見出し画像

【短編小説】嘘はコンビニでも買えるけれど

花澤美月、大学一年生。人生初めてのバイト。

店長が差し出したPOPの束を受け取ったとき、彼女は緊張と共に、小さな使命感を覚えた。

「最高の瞬間を!」という赤い文字が踊るコーラの宣伝。「翼を生やそう」と謳うエナジードリンクの青い稲妻。彼女には、どれも企業の真摯な想いが込められているように見える。

午後の日差しが斜めに差し込むコンビニで、美月は丁寧にPOPを貼り付けていく。商品に込められたメッセージを世界に届ける、小さな橋渡し役のような気分だった。


「150円で『最高の瞬間』買えたら安いもんだよね」

午後二時頃、背広の男性が苦笑いを浮かべながらコーラの缶を手に取る。美月の手が一瞬止まった。『最高の瞬間』という言葉への皮肉を、彼は口にしていた。レジの音が、妙に乾いて響いた。

三時頃、大学生らしき二人組がエナジードリンクの前で立ち止まる。

「これ飲んだら翼生えるの?」
「そんなわけないじゃん」

笑いながら、二人とも迷わず手に取る。美月は眉をひそめた。嘘だと知っているのに、なぜ。

四時の買い物客のピークが始まる。母親と小学生の息子が調味料コーナーで会話を交わしていた。

「おかーさん、なんで高い方買うの?」
「こっちの方が国産大豆だから」
「おいしいの?」
「うーん、安心な気がするかなー」

「気がする」。美月はその言葉を反芻した。確信ではない。でも選択の理由としては十分らしい。

五時過ぎ、スーツ姿の同僚らしき二人が痩せるお茶の前で立ち話をしている。

「お前、いつもそれ飲んでるけどほんとに痩せると思ってるの?」
「気休めだよ、気休め。でも飲まないと太りそうで」

「気休め」。それでも男性は商品をカゴに入れる。分かっていても、気休めが必要なのだ。美月の胸に、小さな疑問の種が芽吹いた。

六時ごろ、風邪気味らしいサラリーマンが、ヨーグルトの棚の前で独り言を呟く。

「免疫力アップ...今更だけど、やらないよりマシだよな。トクホって書いてあるし」

「やらないよりマシ」。またしても、完全な信頼ではない理由。でも行動には移す。美月は彼の後ろ姿を見つめた。

七時、高校生のグループがスナック菓子を手に取っている。

「これ、『地球に優しい』って書いてあるけど、どう優しいんだろうね」
「まあ、普通のより高いから、きっと何か違うんじゃない?」
「これで地球は守られるな」

彼らは謳い文句を笑い飛ばす。それでも、彼らは購入していく。美月は原材料を見た。従来品とほとんど変わらない。パッケージが紙製になっただけ。でも確かに「地球に優しい」と書いてある。


美月は商品棚を見回した。「最高の瞬間を!」の文字を見つめながら、午後二時の男性の言葉を思い出す。150円で最高の瞬間。

自分も同じような理由で何かを選んでいるのだろうか。美月は自分の行動を振り返った。
昨日のことだ。確かに文房具を買おうとして、なぜか「SDGs」の文字に惹かれている自分がいた。


帰宅ラッシュが始まる頃、美月は気づいた。今日出会った人々は、誰一人として商品の謳い文句を本気で信じてはいなかった。それなのに皆、選び、買い、使っていた。

翼は生えないと知りながらエナジードリンクを飲み、痩せないと分かりながらお茶を選び、地球が救われるわけではないと理解しながらエコ商品を手に取る。
蛍光灯の光の下で、無数の商品が静かに微笑みかけている。嘘つきたちの、優しい微笑み。

でも、それは愚かさではないのだと美月は思った。彼らは皆、小さな希望や慰めや、ほんの少しの「マシ」を求めていた。完璧な真実ではなく、不完全でも手の届く慰めを。

真実は時として冷たすぎるから。


「お疲れ様でしたー」

シフトが終わり、美月はコーラを購入した。「最高の瞬間を!」という文字は、もう嘘には見えなかった。嘘でもあり、本当でもある。
150円という対価で、人は小さな物語を買っているのだ。

帰り道、美月は考えた。世界は欺瞞に満ちている。でも人々はそれを知った上で、それでもなお選んでいる。完璧な正解のない世界で、少しでもマシな気持ちになるために。

夜が街を染める中、美月は自分もその一人であることを受け入れた。知っているのになお、選び続ける人として。

缶を開けて一口飲む。炭酸が喉を刺激し、甘さが疲れた体に染み渡る。そこには、疲れを吹き飛ばすような爽快感があった。

「まあでも、『最高の瞬間』ではなかったかな」

午後二時の男性と同じように、美月は苦笑いを浮かべた。自分が彼らの仲間入りをした瞬間だった。

「味も大して変わんないし」

街灯が、缶を持つ少女の影を長く伸ばしていた。



いいなと思ったら応援しよう!