでいた。


説明会の前夜。羽鳥は原稿を何度も読み返していた。「財政状況の逼迫」「効率的な資産運用」「代替施設の整備」。一つ一つの言葉が、紙の上でぼやけていく。

窓の外、街灯に照らされた雨粒が光となって流れ落ちていた。その一粒一粒に、彼女は少女の笑顔を見た。

「苦難だよなあ」羽鳥は苦笑いを浮かべた。


「以上が、住田公園売却に関する区の方針です」

会議室は沈黙に包まれていた。羽鳥は淡々と説明を終える。質疑応答の時間。挙がる手、飛び交う言葉。不安と怒りの声に、公式回答で応じていく。一つ、また一つ。

「他にご質問は――」

そのとき、会場の後方でドアが開いた。車椅子の少女と母親が遅れて入ってきた。少女の目が、まっすぐ羽鳥をとらえる。

「あのね、一つ聞いてもいい?」

小さな声だったが、会場はしんと静まり返った。

「私、この公園が好きなの。どうして無くしちゃうの?」

喉が乾いた。用意された言葉はあった――「財政難」「効率」「代替施設」。だが、唇は動かない。

「すみません、お答えします」

自分の声が、遠くから聞こえるように感じた。

「住田公園の売却は、区の財政状況から判断された方針です。ただ……」

少し言葉を切る。会場の空気が、わずかに変わった。

「ただ、この公園には、様々な方が訪れています。例えば、バリアフリーエリアは車椅子を使う方々にとって、貴重な公共の場です」

彼女の声は静かに、しかし確かに響いた。

「財政的な価値だけでなく、公園が持つ社会的な価値も、私たちは考慮すべきではないでしょうか」

小さなどよめき。中村課長の顔が引きつるのが見えた。羽鳥は一度深く息を吸い、そして元の台本に戻った。


翌日、彼女は上司から厳しく叱責された。「職員として不適切だ」「個人的見解の表明は慎むべきだ」。羽鳥は黙って頭を下げた。

一週間後。ある朝、彼女のデスクに置かれた新聞が目に留まった。小さな記事だったが、目を奪われた。

「障がい児の居場所奪う公共施設売却に、区職員も疑問の声」

簡潔な記事の中に、彼女の発言が短く紹介されていた。翌日、別の新聞にも。同じ記事が、SNSで拡散され始めていた。小さな波紋が、静かに、確実に広がっていく。

彼女はそっとスマホを置き、静かに息を吐いた。


五月の終わり、区役所の会議室。東栄開発の担当者が、区の幹部と向かい合っていた。

「率直に申し上げて、この状況はイメージリスクが大きい」

羽鳥は記録係として、黙って鉛筆を走らせた。

「やはり、公園を潰す企業というレッテルは避けたい。計画の見直しをお願いできませんか」

沈黙。やがて、区長が静かに頷いた。


梅雨明けの空は、まぶしいほど青い。住田公園の片隅で、羽鳥は佐藤弁護士と並んで立っていた。

「結局、公園の売却は見送られ、むしろ拡充されることになったそうですね。地域の企業が支援する形で」

佐藤の声には安堵が滲んでいた。羽鳥は微かに頷く。

「バリアフリーエリアも拡大されると聞きました」

「あなたの発言がなければ、ここまで来なかったでしょう」

羽鳥は首を横に振った。

「私はただ……」

言葉を探す彼女の視界に、公園の向こうから車椅子が近づいてきた。

「あ、あのお姉さんだ!」

少女が手を振っている。羽鳥は微笑み返した。

「私はただ、ここにいる人たちの声を、少し代弁しただけです」

佐藤は静かに頷いた。

「それこそが、必要なことだったんです」

公園では、様々な人たちが思い思いに時を過ごしていた。少女は友達と遊び始め、その笑い声が風に乗って羽鳥の胸に届いた。


朝の通勤電車。イヤホンから、あの曲がまた流れる。

「都か区か 都か区か 気になるー♪」

羽鳥は、いつの間にか口ずさんでいた。
おどけた芸人の顔がスマホに映る。

責任の所在は今も曖昧だ。でも――その曖昧さの中に、小さな希望が芽生えることもあるのだ。

「区なんだよなあ」

彼女は静かに笑い、スマホの画面を消すと、一日の始まりへ向かって歩き出した。





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